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#037 日本磁器のふるさと 肥前
肥前陶器窯跡
陶器のはじまりとしての窯跡は16世紀末頃のもの。武雄市内には多くの窯跡が知られるが、中でも黒牟田系の土師場物原山と錆谷窯跡、内田系の小峠窯跡と大谷窯跡の4ヵ所が比較的残存状況が良好で、陶器窯跡として代表的なものとして昭和15年に国指定史跡に指定された。平成17年には唐津市の5基の窯跡(皿屋上窯跡、皿屋窯跡、帆柱窯跡、飯洞甕上窯跡、飯洞甕下窯跡)などが追加された。 唐津市街地(町田)にある御茶盌窯跡は御用窯として江戸時代から明治の廃藩まで、それ以降も大正時代まで継続して使用されていた窯である。
16世紀末以降に陶器(唐津焼)を生産した窯跡群。肥前の窯業の歴史は、1580年代頃に朝鮮半島の技術を導入した陶器(唐津焼)の窯が岸岳城(唐津市北波多)周辺にできたことで始まる。間もなく「文禄・慶長の役」での岸岳城主・波多氏の改易による陶工離散や、各大名が朝鮮半島から陶工らを連れ帰ったことにより、その生産地は肥前各地へと拡大した。窯跡はいずれも朝鮮半島の技術に由来する割竹式や連房式の登り窯である。 肥前地域での陶器(唐津焼)の生産は、江戸時代以降も継承されていく一方で、その技術を母体として、この地で日本初の磁器の焼成が開始されることとなる。
【文責】 唐津市唐津焼振興室・武雄市商工観光課
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