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2024.06.26

特集

日本遺産巡り#36◆出雲國たたら風土記 ~鉄づくり千年が生んだ物語~

奥出雲の文化は、たたら製鉄から始まった――。
千年の物語を辿る旅へ。

練り上げた土で炉を築き、木炭と砂鉄を交互に入れて大きな炎を上げ続けること3日3晩、炉を壊すと現れる灼熱を帯びた巨大な鉧(けら)。 
 
金屋子神(かなやごかみ)により伝えられたとされる「たたら製鉄」は、千年以上前からの古来の技と心をそのままに、奥出雲の地で大切に伝承されています。 
 
砂鉄約10トン、木炭約12トンからできる鉧は約3トン。そこから取れる玉鋼は約1トン。近代製鉄ではつくることができない、この純度の高い玉鋼を使ってつくられるのが「日本刀」。 
 
かつては、砂鉄を採るために山肌を切り崩し土砂を流す鉄穴流しが禁止されたことがありながらも、たたら製鉄が大きく発展し、農鉱工一体の奥出雲農村へと進化した背景とは。仁多米や出雲そば、奥出雲和牛などの「奥出雲ブランド」を生み出すことができた理由とは。 
 
奥出雲文化の始まりと言える「たたら製鉄」。 
その物語を辿ると、現代が目標とする持続可能な産業につながるヒントがありました。 
古代より燃え続けるたたら製鉄の炎。
現代に継ぐ悠久の歴史と知恵に思いを馳せる。

和鋼博物館(わこうはくぶつかん)

まずは、日刀保たたらの操業風景を大スクリーンで。
たたら製鉄の物語を辿る時、最初に訪れてほしいのは和鋼博物館(わこうはくぶつかん)です。JR安来駅から徒歩で行くこともできますが、この後にさまざまな場所を巡るのならばレンタカーの利用がおすすめ。広い駐車場を囲むように、図書館も併設された大きな施設が建っています。 
今回案内してくださったのは、館長の荒川優司さんです。

館長の荒川優司さん

荒川さん:まずは、たたら製鉄の全体像を理解しやすい映像を見てください。 
 
通された映像ホールは、中規模の映画館ほどの広さ。15分ほどの映像には、日刀保たたらにて毎年1月に操業されるたたら製鉄の様子が、臨場感たっぷりに収められています。 
 
『ノロの出る量を、多すぎず、少なすぎず、調整するのも村下(むらげ)の重要な役目です』 
映像の中でそう語るのは、村下(技師長)の1人である木原明さん。
轟轟と燃え上がる炎に顔を赤く照らされ、鋭く厳しい目で炉を見つめ続けます。3日3晩、村下の五感と経験による判断のもと過酷な作業が進められ、ついに4日目の早朝、送風を止めて炉を崩す――巨大な鉧が姿を現すシーンには、ぐっと胸を打たれるものがあります。
最後に作業員みんなで金屋子神に向かって二拍手、礼をする厳かな姿からは、古来より伝わるたたら製鉄の信仰を感じて、思わず息をのみました。 
 
『人間力でつくりあげた鉄』 
『これぞ神業』 
『万物の恵みを生かす、知恵と技は日本人の誇り』 
『平和への祈りを込めて』 
 
――こうした言葉で映像が締めくくられる意味は、この先の旅で実感できるようになります。 
 
荒川さん:最後の言葉、いいでしょう。 

きっと何度もこの映像を見ているであろう荒川さんが改めて感動している様子からも、たたら製鉄が伝えるものづくりの本質への興味が広がります。 
先人の知恵と、ものづくりの本質。
貴重な展示物が、その技と心を伝える。

天秤鞴(てんびんふいご)

映像ホールを出ると、たたら製鉄用具(国指定重要有形民俗文化財)などが常設されている展示室へ。

中央には、永代たたらの炉が再現され、その脇には国内に数機しか現存しないという天秤鞴(てんびんふいご)のうちの2機も展示されています。
たたら炉を中心に館内をぐるりと回ろうとすると、まず目に留まるのは遺跡や砂鉄埋蔵の分布図です。
和鋼博物館がある安来市は、733年に完成した「出雲国風土記」によると、スサノオノミコトがこの地を通り「吾が御心は安平(やす)けくなりぬ」と言ったことから「安来」と名付けられたそう。これには諸説ありますが、スサノオノミコトは現在の奥出雲町に降り立ってヤマタノオロチを退治し、その尾から剣が出てきたという神話があるため、これらの資料からたたら製鉄の物語の始まりを知ることができます。 

さらに鉄穴流し風景図、高殿(たかどの)の模型や各種の操業用具が展示されており、この地で製鉄産業が栄えた理由やたたら製鉄の基本を知ることができます。

砂鉄採取のジオラマ

川で砂鉄をすくう様子

操業用具の展示

荒川さん:どじょうすくいの由来を知っていますか?  
 
ふいに質問されて驚きます。 
 
荒川さん:砂鉄を採るために山肌を切り崩し土砂を流す鉄穴流しは、ふもとの農地に悪影響を与えるため1613年から禁止されましたが、松江藩の政策により1637年に解禁されました。その時には、鉄穴流しは水路やため池を通して砂鉄の純度を高めていく仕組みへと改良され、砂鉄採取は秋の彼岸から春の彼岸までと時期が決められていたのですが、製鉄には砂鉄がたくさん必要です。そこで人々は禁止されている時期も川に入り、どじょうすくいと称して砂鉄を集めていたと言い伝えられているのです。実は、魚の“どじょう”ではなく“土壌”をすくっていたのではないか、ということですね。 
 
なるほど、安来節がユニークなどじょうすくい踊りとともに有名だったり、お土産屋さんにどじょうすくいが描かれた饅頭などが売っていたりするのはそういうことかと納得です。 
 
奥へ進むと、製鉄の神さまとして信仰されている金屋子神が描かれた掛け軸が。 

荒川さん 金屋子神は女性の神さまとして信仰されていますが、これも諸説あります。まずは、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と同神ではないかという説。目一箇は一つ目(片目)の意味で、炉の火を凝視したためと言われています。他には、一目連(いちもくれん)と同神とする説もあります。 
 
……ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪を思い出した人も多いのでは?こうした言い伝えには、共通するストーリーがあるのかもしれません。
 
言い伝えの面白さを噛みしめながらさらに回ると、たたら製鉄の生産物である鉧や、特級から三級まで分別された玉鋼なども解説とともに展示されていて、その鈍く光る存在感に目を奪われます。 
 
荒川さん:鉧の塊は、現在価値で約3000万円ほどになるため、村下は失敗したら腹を切る覚悟で操業に臨んだと言われています。それくらい集中力を必要とされる現場のため、たたら場は女人禁制だったのでしょう。 
 
昔の人々の保障されていない生活や、職人の命をかけた心意気には、現代の私たちにはとても想像できないほどに世界が違うことを思い知らされます。 
出口付近には、本物の日本刀が持てるコーナーもあり、おそるおそる体験させてもらいました。 
(振りかぶりは禁止!) 
たたら製鉄が、循環型産業のモデルとして見直される理由とは。 
 
館内の展示物を一周すると、たたら製鉄が循環型産業のモデルと言える理由について、荒川さんが解説してくださいました。 
 
荒川さん:たたら製鉄は映画やテレビドラマなど多くの作品で取り上げられているので、環境破壊というイメージを持つ人もいると思います。しかし奥出雲のたたら製鉄は、循環型産業として栄えました。 

包丁鉄の展示

当時の街並みのパネル展示

荒川さん:木炭をつくるためには森林を伐採しますが、切り株から芽が出て30年ほどでまた大樹へと成長します。
1回の操業で消費する山はおよそ1ヘクタール、年間60回操業していたとして60ヘクタール。つまり1800ヘクタールあれば循環します。
実際に、約30年周期の輪伐が鉄則とされていて、製鉄業も林業も農業も同じ土地に根を下ろして続けてきたことが証拠です。 
 
なるほど、史実を正しく知ることの大切さが身に染みます。

荒川さん:冬に鉄をつくり、春になると砂鉄を取るために崩した山の跡地を利用して、まずは土壌改良効果のある蕎麦を栽培しました。
牛馬は製鉄材料の運搬に役立つほか、土地を耕してくれるし、糞は肥料にもなります。
蕎麦殻の効果も相まって土地は肥沃化し、鉄穴流しのために築いた水路も利用して稲作が可能になりました。 
 
森林の循環利用が林床に光をもたらしたことにより結実量が高まった在来種の出雲そば、使役牛の歴史を受け継ぎ改良された優良血統の奥出雲和牛、肥沃化した土地で島根の気候や岩清水の恩恵を受けて豊かに実る仁多米など、奥出雲の豊かな食文化は生物多様性と密接にあるようです。 
 
荒川さん:当館は、たたら製鉄の歴史を知るための展示が揃っています。
まずはこの和鋼博物館に立ち寄ってから、金屋子神社を参拝したり、奥出雲たたらと刀剣館、絲原記念館、可部屋集成館、菅谷たたら山内を訪れて現存する当時のたたら場を見たり、というルートを辿るのがおすすめです。
今後も多くの方々に楽しんでいただける展示を企画しています。  
【和鋼博物館】
住所 島根県安来市安来町1058
アクセス JR安来駅から徒歩12分

和鋼博物館の情報はこちら

「一土、二風、三村下」――
今なお吹き抜ける風が、当時の記憶を運ぶ。
建物とともに人々の息遣いも残す
静かであたたかな場所。 

 
「この高殿が、全国で唯一現存する、たたら製鉄が行われた場所ですよ」
 

菅谷高殿(すがやたかどの)・山内(さんない)生活伝承館の施設長 朝日光男さん

次に訪れた菅谷たたら山内(すがやたたらさんない)を案内してくださったのは、菅谷高殿・山内生活伝承館の施設長である朝日光男さんです。
山内とは、たたら製鉄が行われる高殿(たかどの)と、そこで働く人々の住居がある集落のことで、朝日さんご自身もこの山内で生まれ育ったとのこと。
明るく通った声からは、この地を愛する気持ちがあふれ、山内の世界へと招き入れてくれます。 
 
操業当時の姿そのままの高殿は迫力ある趣で静かにそこにあり、緩やかな下り坂の先に家が建ち並ぶ風景とともに眺めると、江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。 
 
高殿の脇には大きな木が立っています。  

ご神木 桂の木

朝日さん:どのたたら場にもだいたい、桂の木があったと言われています。鉄づくりの神・金屋子神を乗せたシラサギが舞い降りた木であることから、ご神木として崇められているんですね。
4月になると赤い新芽が萌え出して、そこに夕日が当たると、まるでたたらの炎が舞い上がるように見えるんです。とても不思議な光景ですよ。 

その後、黄色い若葉が出て、緑が濃くなっていくと、わずか1か月の間に色鮮やかに変化するとのこと。

私が訪れた11月末には葉がすべて落ちた後だったのですが、葉はハートの形をしていて、落葉すると綿菓子のような甘い香りがするそうです。
高殿の前を流れる川沿いに少し降りていくと、金屋子神が祀ってありました。

朝日さん:村下は操業前に川に入って禊ぎをし、金屋子さんにお参りをします。
その後、村下坂を上って、松の木のところに御神酒と塩を供えて清めてから、高殿に入っていったと言われています。

村下が禊をした川

金屋子神が祀られている祠

村下坂は村下しか通れないという決まりからも、村下の役割の大きさと当時の緊張感が伝わってきます。 
 
朝日さん:ここは寒いでしょう。風の通り道ですからね。中へ入りましょうか。 
 
いよいよ高殿の中へ。
外と世界を分かつ、神秘的な空間。 

高殿(たかどの)

この高殿は、1751年(宝暦元年)から1923年(大正12年)まで170年もの間、たたら製鉄の炎が燃え続けた場所です。 
 
朝日さん:さあ、どうぞ。 
 
朝日さんが腕を広げて導いてくださるまま踏み入ると、はたり、と空気が変わりつい足が止まります。
土で固められなだらかな勾配のある床、中央に位置する土でできた炉、高窓から差し込む柔らかな光。まだ昼で外は明るいはずなのに、高殿の中は静かで仄暗く、世界を分けられたようです。 

村下座

高い天井

朝日さん:入って左、ここが村下座と言って表村下の場所です。
炉の向こう側には裏村下の場所である炭坂座があり、この2人だけが砂鉄を入れることができました。 
 
天井が高いからか、炉の向こう側がとても遠く感じます。 
 
朝日さん:村下2人は黒装束で炉の両側に立ったそうです。炎の色が変わるのが、よく見えるようにです。 

砂鉄を溶かす炉

先ほど和鋼博物館の映像で見たような炎が、この炉から1~2メートル燃え上がっていたのかと想像すると、そのダイナミックさに後ずさりしてしまいそうです。 
 
朝日さん:この建物の一番の特徴は何かというと、風の通り道になっているということです。建物のすぐ前で川が合流していますでしょう。そしてこの高殿は、広い通りから1.7㎞降りた谷間にあります。つまり、下流から吹き上げてくる風と、上流から下がってくる風が、ちょうど窓から入ってきて、炉の中の炎をすーっと吸い上げていくような仕組みになっているんです。地形を計算して建てられているなんて、昔の人はすごいですよね。 
 
たたら操業の成功の秘訣は「一土、二風、三村下」と言われます。まさに建物自体が、その風を味方につけた設計になっていたとは驚くばかりです。 
 
さらに話を伺うと、高殿が築かれた当初は天秤鞴で炉に風を送っていたものの、それはとても重労働だったため近代になると川の合流地点に水車を作って風を起こし、愛知県常滑市で作られた常滑焼きの土管を通して風を運んでいたそうです。愛知県出身の筆者にとって、こんな遠方でのつながりにも驚きました。

朝日さん:たたら操業が終わって炉を壊した後、灼熱を帯びた鉧はそのまま1~2時間置いておいたそうです。
その後、何本もの丸太に乗せて、コロコロコロと外へ運び出す。だからこの床は勾配があるんですね。
そしてすぐ前の鉄池(かないけ)に約3メートルもの鉧を入れるのですが、徐々に水に浸かるので、ドドドドドドドド…シュワーーーーーー…と、ものすごい音がして水蒸気が上がったと、子どもの頃に年寄りたちから聞きました。この川は一番の遊び場でしたからね、年寄りたちがよくそういう話をしてくれたんです。 
 
ここで生まれ育ったからこその貴重なエピソードです。 

朝日さん:では、向かいの元小屋も案内しましょう。 

当時作業場兼事務所だった小屋

高殿を出て、道を挟んだ向かいの建物が元小屋です。 
 
朝日さん:元小屋と言いますが、屋敷と言った方がいい。大きな家ですよ。 
 
確かに「小屋」という名に相応しくない大きな建物です。
ここには、内倉と呼ばれる鋼づくりの作業場と事務所とともに、番頭さんの住居もあったそう。
入って右側を指して、朝日さんが説明を始めます。 
 
朝日さん:川で冷やされた鉧を砕いていた作業場です。
取り出される鋼はとても高価なものですから、監視のために番頭さんも同じ屋根の下に住んでいたんですね。 
 
朝日さんがくるっと左側を向き指す方を見ると、畳の部屋が広がります。 
 
朝日さん:8畳が3間と、4畳半が2間、2階には8畳が2間あります。良いところですよ。
冬は寒いけれど、夏は毛布1枚で寝られます。あんまり良いところで「泊まりたい」と言われるので、住居の中までは案内していません(笑)。 
 
さすがお話上手な朝日さん(笑)。住居が気になりつつも、内倉へと案内してくださいました。 

内倉のようす

作業場で鉧を砕き、削り、洗い、選別していたようです。格子窓から広く光が入るものの、高殿と同様の緊張感が走る空間です。

台所の釜戸

朝日さん:こちらは台所です。炭をくべてご飯を炊いたんですね。江戸時代の風景そのままでしょ。 
 
内倉とは対照的に、釜戸の向こうの女将さんの姿や、炊き上がるお米の蒸気と良いにおい、床をパタパタと歩く女性たちの足音などが想像できて、ほっこりした気持ちになりました。
元小屋を出て、先ほど案内していただいた高殿を前にすると、製鉄を中心とした当時の人々の暮らしを思わされ、ふう、と大きく息をついてしばらく眺めていたくなりました。

高殿の昔の様子を語る朝日さん

朝日さん:この高殿はね、昔は炭置き場兼子どもたちの遊び場だったんですよ。
卓球台を持ち込んだりもしましたし、すぐ横の空き地ではよく野球をして、高殿の壁にボールをぶつけちゃったりもしました(笑)。

なつかしそうに、優しい目をして話してくださる朝日さんですが、その大胆なエピソードには驚いて、つい吹き出してしまいました。 
「え、日本遺産でですか!?」 
「その頃はまだ日本遺産じゃなかったけんね」 
「それなら…って、いえいえ、それでも驚きですよ」 
「贅沢なところで遊んでますでしょう(笑)」 
 
子どもの頃に山内のお年寄りから昔話を聞いたように、私たちにも大切な昔話をしてくださる朝日さん。山内の魅力はもちろん、その温かな人柄にもまた会いたいと思わせてくれる時間でした。 
 
【菅谷たたら山内】 
所在地 島根県雲南市吉田町吉田4210-2
アクセス 松江道 吉田掛合ICまたは雲南吉田ICから車で15分
言葉少なに炉の炎を見つめる人々。
緊張感が張り詰める近代たたら操業。 

たたら吹きの実演

「今日(2023年11月25日)はちょうど、たたら吹きを実演していますから、ぜひ行ってみてください。タイミングが良ければ、ノロを出すところも見られると思いますよ」 
 
菅谷たたら山内で朝日さんに教えてもらった情報を頼りに、雲南市和鋼たたら体験交流施設へとやってきました。すでに日は落ち、施設がある場所のみぼうっと灯りがついています。 
 
重い木の扉を開けると、屋内のたたら炉にはボウボウと炎が上がり、30人ほどがその炎を見つめながらせわしなく動いていました。炉は、和鋼博物館や菅谷たたら山内で見たような土製ではなく金属製で、1昼夜で鉧を生産できるそう。高校生くらいでしょうか、若者も数名参加しています。 
 
「17時35分」 
 
現場の指揮官が時間を読み上げ、若者がカゴに入った木炭を入れていました。
運良く、ノロを出すところも見ることができました。ノロとは、内壁の土が砂鉄の還元残渣として流れ出てくる、不純物を含んだ物質です。

真っ赤に熱せられて流れ出るノロ

炉の下の穴から真っ赤なノロが流れ出てくると、さらにその穴から炉の中をのぞき込んで掻き出し、木炭で蓋をする。
そして別の人が運搬用一輪車にノロを入れて、外へ運び出す――多くの人々が集まりながらも話す人は少なく、指揮官の短い指示により各々が迅速に動いていて、緊張感が途切れることはありません。
この操業は夜通し続き、翌朝に鉧が出されるとのこと。木炭と砂鉄をくべるスピードも徐々に上がっていくのでしょう。
誰もが炉の炎を真剣に見つめる様子を目に焼き付け、この施設を後にしました。
 
【雲南市和鋼たたら体験交流施設】 
所在地 島根県雲南市田町吉田892
貴重な玉鋼から生み出される日本刀。
さらに、新たな奥出雲ブランドの創出も。

ずしりと重いこぶし大の玉鋼

日本刀鍛錬実演を見学。
刀匠の技術と話術に吸い込まれる。
日本刀をつくる職人は刀匠と言います。
文化庁により認められた資格を有する人のみが名乗ることができる国家資格です。
ここ奥出雲たたらと刀剣館では、その刀匠による「日本刀鍛錬実演」を見ることができます。 
 
小林さん:鉄を繰り返し叩いて延ばし日本刀にすることを、鍛錬と言います。 
 
刀匠の小林俊司さんが、玉鋼から日本刀にするまでの工程をわかりやすく説明してくださり、実際の玉鋼も持たせてもらえました。こぶし大の玉鋼はずっしりと重く、ごつごつした形が少し手のひらに痛く感じるほど。
にぶい灰色の中に青、水色、紫、黄色、とキラキラ光る部分があり、まるで着色したかのような鮮やかな色合いに見入ってしまいます。 

刀匠 小林俊司さん

小林さん:ではこれから鍛錬の実演を行いますが、まずはこの鍛錬場の上を見てください。結界です。
製鉄の神さまである金屋子神はね、まあ、不細工な女性だったんだと言われております。
それで他の女性に嫉妬して、入ってこれないように結界を張ったんですね。
鍛錬について一通り説明が終わると、小林さんの口調が漫談風に変わり、見学者の表情も緩みました。
たしかに、和鋼博物館の荒川さんも金屋子神について同じようなことをおっしゃっていたなと思い出します。
そして、こうした言い伝えが生まれるには必ず背景があります。 
 
小林さん:昔は家族ぐるみで鉄をつくっていました。鉄は武器の材料になりますから、たくさん鉄をつくった国が栄えるということで、殿様が鉄をつくる家をおかかえになるんですね。
そこでおそれるのは情報漏洩です。奥さんたちは炊事洗濯をするために井戸に集まり、井戸端会議という噂話をします。各家に伝わる製鉄の秘伝を話されては困るというので、女人禁制にする必要があったんです。 
 
随分と俗物的な事情により生まれた神さまなのですね。 
 
そして小林さんによる実演が始まります。玉鋼を熱する松炭をおこすために、鞴(ふいご)で風を送ります。
鉄を打つためには、1200~1300度にまで温度を上げる必要があるそう。 
 
小林さん:この中で一番若い人!  
男性客:はい、気持ちは若いです! 

鞴(ふいご)の実演

手を挙げた年配の男性客が一番に鞴体験をすることになりました。 
 
小林さん:なるべく右端を、右手で持ってください。はい、押して、引いて、押して、引いて。 
 
ガチャン、ガチャン、ガチャン、ガチャン……鞴の音とともに、 ボウッ、ボウッ、ボウッ、ボウッ、と炎の音がして火の粉が舞い上がります。
男性客が鞴を押す姿を背に、小林さんは話を続けます。こうした技術は一子相伝のため、長男しか鞴をやらせてもらえなかったこと、炎の様子を見て風の操り方を体で覚えていくこと。
「へー」「そうなんだ」とお客さん全員が小林さんの言葉巧みな話に引き込まれ、奥の男性客だけが釜の中の炎を見つめて鞴を押し続ける様子は即席の「師匠と弟子」を思わせ、微笑ましくもあります。

小林さん:熱いですか?…ねえ、そうでしょう。だから夏はやらないんです。 
 
ドッと笑いが起き、次に手を挙げた女性客へバトンタッチ。 
 
小林さん:はい、頑張ってください!頑張ってくださいよー! 

小林さんによる実演

話を続けながらも軽く言葉を掛けて、常にお客さんを笑わせてくれます。

刀匠というと高尚で近寄りがたいイメージを持っていたのですが、小林さんは良い意味でそのイメージを変えてくれます。
それでもやはり、師匠であるお父様のもとでの修業時代の話からは、職人世界の厳しさや伝統技術を引き継ぐ覚悟を感じ、刀匠と呼ばれる方々への畏敬の念を覚えました。
鍛錬実演の後には、本物の日本刀を一人ひとり持たせてもらえました。 

深さ4メートルに及ぶたたら炉の地下構造の断面図

原寸の高殿地下構造に圧巻。 豊富な日本刀や美術品展示も。

日本刀鍛錬実演が終わると、奥出雲町役場定住産業課の佐伯行信さん、矢部滉騎さんのお二人が、展示を案内してくださいました。 

圧巻だったのは、深さ4メートルに及ぶたたら炉の地下構造の断面図。

複雑な構造は昔の人の知恵と経験により出来上がったのだと思うと、感嘆の声が漏れます。
菅谷たたら山内の高殿にも、この地下構造が埋まっているということです。
様々な日本刀も展示されています。 

馬上で使うための太刀:刃の向きは下

携帯に便利な打刀:刃の向きは上

刃の断面

「太刀は馬上で使うため位が高い人が持つ日本刀で、刃の向きは下、全体的に大きく反っています。打刀は腰に差した鞘に納めて携帯するため、刃の向きは上です」 
 
先ほど小林さんが説明してくださったことを、実物を見ながら復習できます。 

『月下の笹』と呼ばれる黒刀

佐伯さん:こちらは『月下の笹』と呼ばれる黒刀で、「奥出雲たたらブランド」の一環として製作されました。
アニメ『鬼滅の刃』の主人公・竈門炭治郎が持つ日輪刀に似ていると話題になり、多くのお客さんが見に来られます。 
佐伯さんが展示品を次々と紹介してくださいます。
奥の部屋へと進むと、鑑賞用の鍔、玉鋼の美しさを際立たせたアクセサリー、ノロのユニークな形や材質を生かした調度品など、現代のデザイナーによる新たな提案も展示されていました。 

観賞用の鍔(つば)など

調度品も

アクセサリーなど現代風なアレンジも

矢部さん:奥出雲の特産品である仁多米や奥出雲和牛は食べられましたか?実はたたら製鉄と農林畜産業は大いに関係があるんですよ。 

【仁多米】

【奥出雲和牛】

【出雲そば】 

【椎茸】 

矢部さんが指す方を見ると、パネルが展示されていました。 

特産品の説明が描かれているパネル

奥出雲では砂鉄の採取方法の鉄穴流しにより山々を切り崩し、その跡地を棚田に再生し、ソバやお米を生産しました。また、運搬や農耕用の牛を改良し、和牛生産を行い、「奥出雲和牛」の基礎を築きました。
さらに、この和牛のたい肥や山草を用いて土壌改良を行い、「仁多米」と呼ばれるブランドの確立をしました。
その他にも木炭用の林の木材を活用して椎茸を栽培するなど、資源循環型の農林畜産業が評価され、日本農業遺産に認定されています。 
 
このパネルを立体的にしたジオラマもあり、奥出雲の農業とたたらの関係が分かり易く再現されていました。 

奥出雲の農業とたたらの関係を説明するジオラマ

矢部さん:こうした特産品に加えて、先ほど見ていただいたような現代のデザイナーさんによる玉鋼や鉄を使ったアクセサリーなどの作品を、新しい奥出雲ブランドとして育てていきたいと考えています。現代の人々にも親しまれながら、たたら製鉄を後世へ継承していきたいですね。 
 
歴史や伝統をただ言い伝えるのではなく、新たな息吹が生まれ続けているからこそ、きっとこれからも「奥出雲 たたら製鉄」が続いていくのだろうと感じられる場所でした。
 
【奥出雲たたらと刀剣館】
所在地 島根県仁多郡奥出雲町横田1380-1
※刀剣鍛錬実演は、毎月第二日曜日と第四土曜日(10:00~/13:00~)
アクセス JR出雲横田駅から車で5分

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静かで美しい山に鎮座する
「金屋子さん」と慕われ続ける神さま。

製鉄の神さまがシラサギに乗って
降り立った場所へ。
レンタカーのナビを頼りにしばらく走ると、大鳥居が現れました。
車のままくぐると、人も動物も静まりかえったような山道が続き、神聖なエリアに入った感覚に包まれます。
11月の終わりながら赤く色づいた紅葉も見ることができました。 
 
2㎞ほど上がり、駐車場に到着。澄んだ空気に青い空、黄緑の葉、赤い葉、苔に覆われた石橋のコントラストが美しく、鳥居の前でしばらく立ち尽くしてしまいます。 
 
これまでに訪れた場所でも話に出てきたように、金屋子神はたたら製鉄を伝えた神さまであり、シラサギに乗って出雲地方に降り立ったと言い伝えられています。
そのため各たたら場には必ず金屋子神が祀られていましたが、ここ金屋子神社はその総本社です。

鳥居

鳥居をくぐり、進みます。 
 
参道を行くと、左側には寄進された鉧がいくつも並び、右側には「夫婦杉」と名札がついた大きな杉の木が。
見ると2本の杉のように見えて根元が1本につながっています。
こうした神聖な場所に、美しい物語を思わせる自然物がさらに存在することに、感動を覚えざるを得ません。 

紅葉が浮かぶ池

その奥には紅葉が浮かぶ池があり、木製の橋の先には小さな神社もありました。
案内板を見ると、金儲神社といって、金屋子神社とともに信仰すると金運が授かるそう。
4段ほどの石段を上ると、苔に覆われた狛犬と灯籠が迎えてくれました。さらに上ると、大きな門が。彫刻のある梁には結界が張られています。 

階段の上には大きな門が

大きな門に施された結界

門をくぐると、先ほどよりさらに古くから存在するであろう狛犬が、さらなる結界の中にうやうやしく鎮座していました。躍動感あふれる姿です。 

金屋子神社社殿

いよいよ金屋子神社社殿に辿りつきました。
総欅の壮麗な造りで、見上げると巨大なしめ縄に圧倒されます。拝殿内の欅一枚戸の龍の彫刻は、有名な彫刻家・荒川亀斉によるものだそう。 
 
人々が安全操業や良鉄の生産を祈る対象として、「金屋子さん」と呼び慕ってきた製鉄の神さま。
これまでに出会ってきた人たちがきっと何度も訪れたであろう場所に来られたことにも、うれしさを感じられました。 
 
【金屋子神社】
所在地 安来市広瀬町西比田307-1
アクセス 安来ICから車で40分
安来駅から車で45分
イエローバス「西比田車庫」下車徒歩20分
たたら製鉄を循環型産業に発展させた
鉄師御三家のひとつ、絲原家へ。

奥出雲の鉄師御三家のひとつ、絲原(いとはら)家

武士から農民、そして鉄師頭取へ。
奥出雲文化を伝える貴重な展示。
江戸時代初期、出雲または隠岐を加えた2か国を領有した松江藩は、平地が少なく稲作に向かないために貧しい藩でした。
そこで代わりに鉄を納めようとしたことが、たたら製鉄がこの地で繁栄するきっかけになったと言われています。
松江藩は鉄の品質と価格を守るために鉄の専売制を敷いて、大水田地主層の9人にのみ、たたら操業を許可しました。
9人は9鉄師と呼ばれ、そのうち奥出雲の鉄師御三家のひとつが、絲原家です。

絲原記念館副館長 絲原丈嗣さん

絲原家の16代目、絲原記念館の副館長である絲原丈嗣さんが、優しい笑顔で迎え入れてくださいました。
まずは記念館へ。当時の歴史年表とともに、絲原家の年表も続きます。 
 
絲原さん 絲原家は元武士の一門で、中世は広島県北部に居住していたようです。しかしその周辺の歴史はあいまいで、農業開拓のために奥出雲に入った1624年が、絲原家の創設ということになっています。 
 
その後1633年から、たたら製鉄を家業に。農民でありながら士分格でもあったことが、他の鉄師との大きな違いです。 

「雲陽国益鑑」(松江藩時代の産業番付)

絲原さん 製鉄業には、砂鉄や木炭を確保するために広い山林が必要です。
絲原家の歴代当主は松江藩と密接な関係にあったため、自ら所有する他、藩からも貸し与えられていました。
藩からの支えがあって、多くの鉄を生産することができたのです。 
 
その後、江戸幕府の政策の影響で鉄の価格が下落し経営不振に陥るものの20年ほどで回復し、1875年(明治8年)の記録によると、たたら1か所、鍛冶屋2か所、砂鉄や木炭を得るための山林を約5000ヘクタール所有し、小作を含め総数1200人余りが従事するほどに繁栄しました。

しかし近代製鉄の導入により1923年(大正12年)たたら製鉄を廃業、以後は林業に転換しながら国政にも参画し、国鉄木次線(現JR)の開通にも尽力しました。 

当時の家具調度・什器や衣類などの展示

絲原さん 絲原記念館の特徴は、たたら製鉄に関する展示品のほか、さまざまな文化財が展示されていることです。例えば『有形民俗資料コーナー』には、松江藩の五人扶持士分格という武士の身分も併せ持つ特異な階級でもあった絲原家に伝わる、儀礼用具・嫁入り道具などの家具調度・什器や衣類などが、季節に合わせて展示されています。
『美術工芸品コーナー』では松江藩主来駕時の膳の様子を展示し、『簸上鉄道コーナー』では国鉄開通の歴史を知ることができます。 

記念館に隣接する絲原家には、現在も当主家族が住んでおり、ゆったりと見て周ることができます。
国の名勝に指定された出雲流庭園は約360坪あり、出雲地方の特色ある衣裳や植栽を楽しめます。

国の名勝に指定された出雲流庭園

縁側

手入れの行き届いた庭園

住宅から庭を望む

絲原さん 絲原家ではぜひ、歴史的展示品に加えて文化的展示品も、当時の住宅や庭園の様子ともに楽しんでください。奥出雲の豊かな文化や自然を感じられますよ。 
 
【絲原記念館】 
所在地 島根県仁多郡奥出雲町大谷856-18
アクセス バス停(絲原記念館前/奥出雲交通)徒歩3分
JR出雲三成駅から車で6分

絲原記念館の情報はこちら

たたら製鉄を象徴する棚田の景観に、
自然を畏敬し共存する人間の知恵を思う。

棚田の景観

旅の締めくくりに、棚田の文化的景観を見ようと車を走らせました。
向かう途中、川の向こうに見える棚田風景に目を取られ、停車して写真撮影。 
 
下から棚田を見上げるのも美しいですね。秋晴れのカラッとした空気に青く広い空がとても気持ちの良い日です。 
 
さらに30分ほど車を走らせ、目的地に着きました。駐車場に車を停め、ゆったりお散歩気分で歩き出します。 

 
こちらは鉄師のひとつ卜蔵(ぼくら)家の原たたらや山内があった場所で、さっそくご神木や金屋子神社と出合いました。製鉄業を営む人たちにどれほど信仰されていたか、改めて感じることができます。 

水車の回る音が徐々に風の音に消えていくのを感じながら、川沿いに道を下っていきます。 

ご神木の桂の木

金屋子神社

立て看板を頼りに階段を上ると、展望台が見えました。ここが撮影スポットのようです。 

棚田の撮影スポットの展望台

棚田全景

地形を生かした流線型の棚田が重なる様子は、まさに絶景。
時期的に、観光ガイドでよく見る水田風景ではないものの、稲刈り後の風景はまるで日本昔話のワンシーンのようで趣深いものがあります。 
 
『人間力でつくりあげた鉄』 
『これぞ神業』 
『万物の恵みを生かす、知恵と技は日本人の誇り』 
『平和への祈りを込めて』 
 
鉄穴流しがつくり上げた象徴的な景観を見て、和鋼博物館での言葉を思い出します。 

これまでにいくつかの場所を巡ってきて、たたら製鉄の伝統と文化を大切に守ってきた人々のあたたかさを何度も感じました。
どのストーリーにも、産業の発展のために知恵を絞り、自然を畏れるがゆえに神を信仰し、人々が手を取り合って自然と共存してきた歴史がありました。 
 
この景観が教えてくれるのは、単に過ぎ去った昔話ではなく、現代の私たちがめざすべき世界なのかもしれません。 
 
【奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観】 
所在地 エリア 奥出雲町竹崎周辺
展望台 奥出雲町竹崎870
アクセス JR出雲横田駅から奥出雲交通バス「鳥上線」に乗車、「ボクラ橋」バス停から徒歩10分

たたらがもたらした景観

【本稿で紹介した構成文化財】 たたら製鉄用具(和鋼博物館)
菅谷たたら山内
日本刀(鍛錬の実演:奥出雲たたらと刀剣館)
金屋子神社
絲原家住宅
出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観

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