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#100 中世日本の傑作 益田を味わう

まんぷくじ、まんぷくじほんどうつけたりむなふだななまい、まんぷくじていえん、けんぽんちゃくしょくにがびゃくどうず、しょいんふすまえ、もくぞうあみだにょらいりゅうぞう、るぶつさんたいぞう、もくぞうあみだにょらいざぞう、ますだかねみぞう、まんぷくじもんじょ、かなんさんさいつぼ、まんぷくじしいやまぼちごりんとう(でんますだかねみはか)萬福寺、萬福寺本堂附棟札7枚、萬福寺庭園、絹本著色二河白道図、書院襖絵、木造阿弥陀如来立像、流仏三体像、木造阿弥陀如来坐像、益田兼見像、萬福寺文書、華南三彩壺、萬福寺椎山墓地五輪塔(伝益田兼見墓)

  • 有形文化財
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  • 鎌倉時代
  • 南北朝時代
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  • 安土・桃山時代
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  • 島根県益田市
  • 建造物
  • 絵画

萬福寺、萬福寺本堂附棟札7枚、萬福寺庭園、絹本著色二河白道図、書院襖絵、木造阿弥陀如来立像、流仏三体像、木造阿弥陀如来坐像、益田兼見像、萬福寺文書、華南三彩壺、萬福寺椎山墓地五輪塔(伝益田兼見墓) 萬福寺、萬福寺本堂附棟札7枚、萬福寺庭園、絹本著色二河白道図、書院襖絵、木造阿弥陀如来立像、流仏三体像、木造阿弥陀如来坐像、益田兼見像、萬福寺文書、華南三彩壺、萬福寺椎山墓地五輪塔(伝益田兼見墓)

文化財体系 有形文化財/重要文化財/国宝/記念物/史跡/名勝
年代 鎌倉時代
南北朝時代
室町時代
安土・桃山時代
江戸時代
所在地 島根県益田市
分野 建造物
絵画

概要

【萬福寺の共通の説明】 萬福寺は応安7年(1374)に領主益田兼見によって創建され、益田家の菩提寺の一つとなった。時宗寺院。永徳3年(1383)の益田兼見の置文(家訓)に、益田氏として大事にすべき寺院としてあげられている。
【萬福寺本堂】 時宗萬福寺の本堂である。応安7年(1374)の創建で、鎌倉時代の寺院建築の様式をとどめている。天正14年(1586)の再建で瓦葺になったと考えられている。
【萬福寺庭園】 時宗萬福寺の中世に築かれた庭園である。雪舟の作と伝わる。築山と石組みにより仏教の世界観須弥山世界を表現するという。手前の礼拝石から、心字池の真ん中の立石に橋を思い描き、須弥山を眺めるという構図であるとされる。
【二河白道図】 仏教の教えの一つ「二河譬」を表す絵画である。鎌倉時代の作とされる。
韋提希夫人が阿弥陀如来・釈迦如来の導き(白道)により、火の河(怒りや憎しみを表す)・水の河(執着を表す)に陥ることなく、極楽往生を遂げることを表している。
本図は他の二河白道図とは異なり、火の河を右に、水の河を左に描く。これは一遍が二河白道図を東側の壁にかけ、阿弥陀如来が此岸にも姿を現し衆生を導くことを説いたことに対応しており、一遍の思想を最も反映した二河白道図とされる。

ストーリーの位置づけ

1374 年に創建された益田氏の菩提寺の一つ。時宗寺院。美しい本堂は、当時の建築様式をそのまま伝える。
庭園は雪舟の作庭と言われ、医光寺庭園とあわせて、室町の独特の庭園を四季折々楽しむことができる。
このほか、優れた仏像・仏画の数々、益田氏当主の画像、東南アジア貿易への関与を示す華南三彩壺などもあわせて、益田の中世文化の粋が味わえる。

【文責】 益田市教育委員会文化財課

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