「百世の安堵」〜津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産〜STORY #063
みどころspot
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稲むらの火の館
当施設は、津波防災教育センターと濱口梧陵記念館で構成されております。
濱口梧陵の防災精神や、「稲むらの火」の人命尊重の精神をふまえ、来たるべき津波災害から大切な生命やくらしを守ることを学べます。
記念館では、数々の貴重な資料や展示品を通じて梧陵さんの生い立ちから晩年までの足跡を辿れます。
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1820年(文政3年)、「稲むらの火」で知られる濱ロ梧陵は、紀州広村(現在の広川町)で生まれました。
安政の大地震津波時、その命の火で多くの村人を救った彼の功績は、現代に通じる津波防災の象徴として広く語り継がれています。和歌山県有田郡広川町広671 0737-64-1760 http://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/index.html 続きを読む
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広村堤防(国の史跡)
広川町民の人命と財産を守り続けてきた逸話のある防波堤防です。
堤防は前後2列に並んであり、前方の石堤は室町時代(15世紀初頭)に畠山氏によって築かれたもので、後方の土堤は安政元年の大津波の後、濱口梧陵が完成させたものです。2つの堤防の間にはクロマツやマサキといった防潮林が植樹されています。
濱口梧陵が築きあげた堤防の延長は約600m、根幅20m、高さ約5mで、横断通路2箇所を設け、うち1ヵ所には防潮扉が設置されています。この防潮扉は赤門と呼ばれ、大正15年にはじめて設置されたものです。
昭和13年に国の史跡として文化財に指定されています。和歌山県有田郡広川町広 0737-23-7795 続きを読む
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稲むら
米づくりの機械化のため、地元でも目にすることが少なくなった「稲むら」をシンボルとして設置しています。この「稲むら」は、脱穀後の稲藁を積み重ねたもので、藁を保管する目的でつくられたものです。
※脱穀前の稲穂を乾燥させる為に、木や竹で作った骨組に吊架したものを指すこともあります。
濱口梧陵は、津波に襲われた時「稲むら」に火を放ち、暗闇から町の人々を救いました。
そのエピソードは「稲むらの火」として今も小学校の教科書に掲載されています。
広川町広 地内(広村堤防近く) 0737-23-7795 続きを読む
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東濱口家住宅(国指定重要文化財)
東濱口家は、初代濱口吉右衛門を祖とし、江戸日本橋において「廣屋」として醤油問屋を生業とした地元を代表する商家です。江戸で商いをしながらも故郷である広村への貢献を絶やさず、特に安政元年の大津波では「稲むらの火」の主人公として描かれた西濱口家の濱口梧陵とともに「広村堤防」の築造を行うなど、広村の復興に尽力したことで知られています。
東濱口家の広村における生活と活動の拠点となったのが東濱口住宅です。一部赤煉瓦の外堀で囲われた敷地に岩や池を配した庭園が設けられ、本宅・本座敷・三階建座敷と呼ばれる3つの主要な建物から構成されています。
東濱口家より町に寄贈いただいた敷地を「東濱口公園」として開放しています。四季折々の木々、桜、さるすべり、紅葉などを配置した日本庭園です。和歌山県有田郡広川町広1292 0737-23-7795 http://www.tohin-shokurin.com/history/higashi-hamaguchi 続きを読む
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広八幡神社本殿(国指定重要文化財)
本殿には誉田別命(ほんだわけのみこと)、足仲津彦命(たらしなかつひこのみこと)、気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)を祀っています。
本殿の建立は詳らかではありませんが、摂社2棟の棟札に応永20年(1413)に造営の記載があり、本殿もこのときの建立と推察されています。大型の三間社流造、檜皮葺の建物で、木割も大きく、蟇股の輪郭・内部彫刻は卓越したものがあります。棟札が多く残されており修理の変遷が窺い知れます。
安永5年(1776)には徳川家から原木の寄付や大工棟梁の応援を受けて大規模な修理が行われています。
和歌山県有田郡広川町上中野206 0737-62-2371 http://hirohachimanjinja.or.jp/ 続きを読む