藍のふるさと 阿波〜日本中を染め上げた至高の青を訪ねて〜STORY #081

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藍のふるさと 阿波 〜日本中を染め上げた至高の青を訪ねて〜 藍のふるさと 阿波 〜日本中を染め上げた至高の青を訪ねて〜
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ストーリーSTORY

古くから日本人の生活に深くかかわり、神秘的なブルーといわれた「藍」。
徳島県の北部を雄大に流れる吉野川の流域は、藍染料の日本一の産地です。
この地域の平野部に見られる高い石垣と白壁の建物に囲まれた豪農屋敷や
脇町の豪華な「うだつ」があがる町並み、「阿波おどり」のリズムからは藍染料の流通を担い、
全国を雄飛した藍商人のかつての栄華をうかがい知ることができます。
この地域では、今も藍染料が伝統的な技法で生み出されており、その色彩は人々を魅了し続けています。

藍のふるさと 阿波

古くから日本人の生活に深くかかわり、日本を代表する色彩である「藍」。明治時代に日本を訪れた外国人は日本中に「藍」で染められた衣服が溢れていることに驚き、「この国は神秘的なブルーに満ちた国」と絶賛しました。その神秘的なブルーを生みだしていたのが「阿波の北方」といわれる徳島県北部の吉野川流域です。この地域は日本一の藍染料の産地で、今なお途絶えることなく職人が伝統の技で藍の染料づくりを行い、日本の染織文化を支え続けている藍のふるさとです。

藍の里の景観と風土

徳島県北部を東西に流れる吉野川の流域では、平野部に広がる田園風景の中に、高い石垣でかさ上げされた大きな屋敷があちこちに見られます。

本瓦葺きで白壁の重厚な建物に囲まれ、さながら城を思わせるこの屋敷は「藍屋敷」と呼ばれこの地域を象徴します。「藍屋敷」は江戸時代から明治時代にかけて藍染料の生産・加工・流通を担った藍師や藍商人の住居兼生業、商談の場であり、ここから多くの藍染料が日本中に送り出されました。暴れ川であった吉野川からは当時の灌漑技術では直接水を取ることは難しく、流域では稲作がほとんどできませんでした。また、たびたび起こる洪水は流域の人々に甚大な被害を与えました。しかしその反面、豊富な伏流水に恵まれ洪水によって肥沃な土壌がもたらされるこの地域は、藍の栽培に適した土地柄だったのです。

平安時代の終わりに阿波で栽培が始まった藍は、室町時代にはこの地域の特産となり、室町時代後半に勝瑞城下で藍染料に加工されるようになったといわれています。江戸時代に入ると、徳島藩は重要な財源として藍の生産を保護・奨励し、積極的に品質向上にも努めました。江戸時代の中頃には、全国的な木綿の普及に伴い藍染料が大量生産されるようになりました。さらに、犬伏久助が加工技術を改良したことにより、品質が高まった阿波の藍染料は「本藍」と呼ばれ全国市場での人気を独占し、販売特権を与えられた阿波の藍商人は、莫大な利益を藩にもたらしたのです。

阿波の藍師や藍商人たちは、藍染料の買付けに来る全国各地の商人たちを最大限にもてなし、信用を得るために競って豪壮な屋敷を構え、接待に多くの金を使いました。立派な「藍屋敷」があちこちに見られるのは、こうした歴史的背景によるものです。これらの屋敷地には軒が大きく張り出した特徴的な形をした「寝床」といわれる藍染料の加工場が今も残っています。軒下には刈り取った藍の葉が運び込まれたり、洪水のときの脱出用の舟が吊り下げられたりしています。功罪相半ばする吉野川の流域で藍染料づくりの技術を受け継いできた藍のふるさとの風景です。

左:「城構え」といわれる藍屋敷/中央:藍屋敷の主屋と庭/右:「寝床」の軒先に吊られた舟 左:「城構え」といわれる藍屋敷/中央:藍屋敷の主屋と庭/右:「寝床」の軒先に吊られた舟

藍染料、「蒅」づくりの技

阿波の北方では、江戸時代から変わることのない伝統的な藍染料づくりを今も見ることができます。初春、ツバメが来る頃に苗床に種を播き、霜が降りなくなると畑に苗を植えます。そして梅雨が明ける頃には緑一色に染まった藍畑が一面に広がります。初夏に収穫した藍の葉を細かく刻み、乾燥させ、発酵させることで藍の染料が出来上がります。加工場である「寝床」では、積み上げられた藍の葉に水を打ち、攪拌し、発酵を促す作業が秋から冬にかけて何度も繰り返されます。そこには全身全霊をかけて、美しい色を出す藍染料を作る職人の姿があります。

藍の葉の発酵温度はやがて60度を超え、作業中の寝床の中はもうもうと湯気がたちこめ、暖かい空気と刺激的な発酵臭が充満します。その温度と臭いは藍染料の仕上がりを知るバロメーターとなります。そして、初霜が降りる頃、藍師の手仕事によって発酵が進んだ藍の葉は、黒い土の塊のような姿になり、藍の色素が凝縮された「蒅」と呼ばれる藍の染料が出来上がるのです。

左:藍畑/中央:藍の葉に水をかけて発酵促す/右:発酵の状態を確かめる藍師 左:藍畑/中央:藍の葉に水をかけて発酵促す/右:発酵の状態を確かめる藍師

阿波藍の流通と繁栄

阿波の藍師が手塩にかけてつくり上げた藍染料は、徳島藩から販売権を容認された藍商人を通して、大阪・名古屋・江戸をはじめとする全国の藍市場に供給されました。それにあわせ、阿波の藍商人の活躍もまた全国規模で展開されるようになりました。藍商人たちは富を得るだけでなく、全国各地との文化交流の担い手となりました。徳島城下の盆踊りに上方で流行していた俄踊りが登場するようになったのをはじめ、今の阿波おどりには各地の様々な要素が取り入れられています。例えば『阿波よしこの節』は茨城県の『潮来節』が元になっているともいわれ、そこには全国に雄飛した阿波の藍商人の姿を感じることができます。

また、芸事を好み、金銭を惜しまなかった阿波の藍商人が頻繁に人形座を招いて人形芝居を楽しんだことから「阿波人形浄瑠璃」などの木偶文化が隆盛しました。今でも年明けには箱回し芸人による「三番叟まわし」が藍屋敷を訪ねて門付けを行っています。

藍の流通を担った脇町には、藍豪商が築いた「うだつの町並み」が残ります。本来防火のために作られた「うだつ」は、富を競うかのように本瓦葺の重厚な装飾がなされ、そのてっぺんでは鬼面の瓦が睨みをきかせています。格子づくりや蔀戸、虫籠窓などの意匠が美しいうだつの上がった町並みや、敷地内に船着き場までつくられた豪商の屋敷をみると、藍の集散地として栄えた当時の栄華を誇る暮らしぶりがうかがわれます。そして、

年の暮には藍景気を唄う「三味線もちつき」の軽快なリズムが当時の賑わいを伝えています。

左:藍商人が育てた阿波おどり/中央:藍屋敷を訪ねる「三番叟」/右:うだつの町並み 左:藍商人が育てた阿波おどり/中央:藍屋敷を訪ねる「三番叟」/右:うだつの町並み

伝統の技によってつくられる良質の「蒅」は、今も全国各地の染織家のもとに届けられ、多くの衣装が彩られています。かつて訪日外国人を魅了した「藍」の色は、東京オリンピック・パラリンピックの大会エンブレムを彩り、日本の伝統色として今また世界に発信されていきます。

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