ああ文字サイズ
EN
条件を絞り込む
地域から見る
文化財体系から見る
分野から見る
さらに絞り込む
条件をリセット
#104 八代を創造(たがや)した石工たちの軌跡
麦島城跡(八代城跡群)
天正16 年(1588)、小西行長が、重臣の小西行重に命じて築かせた城。築城当時、城の北側は大きな入り江で、中世以来の貿易港であった徳淵の津に近いなど、水運や交易に適していたことからこの地に築かれたとされる。九州最古の織豊系城郭の一つで、石灰岩の自然石を用いた野面積みの白い石垣が特徴である。元和元年(1615)の一国一城令の中で、熊本城と一国二城が許されたが、同5 年(1619)の大地震によって倒壊したと考えられている。
天正 16 年(1588)、キリシタン大名小西行長が築城した城で、石垣に八代で産出する石灰岩が用いられている特徴がある。元和 5 年(1619)に大地震によって倒壊し廃城となったが、その後、石垣の多くは八代城築城の際に転用された。現在も石垣の一部を見ることができ、石工の活躍だけでなく 400 年前の震災の記憶を今に伝えている。
【文責】 八代市文化振興課
ストーリーを読む
Google mapで見る
文政神社
水島(不知火及び水島)
八代城跡(八代城跡群)
大鞘節/大鞘名所
岩永三五郎の墓
すべてを見る
日本遺産を探すClick here!