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2025.09.01
特集
日本遺産巡り#46◆干拓と交易が生んだ繊維のまち、倉敷。美観地区・玉島・児島でたどる歴史と文化
岡山県倉敷市の町並みは、和と洋が調和した雰囲気が特徴。そこには深い歴史と物語が刻まれています。400年前まで一面の海だったこの地は、干拓によって生まれ変わり、広大な土地を背景に綿花が栽培され、全国屈指の繊維のまちへと成長しました。この物語は、「一輪の綿花から始まる倉敷物語 ~和と洋が織りなす繊維のまち~」として日本遺産に認定されています。
本記事では、倉敷市日本遺産推進室の藤原憲芳さんとともに繊維産業に関わる3つの地域を巡り、その歴史を紐解きながら、倉敷が育んできた物語を紹介します。
本記事では、倉敷市日本遺産推進室の藤原憲芳さんとともに繊維産業に関わる3つの地域を巡り、その歴史を紐解きながら、倉敷が育んできた物語を紹介します。
綿花と運河による繁栄を体感できる「倉敷美観地区」
柳並木や白壁の蔵屋敷が並ぶ倉敷美観地区は、和と洋が調和した不思議な魅力を放っています。倉敷美観地区の中で印象的なのが川沿いの風景です。
藤原さん:400年前まで、ここ一帯はかつて海でした。干拓によって平野部ができましたが、土地には塩分が残っていたため、稲作には向かなかったんです。そこで塩分に強い綿やイ草、菜種が植えられました。その物流を語る上で重要なのがここ「倉敷川」の存在です。実は、海と山が繋がっているわけではなく、倉敷美観地区内に端があります。つまり、自然によって作られた「川」ではなく、人工的に作られた「運河」なんです。江戸時代には瀬戸内海とつながる水運の拠点でした。
藤原さん:倉敷では、綿花を使った繊維産業が発展し、足袋から学生服、そしてジーンズへと移り変わってきました。戦前には全国の9割以上の学生服を児島で生産していたほどの“学生服王国”でしたが、その後は最先端のジーンズの名産地へと変化。時代に合わせて、“和”から“洋”へのシフトを遂げたことが、倉敷の産業の大きな特徴です。
【倉敷美観地区】
【倉敷美観地区】
| 所在地 | 倉敷市中央・本町ほか |
|---|
まず立ち寄りたい「倉敷物語館」「倉敷館観光案内所」
こうした歴史や日本遺産のストーリーを知るうえで、まず訪れてほしいのが「倉敷物語館」。倉敷美観地区の玄関口に位置し、江戸時代からの歴史をもつ旧東大橋家の住宅を改修した観光・文化施設です。
藤原さん:倉敷には歴史を学べる博物館が少なかったため、無料の施設を設けました。ここでは、倉敷川に荷を積んだ船の入船風景や、倉敷紡績所(現クラボウ)創立後に川沿いに煙突が立ち並ぶ様子など、当時の町の姿が分かる貴重な資料を展示しています。
かつて倉敷町役場だった建物を利用した「倉敷館観光案内所」を訪れるのもおすすめ。2階の休憩所からは、大正時代のガラス越しに倉敷川を見下ろせます。昔は潮の満ち引きで川の水位が上下していて、海の魚が釣れることもあったのだとか。現在は柳並木が風情を添えており、のどかな景観を楽しめます。
【倉敷物語館】
【倉敷物語館】
| 所在地 | 岡山県倉敷市阿知2丁目23-18 |
|---|---|
| TEL | 086-435-1277 |
| 開館時間 | 4月~11月 9:00~21:00(入館は20:45まで) 12月~3月 9:00~19:00(入館は18:45まで) |
| 休業日 | 年末年始(12/29~1/3) |
【倉敷館観光案内所】
| 所在地 | 岡山県倉敷市中央1丁目4-8 |
|---|---|
| TEL | 086-422-0542 |
| 開館時間 | 9:00~18:00(年末年始は変更の場合あり) |
| 休業日 | 年中無休 |
倉敷美観地区の意匠の特徴とは
倉敷美観地区には、伝統的な町家や白壁の土蔵が軒を連ねています。これらの建物には、それぞれ異なる役割があり、江戸時代から続く独自の意匠が施されています。
藤原さん:町家は、商人が住みながら商売をしていた建物です。特徴的なのは「塗屋造り(ぬりやづくり)」といって、2階部分が漆喰で塗り込まれていること。これは防火のための工夫です。また、江戸時代の町家は「厨子二階(ずしにかい)」と呼ばれ、2階が低く作られていました。そして1階には「倉敷格子」と呼ばれる木格子が設けられています。内側の部分を跳ね上げると、中からは外が見えるけれど外から中は見えにくい、目隠し効果のある仕組みになっています。商売や祭りの際には全開にして使うこともできるんですよ。
藤原さん:町家は、商人が住みながら商売をしていた建物です。特徴的なのは「塗屋造り(ぬりやづくり)」といって、2階部分が漆喰で塗り込まれていること。これは防火のための工夫です。また、江戸時代の町家は「厨子二階(ずしにかい)」と呼ばれ、2階が低く作られていました。そして1階には「倉敷格子」と呼ばれる木格子が設けられています。内側の部分を跳ね上げると、中からは外が見えるけれど外から中は見えにくい、目隠し効果のある仕組みになっています。商売や祭りの際には全開にして使うこともできるんですよ。
藤原さん:土蔵は商人が大切な財産や商品を保管するための建物でした。町家よりも壁が厚く、屋根瓦と同じ素材の平瓦を貼り、その上から漆喰を塗ることで耐久性を高めています。この盛り上がった形がナマコに似ていることから「なまこ壁」と呼ばれています。
江戸時代の歴史的な建造物と、明治以降の近代的な建物が調和し、和洋折衷の景色が広がる倉敷美観地区。この景観が守られてきた背景には、倉敷ならではの「自治の精神」が関係しています。
藤原さん:ここは幕府の直轄地、いわゆる天領でしたが、武士が少なく、商人や農民が町の自治を担っていました。そのため、領主に必要以上にお金を取り立てられたり、行動を制限されたりすることがなく、商売の自由度が高かったんです。結果として経済的な競争が活発になり、「新しいことをどんどんやっていこう」という文化が根付きました。また住民の間には「領主ではなく自分たちがこの地域を治めている」という意識も生まれまし[笠井1] た。その流れで、倉敷美観地区の保存も行政主体ではなく、民間の大原家を中心とした住民たちが自主的に始めました。
藤原さん:ここは幕府の直轄地、いわゆる天領でしたが、武士が少なく、商人や農民が町の自治を担っていました。そのため、領主に必要以上にお金を取り立てられたり、行動を制限されたりすることがなく、商売の自由度が高かったんです。結果として経済的な競争が活発になり、「新しいことをどんどんやっていこう」という文化が根付きました。また住民の間には「領主ではなく自分たちがこの地域を治めている」という意識も生まれまし[笠井1] た。その流れで、倉敷美観地区の保存も行政主体ではなく、民間の大原家を中心とした住民たちが自主的に始めました。
繊維のまちを象徴する場所「倉敷アイビースクエア」と
大原家の功績
倉敷美観地区にほど近い場所にある倉敷アイビースクエアは「倉敷紡績所(現クラボウ)」の工場跡地をリノベーションした複合観光施設です。宿泊施設やレストラン、ショップが営業しているほか、クラボウの歴史を資料とともに学べる「倉紡記念館」も併設しています。
もともとは城や江戸幕府の代官所があった場所で、紡績事業を開始したのは明治期のこと。当時の日本では、国策として紡績産業を推進する動きがありました。
紡績業を始めるきっかけとなった3人の若者:左から大橋澤三郎、小松原慶太郎、木村利太郎
藤原さん:はじめに工場を作ろうと呼びかけたのは、大橋澤三郎、小松原慶太郎、木村利太郎の3人の若者でした。倉敷は江戸時代には商人の町として栄えていたものの、明治になって少し元気が失われつつありました。若者たちはこれを憂慮し、「このあたりは綿が特産品なのだから、紡績工場を作ろう」と声を上げたんです。やるからには最先端の設備を使おう、ということで、当時世界でも最先端だった「リング紡績機」を導入しました。
そして、大原孝四郎が初代頭取(社長)となり「倉敷紡績所」を設立。工場の設計や機械の導入に関しては、産業革命で先行していたイギリス・マンチェスターの技術を模倣しています。
そして、大原孝四郎が初代頭取(社長)となり「倉敷紡績所」を設立。工場の設計や機械の導入に関しては、産業革命で先行していたイギリス・マンチェスターの技術を模倣しています。
倉紡記念館は、かつて綿を保管していた原綿倉庫を改装した建物。綿が詰められた俵は1俵約200kgにもなるため、床板や壁の造りが頑丈です。また、壁に隙間を作ってカビを防ぐ工夫や、“イギリス積み”のレンガからも、当時の技術や知恵を垣間見ることができます。また、当時は三角屋根(ノコギリ屋根)に北向きの窓を取り付け、採光を確保していました。
倉敷紡績所を大きく発展させたのが、初代頭取・大原孝四郎の息子にあたる大原孫三郎。26歳で2代目社長に就任すると、33年間にわたって経営を担い、会社を成長させました。彼が重視したのは「労働理想主義」という考え方。会社だけが儲かるのではなく、働く人が豊かにならなければ企業は続かないという理念です。
その一環として、工場内に学校を作り、紡績機を操作していた若い女性や少年たちに初等教育を受けさせました。3交代で24時間稼働していた工場で、午前に働いて午後は学ぶ、またはその逆といったシステムを取り入れ、一定の年数を経れば小学校卒業の資格を得られるようにしていたのです。
大原孫三郎は、労働環境の改善にも目を向けました。倉敷労働科学研究所(現大原記念労働科学研究所)を立ち上げ、適性検査による配属や健康状態、作業環境などの改善を推進。これは当時、先進的な取り組みでした。
大原孫三郎は、労働環境の改善にも目を向けました。倉敷労働科学研究所(現大原記念労働科学研究所)を立ち上げ、適性検査による配属や健康状態、作業環境などの改善を推進。これは当時、先進的な取り組みでした。
当時、多くの工場では大部屋に労働者を詰め込んでいましたが、孫三郎は従業員の衛生面や家庭的な環境づくりを重視。6畳と2畳の2部屋を3~5人で利用できる寄宿舎を建設しました。
さらに孫三郎は工場従業員とその家族を支えるための病院も設立。後に一般開放され、スペイン風邪が流行していた時代には地域の医療をも担うようになりました。現在では倉敷中央病院として、西日本最大級の医療施設へ成長し、多くの人々の健康を支えています。
さらに孫三郎は工場従業員とその家族を支えるための病院も設立。後に一般開放され、スペイン風邪が流行していた時代には地域の医療をも担うようになりました。現在では倉敷中央病院として、西日本最大級の医療施設へ成長し、多くの人々の健康を支えています。
倉敷美観地区の中で重要な場所のひとつが「大原美術館」です。大原孫三郎が画家・児島虎次郎を支援し、モネやルノワールなどの海外巨匠の作品を直接譲り受けたことでコレクションが充実。とりわけ現在も日本に2点しかないエル・グレコの作品の一つ《受胎告知》は重要な作品で、長い間、日本の美術界を刺激してきました。
倉敷紡績所の工場は戦時中、軍需転換により爆撃機の翼を製造していましたが、戦後は休止工場に。1970年代に入って再開発が始まり、1973年に倉敷アイビースクエアとして設立。倉敷美観地区に隣接する観光拠点として大きく生まれ変わりました。
現在も訪れる人々は、壁一面に広がるアイビー(蔦)[笠井1] やレンガが織りなす景観を楽しみながら、倉敷の歴史と文化を体感することができます。
取材協力:株式会社倉敷アイビースクエア 部長 髙橋亮輔さん
【倉敷アイビースクエア】
現在も訪れる人々は、壁一面に広がるアイビー(蔦)[笠井1] やレンガが織りなす景観を楽しみながら、倉敷の歴史と文化を体感することができます。
取材協力:株式会社倉敷アイビースクエア 部長 髙橋亮輔さん
【倉敷アイビースクエア】
| 所在地 | 岡山県倉敷市本町7-2 |
|---|
【倉紡記念館】
| 所在地 | 岡山県倉敷市本町7-1(倉敷アイビースクエア敷地内) |
|---|---|
| 開館時間 | 10:00〜16:00(入館は15:45まで) |
| 休業日 | 年中無休 |
大原家の歩みを学べる「語らい座 大原本邸」
倉敷の発展と深く結びついた大原家。その代々の当主が暮らした邸宅が、国の重要文化財「語らい座 大原本邸」として公開されています。
館内には、大原家の年表や貴重な資料が展示されています。また、歴代当主の言葉が空間に降り注ぐように吊るされた「土間〜ふりそそぐ言葉〜」や、大原家8代を幹とし、その周囲に関係者が広がるキューブツリー「土間~積みあがる必然~」といった独自の展示も特徴的。こうした空間演出によって、倉敷の発展を支えた大原家の足跡を、視覚的・体感的に学ぶことができます。
藤原さん:大原家は、もともと他の地域から倉敷にやってきて、綿の仲買をしていたんです。そこから商売を広げ、やがて蔵米取引や実綿問屋などにも手を伸ばし、大地主となりました。その後、紡績工場の社長を務めるようになり、繊維産業へと発展していきました。つまり、大原家の歴史そのものが、倉敷の歴史と深く重なっているんです。
藤原さん:大原家は、もともと他の地域から倉敷にやってきて、綿の仲買をしていたんです。そこから商売を広げ、やがて蔵米取引や実綿問屋などにも手を伸ばし、大地主となりました。その後、紡績工場の社長を務めるようになり、繊維産業へと発展していきました。つまり、大原家の歴史そのものが、倉敷の歴史と深く重なっているんです。
邸内には落ち着いた日本庭園や離れ座敷があり、倉敷の町の歴史とともに、大原家の暮らしの息づかいを感じることができます。さらに、大原家の蔵書に囲まれたブックカフェも併設。ゆったりとした時間を過ごしながら、倉敷の文化や歴史に触れることができます。
【語らい座 大原本邸】
【語らい座 大原本邸】
| 所在地 | 岡山県倉敷市中央1丁目2-1 |
|---|---|
| TEL | 086-434-6277 |
| 開館時間 | 9:00~17:00(最終入館は16:30) |
| 休業日 | 月曜日、年末年始 |
◆◆◆◆◆
倉敷を訪れたら食べたい、おすすめグルメ
倉敷を訪れたなら、一度は味わいたい郷土料理が「ばらずし」。穴子などの海の幸、酢蓮根やしいたけといった山の幸をふんだんに使い、酢飯の上にのせた逸品で、見た目も華やかです。
ちなみに、倉敷の人にとって「お寿司」といえば、このばらずしを指します。家庭ごとに具材や味付けが異なる、まさに“家庭の味”が息づく料理です。
ちなみに、倉敷の人にとって「お寿司」といえば、このばらずしを指します。家庭ごとに具材や味付けが異なる、まさに“家庭の味”が息づく料理です。
【お食事処 カモ井】
| 所在地 | 岡山県倉敷市中央1丁目3-17 |
|---|---|
| TEL | 086-422-0606 |
| 営業時間 | 平日11:00~17:30、土日祝日10:30~17:30(いずれもオーダーストップ17:00) |
| 休業日 | 水曜日(祝日の場合は営業、別日の平日に休み)平日11時〜 |
◆◆◆◆◆
「玉島」で感じる、干拓の歴史や北前船との結びつき
倉敷美観地区は年間300万人以上が訪れる岡山県屈指の観光地ですが、藤原さんは「倉敷美観地区だけでなく、北前船の寄港地だった玉島や、学生服やジーンズで有名な児島にもぜひ足を伸ばしてほしい」と言います。
旅のはじめに倉敷美観地区周辺で歴史の背景を学び、他のエリアへ足を運ぶことで、より立体的に“倉敷の物語”を感じられるはずです。
旅のはじめに倉敷美観地区周辺で歴史の背景を学び、他のエリアへ足を運ぶことで、より立体的に“倉敷の物語”を感じられるはずです。
玉島市民交流センター内にある「玉島歴史民俗海洋資料室」では、港町として発展した玉島の歩みや人の営み、北前船(千石船)との関わりを学ぶことができます。かつての玉島は、小さな島々が点在する地域でした。江戸時代の初め、この地を治めていた備中松山藩(現在の岡山県高梁市)が干拓を進め、陸地を広げていきました。
藤原さん:乙島と柏島という2つの小さな島を領地としており、周辺を干拓することで自らの領地を拡大しました。干拓が進むと、物資を運ぶための港が必要となり、領地と瀬戸内海をつなぐ拠点として玉島港を開港。しかし、島の周辺をすべて干拓したために、高梁川から下ってきた舟が一度海へ出ないと港へ入れないという問題が発生したんです。そこで「高瀬通し」と呼ばれる運河を整備し、高梁川から港へ効率よく荷物を[笠井1] 運べるようにしました。
藤原さん:乙島と柏島という2つの小さな島を領地としており、周辺を干拓することで自らの領地を拡大しました。干拓が進むと、物資を運ぶための港が必要となり、領地と瀬戸内海をつなぐ拠点として玉島港を開港。しかし、島の周辺をすべて干拓したために、高梁川から下ってきた舟が一度海へ出ないと港へ入れないという問題が発生したんです。そこで「高瀬通し」と呼ばれる運河を整備し、高梁川から港へ効率よく荷物を[笠井1] 運べるようにしました。
江戸中期以降、玉島港には北前船が盛んに停泊するようになり、物資の流れが活発化していきました。
藤原さん:北前船の往来が始まり、北海道のニシン粕が運ばれてくるようになりました。それが、備中綿の肥料になったんです。輸入品の大部分は綿の肥料で、輸出品は周辺で作られた綿。したがって、玉島は綿で発展した港と言えます。
【玉島歴史民俗海洋資料室】
藤原さん:北前船の往来が始まり、北海道のニシン粕が運ばれてくるようになりました。それが、備中綿の肥料になったんです。輸入品の大部分は綿の肥料で、輸出品は周辺で作られた綿。したがって、玉島は綿で発展した港と言えます。
【玉島歴史民俗海洋資料室】
| 所在地 | 岡山県倉敷市玉島阿賀崎1丁目10-1(玉島市民交流センター内) |
|---|---|
| TEL | 086-526-1400 |
| 開館時間 | 9:00~22:00 |
| 休業日 | 5・8・11・2月の第4月曜日、12/29~1/3 |
国産ジーンズ発祥の地「児島」を歩く
旅の最後に、倉敷市南部に位置する「児島」エリアへ。昭和初期、全国の学生服の9割を児島産が占めており、かつては学生服工場が立ち並んでいました。また、国産ジーンズの発祥地としても知られ、現在も日本のデニム文化を牽引しています。
そんな児島の歴史や技術を肌で感じるなら、「児島ジーンズストリート」を訪れるのがおすすめ。新進気鋭のブランドから老舗メーカーまで、40軒ものジーンズ店が軒を連ねます。
そんな児島の歴史や技術を肌で感じるなら、「児島ジーンズストリート」を訪れるのがおすすめ。新進気鋭のブランドから老舗メーカーまで、40軒ものジーンズ店が軒を連ねます。
藤原さん:戦後、アメリカ軍が穿いていたジーンズが古着で売られるようになり、若者の間で人気を集めました。「児島には縫製の技術があるのだから、作ってみよう」ということで、アメリカから生地を取り寄せて縫ってみたんです。ところが、生地が硬くて縫えなかった。それで、針を変えたり機械を直したりと試行錯誤を重ね、ようやく完成したのが、国産第一号のジーンズと言われています。
【児島ジーンズストリート】
【児島ジーンズストリート】
| 所在地 | 岡山県倉敷市児島味野 |
|---|---|
| 備考 | 開館時間・休業日は店舗によって異なります。 |
そして、児島のジーンズ文化をより深く知るなら、「ベティスミス ジーンズミュージアム&ヴィレッジ」へ足を運んでみるのもいいでしょう。
藤原さん:「ベティスミス」は、国産ジーンズ第一号を生み出したマルオ被服の流れをくむ会社。ここでは、ジーンズの歴史や製造工程を学べるだけでなく、ショップや体験コーナーも充実しています。
藤原さん:「ベティスミス」は、国産ジーンズ第一号を生み出したマルオ被服の流れをくむ会社。ここでは、ジーンズの歴史や製造工程を学べるだけでなく、ショップや体験コーナーも充実しています。
児島ジーンズストリートやベティスミス ジーンズミュージアム&ヴィレッジを巡れば、児島の繊維産業やジーンズ文化がどのように進化しているのかを実感できることでしょう。
【ベティスミス ジーンズミュージアム&ヴィレッジ】
(ジーンズミュージアム1)
(ジーンズミュージアム1)
| 所在地 | 岡山県倉敷市児島下の町5丁目2-70 |
|---|---|
| 開館時間 | 12月~2月9:30~17:00、3月~11月9:00~18:00 |
| 休業日 | 年末年始 |
(ベティズストア)
| 所在地 | 岡山県倉敷市児島下の町5丁目2-79-3 |
|---|---|
| 営業時間 | 12月~2月9:30~17:00、3月~11月9:00~18:00 ※平日、土日ともに12:00〜13:00の間昼休憩 |
塩業で栄えた「旧野﨑家住宅」にも足を伸ばして
繊維業発展の基盤となったのは、江戸時代から続く干拓事業。その歴史を支えた存在の一つが野﨑家です。野﨑家は、岡山藩の命により干拓事業にも関与し、土地を拡大していきました。
その野﨑家の繁栄を今に伝えるのが、旧野﨑家住宅です。野﨑家の初代・野﨑武左衛門は、児島の地の利を活かし、塩業で成功を収めました。そして一代で築いたこの屋敷は、195年以上もの歴史を誇り、国の重要文化財にも指定されています。
その野﨑家の繁栄を今に伝えるのが、旧野﨑家住宅です。野﨑家の初代・野﨑武左衛門は、児島の地の利を活かし、塩業で成功を収めました。そして一代で築いたこの屋敷は、195年以上もの歴史を誇り、国の重要文化財にも指定されています。
藤原さん:ここは江戸時代、岡山藩・池田家の領地でした。野﨑家は岡山藩に献金を行い、その功績から名字帯刀を許されていました。そのため、領主が家を訪問することも。当時、玄関は武家の建物にのみ許されたものでしたが、野﨑家は町人の家でありながら、格式の高い立派な門と玄関を備えていました。これは、旧野﨑家住宅の特徴の一つです。
珍しい藍染めの青壁や、赤みを帯びたベンガラの壁も見どころ。また、戦時中には敵機から目立たないよう、屋敷の上部が黒く塗られるなど、時代の変遷を物語る痕跡も残っています。
珍しい藍染めの青壁や、赤みを帯びたベンガラの壁も見どころ。また、戦時中には敵機から目立たないよう、屋敷の上部が黒く塗られるなど、時代の変遷を物語る痕跡も残っています。
屋敷内でもっとも格式が高いのが表書院。12畳半の「上の間」、15畳の「下の間」があり、周囲の廊下にも畳が敷かれています。畳の中央部分が微妙に盛り上がっているのは、備後産の「中継表(なかつぎおもて)」と呼ばれるもので、かつて城や旧家で採用されていました。現在、この技術を継承する職人は日本でわずか2人。とても貴重なものです。
格式の高さが表れる庭園も見どころ。岡山後楽園をイメージした造りで、ソテツやサツキ、築山が配置されています。
また、茶道の速水流の流れを汲む茶室が3室あります。そのうちの一つ「臨池亭(りんちてい)」は全国的にも珍しい五角形の茶室。他にも、当時の人々の遊び心や工夫が随所に見られます。例えば、屋根の上に置かれた“まげ”のような独特のデザインの石や、空間を広く見せるために柱を途中でなくした構造など、細部にまでこだわりが詰まっています。
全国的にも珍しい、角のない石垣も見どころの一つです。高さ12m、幅50mの規模を誇るこの石垣は、滑らかな曲線を描いており、現在の法律では新しく建設することができない貴重なもの。現在は耐震補強が施され、歴史的景観が守られています。訪れた際は、一枚だけ埋め込まれている「扇形の石」を探してみてください。
旧野﨑家住宅では、塩の作り方や、その重労働ぶりが伝わる資料のほか、野﨑家の人々が暮らしていた跡もそのまま保存されています。昭和初期までここで生活が営まれていたため、当時のままの姿が残る貴重な施設です。
取材協力:旧野﨑家住宅 事務長 辻則之さん
【旧野﨑家住宅】
取材協力:旧野﨑家住宅 事務長 辻則之さん
【旧野﨑家住宅】
| 所在地 | 岡山県倉敷市児島味野1丁目11-19 |
|---|---|
| 電話 | 086-472-2001 |
| 開館時間 | 9:00~16:30(17時閉門) |
| 休業日 | 毎週月曜日(祝日であれば、その翌日)、年末年始(12/25~1/1) |
干拓によって生まれた土地でできた綿花が、足袋や学生服、さらにジーンズへと変化していく――“和”と“洋”が交差するドラマが、ここにはあります。ぜひその物語を体感しに、倉敷を訪れてみてください。
| 【この記事で紹介した構成文化財】 | 倉敷川畔伝統的建造物群保存地区 旧大原家住宅(語らい座 大原本邸) 大原美術館 倉敷館 倉敷アイビースクエア ばらずし 旧野﨑家住宅 繊維製品 |
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