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#016 古代日本の「西の都」
水城跡
白村江の戦いののち、博多湾側からの唐・新羅の進攻に備えて、664年に築かれた城壁(土塁)。『日本書紀』には、前面に水をたくわえた濠をもつことから「水城」と呼んだとある。春日市の天神山、大土居、大野城市の上大利には小規模な水城があり、「小水城」と呼ばれている。
福岡平野を遮断する全長1.2kmもの巨大な土塁は、白村江での敗戦による国家的な危機に対する脅威の大きさを雄弁に語る。『日本書紀』に「水城大堤」と表現された水城は、周辺の谷あいに築かれた小水城とともに一連の防衛線をなし、その築造技術には百済最後の王都・扶余の羅城(城壁)と同じ技術が採用された。のちに、「西の都」大宰府の出入り口にもなり、外国使節や都からの官人らを迎える関門は、出会いと別れの舞台にもなった。
【文責】 福岡県文化財保護課
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