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#096 女性とともに今に息づく女人高野

じそんいんのけんぞうぶつぐん慈尊院の建造物群

  • 有形文化財
  • 重要文化財
  • 平安時代
  • 室町時代
  • 和歌山県九度山町
  • 建造物

慈尊院の建造物群 慈尊院の建造物群

文化財体系 有形文化財/重要文化財
年代 平安時代
室町時代
所在地 和歌山県九度山町
分野 建造物

概要

弘仁7年(816)、弘法大師空海が高野山参詣の要所にあたる地に、表玄関として創建されたのが慈尊院の始まりで、高野山の寺務を司る政所を置き、高野山参詣者の宿泊や冬期の避寒修行の場とされた。高野山をひと目みたいとの思いで空海の母が四国の善通寺より息子を訪ねたものの、その時代の高野山は七里四方を女人禁制としていたため入れず、山麓にあるこの寺院へ迎えられた。翌年、母は83歳で逝去されたため、空海は母のために弥靭堂を建て、弥勒仏坐像を安置。慈尊とは弥勒菩薩の別名で、これより慈尊院と呼ばれるようになった。この物語は『紀伊国名所図会』に「母公は弥勒慈尊の垂迹とか聞こゆ。それより慈尊院を通称とす」と紹介されている。慈尊院はかつて、紀の川畔に建てられていたが天文9年(1540)の洪水により、現在の小高い地に移転されたと伝わる。



ストーリーの位置づけ

高野山の麓の樹々に囲まれ、堂宇とともに厚く築かれた築地塀が景観の主要な構成要素となっている。承安3年(1173)に再建された弥勒堂は重文で和歌山県内最古の建造物であり、その前に拝堂が建てられている。

【文責】 九度山町教育員会 社会教育課

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