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#100 中世日本の傑作 益田を味わう
七尾城跡、住吉神社
七尾城跡は、中世益田の領主益田氏の居城である。 三宅御土居跡の南東約900m、益田川左岸の標高約118mの丘陵上に位置する。東西約400m、南北約600mの範囲に大小40余りの平場が展開し、6つの地区で構成される。大手道は北側に開く馬蹄形の東西尾根の間の谷道を登る。北東端と本丸跡の南東側には畝状空堀群を配し、西側の山裾には水堀跡が巡る。本丸跡では南端で建物礎石と雨落溝跡が、北端で瓦葺き礎石建物の門跡が、二の段跡北端では礎石建物跡、砂利化粧区画を伴う小庭園跡が検出された。 13世紀から16世紀の陶磁器が出土し、中国陶磁器は16世紀の第3四半期が主体で、天正11年の七尾城下城と年代的に符合する。本丸跡と二の段跡は、ハレの儀式で使用したかわらけが90%程度を占め、城主の生活と儀礼の場であったと推定される。
領主益田氏の城跡。全長 600mに及ぶY字状の尾根全体が要塞化された堅固かつ大規模な山城跡。 住吉神社は、中世に妙義寺境内に勧請され、江戸時代に現在の七尾山中腹に移された。 本丸跡からは、城下を見渡すことができる。
【文責】 益田市教育委員会文化財課
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