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#016 古代日本の「西の都」
663年の白村江の戦いののち、百済から亡命してきた貴族の指導によって665年に築かれた日本最古の山城。土塁や石塁によって築かれた城壁や、城門、建物跡が見つかっている。
白村江の戦い後に築かれた山城で、のちに成立する大宰府のまちを挟むように、北に大野城、南に基肄城という配置で、百済系都城の特徴をよく示している。奈良時代になると、大宰府の長官、大伴旅人が、奈良の都からきた官人らと基肄城に登り眺望を楽しみながら、妻を亡くした哀しみを歌にしている。緊迫の時代に造営された山城は、やがて文化交流の場ともなっていった。
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