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#019 政宗が育んだ“伊達”な文化
おくのほそ道の風景地(木の下及び薬師堂)
松尾芭蕉は古歌の名所、由緒・来歴の地を訪ねて陸奥(むつ)・北陸路を旅し、紀行文学の傑作である「おくのほそ道」を完成させた。芭蕉とその弟子の曾良(そら)が作品に書きとめた風景は近世・近代を通じて人々の風景観に影響を与え続け、今なお往事の雰囲気と遺風を伝える一体の風致景観である。 芭蕉は、つゝじが岡の天神の御社(榴岡天満宮)を訪れた後、木の下の地にある薬師堂に立ち寄っている。この薬師堂は、古代の陸奥国分寺跡に伊達政宗が再興したものであるが、現在の薬師堂や仁王堂、また周辺の社寺林、金堂跡西側に立つイチョウ(推定樹齢390年)などは、芭蕉が訪れた当時の面影を今も伝えている。 古代陸奥国分寺跡の範囲は、現在、国の史跡として指定されている。また、政宗が建立した建物のうち、薬師堂は国指定有形文化財、仁王門は宮城県指定有形文化財、他の江戸時代の鐘楼や准胝観音堂(じゅんていかんのんどう)は仙台市登録文化財となっている。准胝観音堂脇には、芭蕉が仙台城下で訪ねた大淀三千風(おおよどみちかぜ)の門弟によって供養碑(仙台市指定文化財)が建立されているほか、駿河の俳人山南官鼠(やまなみかんそ)による天明2年(1728年)の芭蕉句碑(仙台市指定文化財)も残っており、芭蕉の来仙を踏まえた上での歌枕の名所として意識されていたことがわかる。当地は、芭蕉が訪れた当時の場所が限定されうる風致景観の良好な地である。
古くから歌枕に詠まれた名所で、松尾芭蕉も「おくのほそ道」の中で、訪れたことを記している。
【文責】 宮城県教育庁文化財課
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