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概要
東海道の興津宿を望む高台にある臨済宗の寺院で、創建は7世紀後半とも伝えられ、幼少期の徳川家康(竹千代)が臨済寺の住職だった太原雪斎から教育を受けた「手習いの間」が残っている。江戸時代、東海道を往来した朝鮮通信使の宿泊施設として使われ、通信使や随員たちの書蹟や絵画など貴重な歴史資料が多数保存されている。
ストーリーの位置づけ
興津宿の西側にあり、鎌倉・室町時代から勢力を誇った、東海道屈指の名刹。徳川家康が幼少時代に教育を受けた「手習いの間」が残るなど、数々のゆかりがある。交通の要衝にあり、朝鮮通信使の宿泊所にもなった。東海道中膝栗毛の弥次喜多は、清見関
(きよみがせき)からの富士山を見ることができず、足どりも重たげに興津宿に向かう。
【文責】 静岡市観光・MICE推進課