京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~STORY #095

シェアして応援!SHARE

京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~ 京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~
京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~ 京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~
京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~ 京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~
京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~ 京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~
京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~ 京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~
京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~ 京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 ~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき~

ストーリーSTORY

平安京の誕生以来,約千年間にわたり日本の都として栄えた京都は,明治2年の事実上の東京遷都により,人口が減少し,産業も衰退していった。この危機に対して復興策として計画されたのが,琵琶湖疏水である。
琵琶湖から京都に水を引くという一大プロジェクトは,日本最初の事業用水力発電や路面電車の開業のほか,舟運,防火,庭園への活用など,経済や産業,文化を大きく発展させることとなった。また,外国人技師に設計監督を委ねていた時代,すべてを日本人の手で行った我が国最初の大土木工事でもあった。
そして,時が過ぎた平成30年,一度は途絶えた舟運が,観光船「びわ湖疏水船」として,67年ぶりに復活し,現在,多くの方の好評を得ている。
京都に「命の水」を運び続ける琵琶湖疏水。明治期の壮大な志は,時を超え,今に脈々と息づいている。

■京都と大津を繋ぐ「希望の水路」

 千年以上にわたって日本の首都であった京都は,明治維新の東京奠都によって,人口が約3分の1も減少し,「いずれ狐や狸の棲家になる」といわれました。しかし,人々はただ嘆いたのではなく,京都と大津を結ぶ「希望の水路」琵琶湖疏水の建設に,まちの再生の望みを託したのです。

四季折々の表情を見せる琵琶湖疏水 四季折々の表情を見せる琵琶湖疏水

 第3代京都府知事の北垣国道の下,当時の京都府の予算の2年分もの莫大な工事費を要する前代未聞の大事業が始められました。
 工事は,工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業して間もない田邉朔郎(当時21歳)を工事の主任技師に,欧米の先進の測量術で実績を積んでいた島田道生(当時36歳)を測量主任とする青年コンビによる布陣で,明治18(1885)年に着工しました。
 当時の土木技術は現在と比べると未発達であり,機械や材料も貧弱でした。大半の資材を自給自足で賄い,夜には技術者を養成し,昼にはそれを実践するという,現在ではおよそ想像もつかない努力の積み重ねとなりました。また,トンネルを掘り進む中で湧き出る大量の地下水にも悩まされました。

 延べ400万人の作業員を動員し,約5年に及ぶ難工事の末,明治23(1890)年に,第1疏水が完成しました。日本で初めて,日本人のみの手によって成し遂げた大土木事業でした。

 第1疏水によって,京都のまちは,復興の道を力強く歩み始めました。今でも,疏水沿いを歩くと,各所のトンネルに,当時の有力政治家たちの揮ごうによる扁額を目にします。扁額の石に彫り込まれた文字は,琵琶湖疏水が日本における一大プロジェクトであったことを私たちに語りかけています。

トンネルの扁額は揮ごう者の想いを語る (左)伊藤博文,(右)山縣有朋 トンネルの扁額は揮ごう者の想いを語る(左)伊藤博文,(右)山縣有朋

■くらしとまちを大きく発展させた水力発電

 第1疏水から送られる水は,水車動力や舟運,かんがい,防火,庭園用水など,多くの目的に利用されましたが,最も人々のくらしを変えたのは,当時の最先端技術であった水力発電でした。

 当初,琵琶湖疏水は水車の動力に用いる計画でしたが,工事の途中,田邉朔郎は,実業家の高木文平とともにアメリカへ水力利用の視察に赴きました。二人は,コロラド州アスペンの水力発電を視察する中で,大きなひらめきを得ました。帰国後,田邉朔郎は北垣知事を懸命に説得し,工事の途中で,水力発電の実用化に踏み切ったのです。明治24(1891)年に蹴上で日本最初の一般供給用水力発電所が稼働すると,まちに電気が送られ,電灯を灯し,機械を動かす動力に利用されました。

 水力を利用した低廉豊富な電力によって,京都の中小工場の機械化が大いに進んだほか,日本初となる電気鉄道の営業がスタートしました。

まちの発展を支えた第2期蹴上発電所 まちの発展を支えた第2期蹴上発電所

 電力の需要は増大の一途をたどり,京都の経済や産業を発展させ,産業の振興は,その後の工学,科学発展の礎となりました。また,医療や娯楽にも電気が活用され,人々の生活文化の向上に大きく貢献しました。
 電力出力の増強のために建設された第2期蹴上発電所は,現在も蹴上に残っており,京都のくらしとまちを大きく発展させた多大な功績を今に伝えています。

■琵琶湖から大阪までを繋いだ舟運

「びわ湖疏水船」の遊覧 「びわ湖疏水船」の遊覧

 第1疏水から淀川に至ることで,大津から京都を経て大阪までの舟運が開き,物流の拡大によって,経済と産業の更なる発展に繋がりました。運輸に加え,舟の遊覧の名所としても脚光を浴びました。

 その後,舟運は,陸上交通の発達によって途絶えましたが,平成30(2018)年に,約70年ぶりに,観光船として復活しました。この「びわ湖疏水船」は,大津から蹴上までの第1疏水をたおやかに進み,舟に乗ることで,琵琶湖疏水の魅力を間近に感じられます。

■防火用水と日本屈指の近代庭園群

旧御所水道ポンプ室 旧御所水道ポンプ室

 琵琶湖疏水の水は,京都御所や東本願寺などの施設を守る防火用水としても活用されました。疏水沿いに建つ旧御所水道ポンプ室は,かつて京都御所を火災から守るための施設として使われ,今でもその重厚感ある意匠を見ることができます。(国指定登録有形文化財)

無鄰菴の庭園 無鄰菴の庭園

 また,琵琶湖疏水の水によって,岡崎地域には,文化的景観が形成されました。近代における最高峰の作庭家 七代目植治こと小川治兵衛の手で,疏水の水を利用した庭園が作られ,日本屈指の近代庭園群を開花させたのです。第3・9代内閣総理大臣 山縣有朋が京都の居所として活用した無鄰菴は,明治期を代表する庭園です。平安神宮神苑の池には,琵琶湖の水が流れ込むことにより,本来は,琵琶湖で生息しているものの,環境の変化によって,確認が困難となっている絶滅危惧種のイチモンジタナゴが生息しています。
 これらの庭園群を訪れることで,当時から培われている奥深い庭園文化に触れることができます。

■蹴上浄水場からの安全・安心な水道水の供給

蹴上浄水場の第1高区配水池 蹴上浄水場の第1高区配水池

 第2代京都市長の西郷菊次郎のときに進められた「京都市三大事業」の一環として,第2疏水が,明治45(1913)年に完成しました。更に豊富な水が琵琶湖から京都へ送られるようになり,その水資源を利用して,蹴上浄水場から,日本初の「急速ろ過」方式による水道水の供給が始まりました。

 琵琶湖疏水の発展の歴史の上に成り立つ水道・下水道は,今も休むことなく,くらしを守り,京都の経済や産業,文化など,まちの活動を支えています。京都の食文化も水道・下水道によって支えられています。

約4,800本のつつじが咲き誇る 約4,800本のつつじが咲き誇る

 京都の水道事業の発祥となった蹴上浄水場では,毎年,施設の一般公開を行っており,「つつじの名所」としても親しまれています。

■時を超えて今も活き続ける琵琶湖疏水

 琵琶湖疏水は,我が国の近代化を伝える貴重な産業遺産であり,琵琶湖疏水がなければ,今の京都のまちの姿は成り立ちませんでした。現在,琵琶湖疏水は,水道用水,発電用水,かんがい用水,工業用水を供給するなど,様々な都市活動を支える重要な都市基盤施設です。
 琵琶湖疏水は住民のくらしの一部であり,地域に親しまれ,地域ぐるみで魅力の向上に取り組まれています。「びわ湖疏水船」の乗客と疏水沿線を歩く地域の人々が,手を振って挨拶を交わす様子も多く見られます。子どもたちは,授業で琵琶湖疏水について学び,疏水沿いを歩く体験学習も行われています。

琵琶湖疏水記念館 琵琶湖疏水記念館

 また,南禅寺船溜のほとりにある琵琶湖疏水記念館は,琵琶湖疏水に関して,総合的に情報発信する拠点です。同館では,疏水建設に関わる当時の様々な資料や実物を数多く展示し,琵琶湖疏水の歴史や役割について,楽しみながら学ぶことができます。

 京都を再生と飛躍に導き,現在のまちの姿を形づくった琵琶湖疏水は,今も京都と大津を繋ぎ,まちとくらしを潤し続けています。琵琶湖疏水の穏やかな水の流れを「びわ湖疏水船」で遊覧し,四季折々の姿を見せる疏水の沿線や施設を歩くことで,明治の時代に,まちの再生の願いを託し,逆境と苦難を乗り越えた,この壮大な事業が,時を超えて今に息づいていることを,感じることができるでしょう。
【京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水 関連情報サイト】

ページの先頭に戻る