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#018 相良700年が生んだ保守と進取の文化
願成寺と相良家墓地
願成寺は、人吉球磨の領主相良氏の菩提寺の真言宗寺院。天福元年(1233)創建と伝わる。肥後相良氏初代相良長頼の館跡に金堂が建てられたことに始まるという。室町戦国時代には戦火に見舞われ衰微した時期もあったが、天正年間の勢辰和尚の時期に復興を遂げ、後陽成天皇の勅願所の指定も受け、以降は相良氏の菩提寺として人吉球磨の真言宗寺院の一位という寺格を得た。本尊の木造阿弥陀如来坐像は平安期の風格を残した鎌倉時代初期の優品。寺伝によると、勝福寺(廃寺、あさぎり町)の本尊であった、または妙法寺(廃寺、多良木町)の本尊であったものが、普門寺(湯前町)を経て願成寺に移されたという。この他、願成寺には平安時代作の木造不動明王立像(県指定)や南北朝時代作の両界曼荼羅図(県指定)、願成寺文書(県指定)など、多くの文化財が伝来している。 また、相良家墓地は、相良氏当主及び一族等の墓が江戸時代前期に一ヶ所に集められ築かれた大名家墓地。元来、相良氏歴代の墓所は、願成寺を始め、永国寺・中尾山・瑞祥寺(以上人吉市内)・八代・江戸等各所に営まれたが、恐らく22代相良頼喬の代の天和から元禄年間に、現在のような墓地として形成されたと考えられている。墓地内には他にも、関ヶ原合戦時に討ち果たした西軍方の大垣城守将5人や石田三成の供養墓、願成寺歴代住職の墓などがあり、約250基もの五輪塔や宝篋印塔がたたずむ様は威容を誇る。
領主相良氏の菩提寺の第一で、江戸時代は郡内の宗教世界を束ねる地位にあった格式高い寺院。裏に代々当主の墓が集められ、藩主の命日には庶民の参拝も盛んに行われた。
【文責】 人吉市文化課
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