京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~STORY #095

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京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~ 京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~
京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~ 京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~
京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~ 京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~
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2026.03.16

一般

琵琶湖疏水に託した元勲たちの思い

明治時代に造られ、現在も琵琶湖の水を京都市内に送り続けている「琵琶湖疏水」。
日本遺産「京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~ 舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき」の構成文化財である第1・第2・第3トンネルの出入口(坑門)に、「気象万千」(千変万化する風景はすばらしい)や「美哉山河」(なんと美しい山河であることよ)など琵琶湖疏水の完成を称える扁額が掲げられています。これら扁額を揮毫したのは、伊藤博文、山県有朋、西郷従道、井上馨、松方正義、三条実美といった明治の元勲たちでした。
いずれも当時の中央政府の中心人物です。琵琶湖疏水の設計・監督を担当した田邉朔郎の回顧によると、京都府から依頼したそうですが、なぜ元勲たちは快く揮毫に応じたのでしょうか。

第1トンネル東口。伊藤博文の揮毫「気象万千」の扁額が残る。

歴史に詳しい方はご存知の通り、幕末の京都は政争の中心地でした。西郷隆盛や坂本龍馬、新撰組などの活躍はテレビドラマや映画、小説、漫画などでお馴染みと思います。しかし、動乱に巻き込まれた京都の人々は、大きな困難に直面しました。元治元(1864)年7月の禁門の変(蛤御門の変)で多くの家屋や寺社が焼失し、明治2(1869)年の事実上の東京遷都で京都を去る人が相次ぎ、まちは活気を失いました。
琵琶湖疏水は、琵琶湖の豊富な水資源を京都の経済復興と近代化に活用しようという一大プロジェクトでした。それは京都だけにとどまらず、近隣の滋賀や大阪、ひいては東京の中央政府も注目する事業だったのです。その象徴が扁額です。
琵琶湖疏水の建設を計画した第3代京都府知事の北垣国道と元勲たちとの関わりは、北垣が若かりし頃にさかのぼります。北垣は、但馬国養父郡能座村(現在の兵庫県養父市)の庄屋の家に生まれました。幼い頃から聡明な人で、青年になると京都に出て尊王攘夷運動に参加しました。しかし、文久3(1863)年10月の武装蜂起(生野の変)に失敗し、鳥取藩に身を寄せました。その後、北垣は鳥取藩士となり、江戸の長州藩邸などに潜伏して長州藩とともに活動しました。
のちの元勲たちとの信頼関係は、その頃に培ったのかもしれません。疏水の建設にあたり、北垣は、東京に赴いて彼らに計画を説明し、支持を得ています。京都は千年もの長きにわたった都であり、元勲たちにとっても多かれ少なかれゆかりの地でした。衰退の危機に直面している京都のまちを復興させたいという北垣の思いに深く共感したのかもしれません。

第2トンネル東口。井上馨(初代外務大臣)の揮毫「仁以山悦智為水歓」(仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶ)の扁額が残る。

揮毫の文字は、「篆書」とよばれる古代中国で標準化された書体です。実印などのハンコや書道作品でよくみられますが、たいへん難しい書体です。のちに田邉は、
「篆書と云ふものは御承知の通り素人に書けるものではありません。(中略)其中で唯一つ三条さんの書かれたものは三条さんが本当にお書きになったものです。三条さんはよく稽古をして居られました」
と述べています(『疏水回顧座談会速記録』)。三条は公家ですので、平素の修養で身につけていたのでしょう。伊藤も練習していたそうで、ほかの元勲はどうだったのかは分かりませんが、それぞれが揮毫したものと伝わっています。それぞれの文言に込めた京都復興への思いに違いはなかったはずです。

第3トンネル西口。三条実美の揮毫「美哉山河」(なんと美しい山河であることよ)が残る。

令和7(2025)年8月、第1・第2・第3トンネルは、蹴上インクラインや南禅寺水路閣とともに近代の土木構造物として初めて国宝に指定されました。毎年春と秋の行楽シーズンに運航している「びわ湖疏水船」に乗船すると、これら扁額を間近で見ることができます。疏水沿いの美しい眺めを楽しみながら明治の先人たちの思いに触れてみるのはいかがでしょうか。

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