藍のふるさと 阿波〜日本中を染め上げた至高の青を訪ねて〜STORY #081

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藍のふるさと 阿波 〜日本中を染め上げた至高の青を訪ねて〜 藍のふるさと 阿波 〜日本中を染め上げた至高の青を訪ねて〜
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  • 川真田徳三郎君碑 北カネマン

    川真田徳三郎君碑 北カネマン

    川真田徳三郎は、1860(万延元)年に、藍商の家(北カネマン)に生まれた。
    1885(明治18)年に県議会議員をふりだしに政界入りし、1890(明治23)年の第1回衆議院議員に30歳の若さであげられ、連続7回、計9回に及び当選した。
    実業界では、本家の川真田市太郎(本カネマン)と協力して阿波藍製販の改善や、1887(明治20)年には阿波国共同汽船(株)を輿し、1898(明治31)年には阿波藍(株)を大阪北堀江に設立し、初代社長となり、阿波藍の大阪売りの大多数を取り扱った。1899(明治32)年には、徳三郎の取り纏めで阿波藍製造販売同業組合が結成され、市太郎とともにその首脳となった。
    最も大きな功績は、1899(明治32)年に徳島鉄道(株)を設立し、社長となり、鴨島駅(藍屋敷前・工場)から徳島駅(藍場浜・倉庫、船場・店舗)まで鉄道を敷いたことである。後に小松島駅(阿波国共同汽船乗り場・港)まで敷設した。
    1918(大正7)年に58歳で逝去された。この功績は、松方侯爵、芳川顕正伯爵(川田村出身、東京府知事・各大臣を歴任、漢詩家)による碑文(漢詩)として残されている。
    1918(大正8)年11月建立。この石碑は元々は鴨島公園の中央に設置されていたが、1992(平成4)年に公園の再整備を行った際に現在地に移転した。

    徳島県吉野川市鴨島町鴨島甲1-1 鴨島公民館東側国道318号沿い公園

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  • 鴨島大菊人形 菊遊座と菊人形会場

    鴨島大菊人形 菊遊座と菊人形会場

    藍商から製糸業に転換した筒井製絲(株)の工場前に、大正14(1925)年の秋に「鴨島菊人形」の旗を見たのが菊人形のはじめであります。
    実業家筒井嘉太郎氏が鴨島菊遊会を組織し、昭和2(1927)年に藍商の本カネマン川真田市太郎氏から2千坪の土地の提供を受け、本カネマン藍屋敷(吉野川市民プラザ)東隣の広い畑(現ハローワークの西側)に、菊遊座を備えた会場を開設し、菊人形、四国菊花品評会が開催されました。その後、会場は有楽座、有楽園、江川遊園地、鴨島駅前と移りかわり、現在は吉野川市役所前広場で開催されています。
    菊遊座では阿波源之丞座による「阿波人形浄瑠璃」も上演されていました。
    藍商人は地域の文化や芸事の発展に貢献しました。

    徳島県吉野川市鴨島町鴨島252-1 吉野川市民プラザ(本カネマン藍屋敷跡、菊遊座跡は東隣)
    https://www.city.yoshinogawa.lg.jp/docs/2010100700678/

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  • 藍作地方特有の氾濫地帯の土地利用 外間(そとま)と呼ばれている吉野川河川敷内の畑

    藍作地方特有の氾濫地帯の土地利用 外間(そとま)と呼ばれている吉野川河川敷内の畑

    良質な藍づくりの鍵は、雄大な吉野川にある。日本三大暴れ川の一つである「四国三郎」吉野川は、たびたび氾濫し、流域は甚大な被害を受けた。
    その反面、洪水によって肥沃な土壌がもたらされ、豊富な伏流水にも恵まれたため、「阿波の北方」は、藍の栽培に適した土地となった。
    かつては、あたり一面藍畑だった阿波の北方の景色も、時代とともに変化しつつある。藍作の衰退後、養蚕業が盛んになり多くの畑が桑畑に変わったが、現在では出荷量日本一を誇る春ニンジンやスイートコーン「甘々娘」の他、野沢菜等、有数の園芸作物地帯となった。
    吉野川流域のかつての藍作地方特有の氾濫地帯では、特に柔らかくて甘い春ニンジンや、特に糖度が高くて甘いスイートコーン「甘々娘」が育つことで知られ、現在も吉野川の恩恵を受けている姿を見ることができる。

    徳島県吉野川市鴨島町知恵島(吉野川河川敷:外間(そとま))

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  • 須見家藍大市賞牌版

    敷地地区の藍師・藍商人として活躍した須見家に、徳島城下で開かれた藍大市から、優れた藍玉(蒅)を出品した証として贈られた賞牌板(金看板)(安政3年(1856)〈江戸時代後期〉~明治29年(1896))である。木製の賞牌板に、瑞一(日本随一【江戸後期】、日本瑞一【明治】)、准一、天上の3等級の文字や、取引相場(金拾銭に付、拾参匁(もんめ)換など)、荷主・売主に「徳兵衛、須見德平、須見千次郎、須見忠次郎」、買主に「森六郎、三木與吉郎、坂東安一などの徳島の藍商人、大阪藍會社、大阪仲買、東京売組合」、藍仲買に「新居庄平など」、須見家の屋号「∧角」(やまかく)、商標「泰平親玉」(たいへいおやだま)、金龍玉(きんりゅうだま)、良藍親玉(りょうあいおやだま)が墨書き、または刻印され、金色に文字が着色されている。

    ※非公開のため、訪問や問い合わせはやめてください。

    https://www.city.yoshinogawa.lg.jp/docs/2021032400048/

    藍のふるさと阿波スマートガイド

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  • 金勝寺 阿波屋善右衛門の供養塔

    金勝寺 阿波屋善右衛門の供養塔

    金勝寺の境内南東に建てられた巨大な石塔、阿波屋善右衛門の供養塔である。
    大坂で藍商を営み、豪商として名声があった善右衛門が最隆盛期に、先祖代々の霊を祀るために建立した石塔である。
    塔の周囲は、白い壁をめぐらし、いかにも豪商にふさわしいものである。
    大坂 願主 瑞閣宗吽禅定門 阿波屋善右衛門
    寛政10戊午9月建焉(1798年9月建立)

    徳島県吉野川市山川町西麓93

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