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#018 相良700年が生んだ保守と進取の文化

ひとよしじょうあと人吉城跡

  • 記念物
  • 史跡
  • 室町時代
  • 熊本県人吉市

人吉城跡 人吉城跡

文化財体系 記念物/史跡
年代 室町時代
所在地 熊本県人吉市

概要

人吉城は、戦国時代に球磨郡を統一した相良氏が整備し、以後、明治維新を迎えるまで領主相良氏の支配拠点として利用された城。戦国時代の人吉城の中心は、現在の本丸部の南側の谷を挟んだ部分で上原城と呼ばれた区域にあり、中原城、下原城、内城などの曲輪群で構成された南九州に典型的な群郭式城郭で大手口は東側にあった。天正年間以降、改修を進め、慶長年間以降に本格的に石垣造りの近世城郭に造り変えられた。その際、城の中心部も現在の場所に変更されている。領主の館は「御館(みたち)」と呼ばれ、現在の相良神社本殿のあった付近に御殿があった。御館に入る部分には水堀があり、「御館御門橋」という石橋が架けられた。大手口は西側に変更され、胸川に大手橋が架けられた。そのため大手門は外曲輪部分には重臣屋敷や役所が置かれていた。

ストーリーの位置づけ

球磨郡を統一した相良氏が、戦国期以降、江戸時代を通じて、代々居城とした城。御館前の堀に架かる石橋が完成した時、郡内の臼太鼓踊り組が40組集結し、お祝いのため 12 日間にわたり踊りを披露し、藩主と領民、共に祝った。

【文責】 人吉市文化課

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