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#100 中世日本の傑作 益田を味わう
絹本著色益田元祥像
連錢葦毛の馬に乗り、手綱をとる甲冑姿の武将像である。兜、腹巻、大袖、喉輪はすべて銀小札の萌黄縅、籠手、佩楯、臑当は金色という華やかな出立ちである。腰には黄金造梨地家紋蒔絵の太刀をさすが、藤丸に久字の家紋は甲冑や鞍のあちこちに認められる。 像主は益田家第20代当主、益田元祥(永禄元年・1558-寛永17年・1640)である。全牛紹〓大居士は元祥の法名である。元祥はまた「牛庵」とも号したが、箱書には「牛庵様御寿像」とある。益田氏は石見国益田を本拠とし、毛利家と同盟を結び、この元祥の代に永代家老の地位を得ている。元祥は天正元年(1573)に初陣して以来、度々の合戦に功名をあげており、本図はその雄姿をえがいたものと思われる。 本図は武将像として類例の少ない甲冑騎馬像として注目されるが、同時に「直信」印の存在によって狩野松栄(永正16年・1519-文禄元年・1592)の手になる肖像画として特に重視される。 賛文は山口の正宗山洞春寺の住職、如天玄勲(慶安4年・1651没)の手になるもので、彼が同寺住職になった時期から考えて、元祥没後の後賛と考えられ、制作期の判断材料とはならない。筆に若干の震えがあり、松栄の晩年の作と考えられる。 元祥は胸に掛絡をさげている。禅宗に帰依した武将の出陣の装いとしてその心が察せられる。
益田にいた最後の益田家当主元祥の肖像画。狩野松栄の筆で、虎皮が描かれるなど、見どころの多い絵画である。
【文責】 益田市教育委員会文化財課
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