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#088 霊気満山 高尾山
八王子車人形および説経浄瑠璃
八王子車人形は、文政8年(1825)に現在の埼玉県飯能市に生まれた初代西川古柳(にしかわこりゅう)(山岸柳吉)によって、江戸時代末に考案されました。文楽系の三人遣いを、「ろくろ車」と呼ばれる車をおさめた箱に腰掛けて操る一人遣いに改良しました。人形の足の踵につけられたカカリを足の指で挟み、右手で人形の右手と人形の左手につけられた輪状の紐、左手で人形の左手と首、さらに指で目・口・眉まで動かします。人形が舞台に直接足をつけて演技が出来るため、独自の躍動感が生まれます。このような構造は世界でも類がないといわれています。 説経節は、もともと仏の教えを説くための仏教の法談などから生まれたといわれています。一時はすたれてしまいましたが、初代薩摩(さつま)若太夫が再興し、人形芝居などと一緒に興行するようになり、江戸で人気を博すようになりました。その後、八王子にも伝わり、現在まで受け継がれています。
八王子車人形は、江戸時代末に考案され、一人の人形遣いがロクロ車に腰かけて一体の人形を繰り演じるのが特徴です。養蚕や織物で発展した八王子の農村部の娯楽として人気を博し、機業家などが熱心に後援しました。 髙尾山薬王院の節分会追儺式(ついなしき)にも参加し、桑都の伝統芸能の魅力を伝えています。 中世から伝わる語り芸能の説経浄瑠璃は、江戸時代中期に三味線芸能として完成され、八王子では人形芝居などと一緒に興行されるようになりました。
【文責】 八王子市文化財課
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