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2024.06.26

特集

日本遺産巡り#37◆日本磁器のふるさと 肥前 ~百花繚乱のやきもの散歩~

日本の磁器のはじまりと変遷を見つめ、
人々の技術と意志を未来へ。

日本有数の陶磁器生産地・肥前(佐賀県・長崎県)。 
約400年前、佐賀県の有田町で磁器の材料となる良質な陶石が見つかり、日本初の磁器が誕生しました。 
肥前の各藩の職人たちは切磋琢磨しながら、それぞれの個性が際立つ磁器を次々と生産。 
現在もこの地には、歴史ある窯が立ち並ぶ景観の中に、磁器づくりに携わる人々の思いが息づいています。 
 
この地でのやきものの発展の歴史と、現在に受け継がれた技術や文化を知り、肥前のやきものの魅力をより深く味わいましょう。 
海の向こうの美しい器への憧れは、日本の多種多様な磁器生産の原動力。

佐賀県立九州陶磁文化館は、肥前をはじめ九州各地の陶磁器を約3万点収蔵・展示する、やきもの専門のミュージアムです。 
ここでは学芸員の宮木貴史さんに有田焼を中心に解説していただきながら、この地の磁器生産の発展の歴史を辿っていきます。 
 

学芸員 宮木貴史さん

宮木さん:「茶の湯」が流行した安土桃山時代ごろから、中国や朝鮮半島から輸入された陶磁器が人気を集めていました。
その後、16世紀末の豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で、肥前の大名たちが現地の陶工を連れ帰ってきたことにより、肥前の各地で、海外の技術を用いたやきものづくりへの意欲が高まっていきます。 
肥前では、朝鮮出兵より少し早い段階から既に、唐津焼と呼ばれる陶器のやきものを作っていました。 
陶器と磁器の違いは材料。陶器は身の回りで採れやすい「陶土」から作られるのに対し、磁器には「陶石」が必要で、これまでは安定して採掘できる場所が見つかっていませんでした。 
しかし有田では幸運にも、陶石が大量に採れる磁石場が、朝鮮出身の陶工・李参平(りさんぺい/日本名:金ヶ江三兵衛)によって泉山で発見されたと言われています。これにより磁器の大量生産が可能となり、佐賀藩の主導によって有田が磁器の生産地として大きく発展していくことになります。 

宮木さん:最初期の有田焼から、技術の進歩を見ていきましょう。こちらをご覧ください。
皿が積まれた状態で焼かれて、くっついてしまっています。
この時期はまだ唐津焼がさかんに作られていて、磁器である有田焼が、陶器である唐津焼と同じ窯に入れられていました。
これは朝鮮半島の民間の窯で行われた焼き方と同じで、重ね積みをすることで、一度の焼成で大量にやきものを作ることができるのですが、焼き上がってから剥がすとどうしても傷が残るので、見た目の美しさは問わず、あくまでも安く作るための方法だったと思われます。 

染付(そめつけ・素地に青色の顔料で図柄を描く技法)による初期の有田焼です。
裏表にある黒い跡からは、やきものが重ねられて焼かれていたことが読み取れます。
宮木さん:日本では技術が未発達の段階から、このような染付のやきものが作られたのですが、実は、技術のルーツとなった朝鮮半島では、染付は一部の宮廷用以外では作られず、基本的には図柄のないものばかりでした。
ではなぜ日本で染付が用いられたかというと、当時の日本人が憧れた海外商品は、中国の華やかな染付のやきものだったからです。中国では「青花」と呼ばれる白地に青の美しいやきものは、日本のみならず世界から需要があったと考えられます。 
その後、日本の職人たちが中国の技術を取り入れていく中で、やきものの質がどんどん高まっていったといいます。

宮木さん:こちらは、有田で磁器づくりが始まってから約30年後の作品。急速な技術の進歩が感じられますよね。
文様を見ていただくと、青だけでなく、赤・黄・茶…とても色鮮やかです。
これは色絵(赤絵・上絵ともいう)と呼ばれる、釉薬の上から色絵具で文様を描く技法です。
初めは中国のやきものをモデルに品質向上を追求していましたが、中国の内乱による輸入激減の影響で、17世紀中頃から日本独特のデザインが広まっていきました。
17世紀後半には、肥前の磁器はさらなる発展を遂げ、「柿右衛門様式」と「鍋島様式」という双璧が完成します。
 

宮木さん:初代酒井田柿右衛門とされる喜三右衛門は、最初に有田焼に色絵を取り入れたと言われています。
柿右衛門様式の特徴の一つは、濁手(にごしで)と呼ばれる真っ白の素地。
通常の有田焼は、染付できれいな色を出すために、少し青みがかった素材を使うのに対し、柿右衛門様式では濁手の白の美しさを重視し、染付を使わず、色絵のみで華やかな文様を描きます。
こうしたデザインは海外からの人気が高く、多くは輸出用の商品として生産されました。
中国の内乱の影響で中国磁器の輸出が途絶えたタイミングで、オランダ東インド会社によって日本の有田焼がヨーロッパへと出回り、宮殿などの装飾品として絶大な人気を誇ることになります。 

宮木さん:一方で鍋島様式は、佐賀藩直営の御用窯で生産されました。
海外向けの商品ではなく、主に将軍家への献上品として作られていたもので、当時の最高水準の技術を持った職人たちが手がけた、採算度外視の最高級品です。鍋島様式の中でも特にランクの高い「色鍋島」は、染付の青を下絵として、赤・黄・緑の色絵を重ねて繊細な文様を施しているのが特徴。かなりの手間暇をかけて作られていることがわかります。
宮木さん:補足になりますが、柿右衛門様式や鍋島様式を除く江戸期の有田焼を総称して「古伊万里」と呼ぶことがあります。
これは有田焼がかつて、伊万里港から渡ってくるやきものとして「伊万里焼」と呼ばれていたことに由来します。
しかし現在では基本的に、有田で作られたものは有田焼、武雄で作られたものは武雄焼、というように産地ごとの呼び名になっています。

宮木さん:今日は有田焼を中心にお話ししましたが、有田の泉山で磁石場が発見されてからほどなく、肥前の各藩の土地でも陶石の採掘が進められ、磁器生産の技術が発達してきました。
例えば、佐世保では「三川内焼」、波佐見では「波佐見焼」、嬉野では「肥前吉田焼」や「志田焼」が有名です。
その土地で手に入る材料の特徴を活かし、有田焼との差別化を図るためにさまざまな工夫を重ねた結果、それぞれの特色を持ったやきものが生み出されていったことは大変興味深いものです。 
これほど多様な種類のやきものが同時に楽しめる地域は他にありません。ぜひ多くの人に、肥前の職人たちの400年にわたる技術の研鑽を知っていただき、各地でやきものめぐりを楽しんでもらえればと思います。
【佐賀県立九州陶磁文化館】
住所 佐賀県西松浦郡有田町戸杓乙3100-1
アクセス JR有田駅から徒歩12分、車で4分
波佐見有田ICから車で10分
武雄北方ICから車で30分
九州佐賀国際空港から車で1時間15分

佐賀県立九州陶磁文化館のサイトはこちら

400年の歴史を支えた肥前の陶工たちの足跡をたどる。
肥前のやきもののはじまりと、歴史の変遷を読み解くための貴重な文化財が各地に残されています。

泉山磁石場(有田町泉山) 

佐賀県 文化・観光局文化課の志水さん(右)、樋渡さん(左) 

ここからは佐賀県 文化・観光局文化課の志水さん、樋渡さんに案内していただきながら、各スポットを見学し、当時の職人たちの仕事に思いを馳せていきます。

志水さん:ここは17世紀初頭、朝鮮出身の陶工・李参平(りさんぺい/日本名:金ヶ江三兵衛)によって発見されたと言われている磁石場です。
陶器から磁器へ、有田のやきもの生産に変革をもたらした場所。
広大な土地の中にそびえ立つ岸壁を眺めてみると、これまでに一体どれだけの量の陶石が採掘されたのかと、そのスケール感に圧倒されます。
400年続く磁器生産の原点としてのパワーを、ぜひこの場所で感じてみてください。

天狗谷窯跡(有田町白川)

樋渡さん:ここは有田が磁器を中心に生産するようになった最初の頃の窯跡で、金ヶ江三兵衛ゆかりの窯だったとも言われています。
斜面に階段状に作られたものを「登り窯」といい、この場所での発掘調査で少なくとも4基以上が確認されているそうです。
ここで見られるのは、21室の焼成室を有した、全長70m、高低差21mと、当時の最大規模の登り窯。有田焼がいかに重要な産業であったか、この大きさを見ると改めて実感できますね。 

飛龍窯(武雄市武内町)

唐津焼の一大産地だった武雄市には、古窯跡が点在しています。
この飛龍窯は、昭和20年代初めまで使われていた登り窯を参考に建設。
全長23m、世界一の容積を誇る連房式の登り窯となっており、一度に約12万個の湯飲みを焼成することができるそう。
窯がある竹古場キルンの森公園内には、一般の方も利用可能な登り窯や、ろくろ体験ができる工房があり、当時の職人の気分を味わえます。
 
【泉山磁石場】
住所 佐賀県西松浦郡有田町泉山1-5
アクセス JR上有田駅から徒歩15分
JR有田駅から車で8分
波佐見有田ICから車で10分

泉山磁石場の情報はこちら

【天狗谷窯跡】
住所 佐賀県西松浦郡有田町白川
アクセス JR上有田駅から徒歩20分
JR有田駅から車で7分
波佐見有田ICから車で10分

天狗谷窯跡の情報はこちら

【飛龍窯】
住所 佐賀県武雄市武内町大字真手野24001-1
アクセス JR武雄温泉駅から車で15分、武雄北方ICから車で20分

飛龍窯工房の情報はこちら

志田焼の里博物館(嬉野市塩田町) 

志水さん:18世紀に入り、嬉野市の志田地区で生産が始まったのが志田焼です。
その特徴は、人物や動物を戯画的に表現した染付作品が多く見られること。
幕末の全盛期には、5つの登り窯によって皿類が大量生産されました。

ここ、志田焼の里博物館は、大正3年から昭和59年にかけての志田焼の工場が当時のそのままの姿で残る、歴史的価値の高い施設なんですよ。 

館内では石の粉砕機や釉薬の調合場、石膏型の成形場などの貴重な資料が見られるほか、大型の火鉢を焼成するための大きな石炭窯も解放されており、窯に入って中の様子を観察することもできます。 

現在はこの施設を活用し、ろくろや絵付け体験などのイベントが行われています。
【志田焼の里博物館】
住所 佐賀県嬉野市塩田町久間乙3073
アクセス 武雄北方ICから車で10分
嬉野ICから車で25分
JR武雄温泉駅から祐徳バス鹿島祐徳神社行き乗車、西山バス停下車すぐ

志田焼の里博物館のサイトはこちら

まちを歩き、磁器の美との出合いを楽しむ。
時代を超えて歩みを止めず、現在も磁器生産の一大産地として存在感を放つ肥前。 
歴史ある町を歩き、さまざまな器を手に取ってその美しさを堪能しながら、現代に受け継がれた磁器の魅力を探究してみましょう。

肥前吉田焼窯元会館(嬉野市嬉野町)

樋渡さん:嬉野市の山間にある吉田皿屋地区は、古くから磁器製造を行ってきた集落です。
有田焼とは違った個性で発展を続け、現代では日常使いの器を多く生産しています。
例えば、レトロな水玉模様の器などは、一度は目にしたことのある人も多いかもしれませんね。
ここ、肥前吉田焼窯元会館では、各窯元の代表的な商品を展示販売しています。建物のインテリアにも各窯元の作品が取り入れられていて素敵です!
志水さん:吉田地区では、一般に規格外品とされる、黒点やピンホールなどがある商品を、各窯元が割引で販売する「えくぼとほくろ」という企画を実施しています。肥前吉田焼窯元会館でも購入できるので、ぜひチェックしてみてくださいね。
 
【肥前吉田焼窯元会館】
住所 佐賀県嬉野市嬉野町吉田丁4525-1
アクセス 嬉野ICから県道41号経由 車で約10分
JR肥前鹿島駅から祐徳バス嬉野温泉行き(吉田経由)乗車、上皿屋バス停下車徒歩2分
JR嬉野温泉駅から車で約7分

肥前吉田焼窯元会館の情報はこちら

秘窯の里 大川内山(伊万里市大川内町)

樋渡さん:ここ大川内山は、かつて佐賀藩の御用窯が置かれていた場所。技術が外に流出しないようにと厳しく管理されていたことから「秘窯の里」と呼ばれるようになったんです。この地で生みだされた格調高い磁器は「鍋島様式」「鍋島焼」と呼ばれ、現在も約30の窯元が伝統の製法を守り受け継いでいるんですよ。 
 

町の玄関口には、人の出入りを管理するために設置された旧関所跡があり、その周辺には川の水流の力で陶石を砕く唐臼小屋、陶工の無縁墓など、窯元のまちならではの景観が続きます。
春は桜、秋は紅葉と、季節ごとの自然を楽しみにやってくる観光客も多いそう。 
メインの通りにはレンガ造りの煙突や窯元の直販店がひしめき合っています。

志水さん:窯元によって扱う商品の特徴はさまざまです。
高級な美術品から日常使いのモダンな器まで、目的に応じた磁器を必ず見つけ出すことができますよ。
このエリアを歩くだけで一日が過ぎてしまうほど、見どころが多いスポットです。
ぜひ、いろいろな器との出合いを楽しんでください。
【秘窯の里 大川内山】
住所 佐賀県伊万里市大川内町乙1806(伊万里鍋島焼会館)
アクセス 武雄北方ICから車で30分
東府招ICから車で20分
JR伊万里駅から車で15分(バスあり)

秘窯の里 大川内山の情報はこちら

過去から未来へ、古伊万里の色を究め、継承する人々の思い。

源右衛門窯(有田町丸尾) 

磁器職人の技について知るために訪れたのは、有田で260年以上の歴史を持つ窯元「源右衛門窯」。
代表取締役社長の金子昌司さん、営業部長の金子源太郎さんにお会いし、工房をご案内いただきました。
 

代表取締役社長の金子昌司さん(右)、営業部長の金子源太郎さん(左)


昌司さん:現在、有田には100軒近くの「窯焼(かまやき・有田での窯元の呼び方)」があると言われますが、昔ながらの手仕事が特に色濃く残るのが源右衛門窯です。
当時のまま使われている細工場(さいくば・有田焼の作業場のこと)での仕事の様子を、じっくりとご覧になってください。
有田焼生産の特徴は、それぞれの工程を別の職人が担当する「分業制」だといいます。源右衛門窯の細工場では素地づくりや成形、施釉、絵付け、焼成まで、30人以上の職人が分担して一貫生産を行っています。 

昌司さん:職人の中で一番多いのが絵付けに携わる人です。大きく分けて、施釉前の素地に呉須(ごす)という藍色の絵の具で絵付けをする染付(下絵)・本焼成後に多彩な色を用いる上絵の2つの工程があり、その中でも線描きをする人、濃み(だみ・中を塗りつぶす)を担当する人など担当が細分化されています。 

焼き上がりをイメージしながら、職人さんたちが素早く正確に絵柄をつくりあげます。そのなめらかな筆さばきは見飽きることがありません。
 

昌司さん:染付の「呉須(ごす)」と呼ばれる青色の顔料は、江戸時代までは中国から輸入した天然の絵の具を使用していました。
しかし明治にヨーロッパの技術が伝わってくると、コバルトや鉄、マンガンなどを調合して、自分たちで色を調合するようになります。
その流れは現在まで続き、源右衛門窯ではすべての呉須の色を市販の絵の具に頼らずに独自開発し、モチーフに応じて色を使い分けています。 
昌司さん 伝統的なものづくりを行う上では、天然の材料でつくる方がいいのかもしれません。
しかし、自分たちで調合するからこそ職人の理想とする色に近づくことができ、他の窯の作品と異なる個性や価値になります。たとえ材料や方法が変わっても、よりよい製品を追究する思いは、江戸時代から変わらず持ち続けています。
 

絵付けの様子

上絵付けの工程。職人さんたちが釉薬の上から上絵の具を重ね、絵柄を完成させます。

昌司さん:源右衛門窯のデザインの柱のひとつは、江戸時代にヨーロッパに流通した古伊万里様式です。かつて、時代の流れと共に一度廃れてしまっていたものを、先代の父が国内外のさまざまな資料をもとに復元しました。重要なのは、ただ再現するのではなく、時代のニーズに合わせてアレンジを加えながら、という点です。

昌司さん:源右衛門窯では、戦後すぐまでは料亭などの業務用の食器を中心に生産していました。
しかし、高度成長期に百貨店が家庭用食器を扱うようになると、先代はその市場の変化に対応するため、古伊万里様式を継承しつつ、一般家庭が好むモダンなデザインを取り入れるようになっていったのです。
私も父の思いを受け継ぎ、製品のデザインを手がけていますが、時代のニーズに合った食器、という視点は常に大切にしています。
時代の変化に対応しなければならないのは今も同じだと昌司さんは言います。その一例が、「色」の追究です。

昌司さん:古伊万里様式の上絵の具の特徴は、少し表面が盛り上がった立体感のある表情と透明感です。しかし、その成分に含まれる鉛が、現代では食品衛生法の基準が厳しくなるとともに、使用することが憚られるようになってきています。

染付の呉須と同様、私たちの思いは、源右衛門窯が受け継いできた独自の色を大切にしたいということ。そのため、研究機関と共同で、鉛を使わずに理想的な発色が可能となる絵の具の開発を行ってきました。
 

焼き付けて作られた色見本

鉛を使わず、かつての古伊万里を再現した色。
絵の具の開発には、次代を担う若い職人さんが中心となって取り組んできたそう。
妥協を許さずものづくりを追究する姿勢は、作業に向き合う職人さんたちの背中と、細工場にずらりと並んだ作品一つひとつからも感じ取れます。

本窯 

源右衛門窯で受け継がれてきた「薪窯」です。現在はガス窯をメインで使用しつつ、今でも年に数回はこちらの薪窯を使って本焼成を行っているといいます。

昌司さん:薪窯での焼成は、ガス窯と違って炉内の温度分布や還元濃度の調整が難しく、ムラなく焼き上げるには高度な技術が必要です。
製品として、わずかな個体差も厳しい目で評価されるようになっている現代においては、不向きな手法とも言えるでしょう。
それでもこの技術を職人たちに伝えているのは、代々大切に守り続けてきた薪窯をここで廃れさせたくないから。
私たちと同じように現在も薪窯を使っている窯元は、他に数軒ほどしかありません。
いずれの窯も、次の世代に伝統を受け継いでいきたいという願いは同じだと思います。
ありがたいことに、情報が入手しやすくなった現代では、地元だけでなく全国から優秀な職人の卵が集まってきます。若い感性も存分に活かしながら、昔ながらのものづくりの魅力を味わい、極めていってほしいですね。

展示場

最後に、敷地内にある展示場を案内していただきました。 
 
源太郎さん:先程、社長の話にもあった通り、源右衛門窯の製品の多くは家庭用食器として作られています。
お客様にはテーブルに並べたときの組み合わせを楽しんでいただけるように、手仕事ならではの豊かな表現によって、多様な製品を生み出しています。 
 
直販店や百貨店だけでなく、オンラインでも販売しているので、ぜひいろいろな製品をご覧になっていただきたいと思います。

昌司さん:ショールームには、手の込んだデザインの器はもちろん、現代的な器も揃えています。

このバリエーションの豊かさは、職人の数が多い源右衛門窯だからこそ。
その時代の流行を丁寧にキャッチしながら、どんな器ならより多くのお客様に喜んでいただけるか、今後も、窯の職人たちとともに考えていきたいと思っています。
【源右衛門窯】
住所 佐賀県西松浦郡有田町丸尾丙2726

源右衛門窯のオンラインショップはこちら

終わりなき“精緻”の追究。三川内の職人のまなざしの先にあるもの。

三川内焼美術館(佐世保市三川内本町) 

佐賀を出発し、向かったのは隣の長崎県。かつて平戸藩の御用窯が置かれた佐世保市三川内です。 
 

三川内焼は、白磁に青の繊細な染付、そして技巧姓の高い透かし彫りなどの細工技術が特徴の磁器。
主に将軍家への献上品として採算度外視で作られ、かつてはその製法は門外不出でした。19世紀に入り輸出が始まると、海外からもその技術力が高く評価されるようになりました。 
代表的な図柄は、幸福の象徴である中国の子ども「唐子」。
17世紀中頃、御用窯の絵師が明の染付から着想し考案したとされ、唐子が松の下で蝶と戯れる構図などが有名です。
三川内焼美術館では、江戸から昭和、そして現代に至るまでの作品が集められ、三川内焼の歴史を一望できます。 

【三川内焼美術館】
住所 長崎県佐世保市三川内本町343
アクセス 三川内ICから車で約5分
佐世保駅前から伊万里方面バスに乗車、三川内支所前で下車後、徒歩約1分

三川内焼美術館のサイトはこちら

次はこちらの唐子が描かれた作品を制作した、平戸松山窯の当主、中里月度務さんのもとを訪ねます。

平戸松山窯(佐世保市三川内町) 

江戸時代以来、三川内焼を牽引してきた窯元の一つが平戸松山窯です。当主の中里月度務さんに、400年に渡り紡がれてきた技術の継承についてお話を伺います。 
 

当主 中里月度務さん 

中里さん:三川内焼の特徴のひとつは、繊細な筆遣いによる染付です。
見ての通り、かなりの細い線で描くので、一つひとつの絵柄を完成させるのに時間がかかりますし、線の強弱を変えて奥行きや動きを表現するといった技術の習得には、相当の年月を要します。
現在、この工房で活躍している絵描きは5人。
ギャラリーに並んでいる器を見るときは、背景にある職人たちの努力を思い浮かべてもらえるとうれしいですね。
「”細部に行き渡る丁寧な仕事“は、三川内焼の窯がずっとこだわらんばいかん部分やけん」と中里さん。

中里さん:もうひとつの特徴は彫りになりますが、これもかなり時間がかかります。
基本的には一人で行う作業なので、少数または一品ものの特注品として、料亭などから依頼を受けてから作ることになります。 
例えばこの大きさであれば、1日がかりで彫り続けても、一つあたり3日近くかかると思います。 
 
深く模様を彫る作品は、刃を入れる回数を重ねなければならず、より時間がかかるといいます。
 
中里さん:私が彫りを習得したきっかけは、絵の背景に彫りを用いたかったからです。
何十年もずっと絵を究め続け、ありがたいことに、職人として一定の評価をいただけている実感もありました。
しかしあるとき、それだけではない新しいことがしたくなった。
染付そのものは三川内だけでなく、他の磁器産地にもある。三川内ならではの表現をより多くのお客様に楽しんでもらい、高度な技術を知ってもらうには、細工物を取り入れるのがよいのではないか。

こうした発想から、平戸松山窯ではやってこなかった絵と彫りの組み合わせを始めるようになりました。
大量生産をする大きな窯元では、おそらくここまで手間暇のかかる作品づくりはできません。
小規模の窯だからこそ、こういった試みにも柔軟に挑戦し、技術を磨くことができたんです。

「数がつくれないから、商売には向かない。けれども、作りよる人間がそういうことが好きやけん、仕方ない」と中里さんは笑って話します。
 

中里さん:今では息子にも絵や彫りの技術を伝えています。
一朝一夕で身につくものではないですが、息子なりに工夫を重ねながら、若者らしい感性でものづくりに取り組んでいるようです。
これは実際に息子が作った食器です。
色絵染付を取り入れたカラフルなデザインが、特に若い世代のお客様に好評を頂いていて、私もこうした発想力からは新鮮な学びを得ています。
中里さん:こちらの大皿は、松の下で遊ぶ唐子を描いた、江戸時代から続く伝統的な絵柄と構図の作品です。
一方で、隣のティーカップなどは、伝統的な技法はそのままに、唐子たちをより現代的に、生き生きと自由な構図で描いたもの。より多様な人の感性に届くように、私自身も常に新たなチャレンジを続けています。  

「唐子は“かわいい”って言わせんば、職人として負けね」と、中里さんはそのこだわりを語ります。
 


中里さん:職人たちはどんどん成長していっていますが、私自身まだまだ、絵の技術を追究する思いは止めていません。新しい挑戦も大切ですが、私の中の原点であり目標は、常に先人たちのものづくりです。その境地を追い求め続けるとともに、次の世代にプレッシャーを与えられる職人でありたい。背中をいつまでも追いかけてもらえる職人でありたいと思っています。
【平戸松山窯】
住所 長崎県佐世保市三川内町901

平戸松山窯のオンラインショップはこちら

肥前の各地にちりばめられた、400年にわたる職人たちのものづくりへの思い。 
確かな技術が脈々と受け継がれ、時代の流れとともに、さらなる進化を遂げています。 

長い歴史があるからこそ私たちの心に響く美しい磁器の数々を、この地を訪れ、直接見て、触れて、味わってみてはいかがでしょうか。 
 
【本稿で紹介した構成文化財】 大川内山(秘窯の里)
志田焼の里博物館(旧志田陶磁器株式会社工場)
飛龍窯
肥前磁器窯跡(天狗谷窯跡)
泉山磁石場
三川内の磁器製作技術(唐子染付)

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