相良700年が生んだ保守と進取の文化~日本でもっとも豊かな隠れ里-人吉球磨~STORY #018

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臼太鼓踊り 相良700年が生んだ保守と進取の文化 相良700年が生んだ保守と進取の文化
相良三十三観音めぐり(29番札所・宮原観音) 相良700年が生んだ保守と進取の文化 相良700年が生んだ保守と進取の文化
王宮神社 相良700年が生んだ保守と進取の文化 相良700年が生んだ保守と進取の文化
相良家墓地 相良700年が生んだ保守と進取の文化 相良700年が生んだ保守と進取の文化
球磨神楽 相良700年が生んだ保守と進取の文化 相良700年が生んだ保守と進取の文化
毘沙門天立像(高寺院) 相良700年が生んだ保守と進取の文化 相良700年が生んだ保守と進取の文化

ストーリーSTORY

人吉球磨の領主相良氏は、
急峻な九州山地に囲まれた地の利を生かして
外敵の侵入を拒み、
日本史上稀な「相良700年」と称される
長きにわたる統治を行った。
その中で領主から民衆までが一体となった
まちづくりの精神が形成され、
社寺や仏像群、神楽等をともに
信仰し、楽しみ、守る文化が育まれた。
同時に進取の精神をもってしたたかに
外来の文化を吸収し、
独自の食文化や遊戯、交通網が整えられた。
保守と進取、双方の精神から昇華された文化の証が
集中して現存している地域は他になく、
日本文化の縮図を今に見ることができる地域であり、
司馬遼太郎はこの地を
「日本でもっとも豊かな隠れ里」と記している。

相良文化の成り立ちと特徴

今から800年もの昔、源頼朝の命を受けて、遠江国相良荘(現在の静岡県)から相良のお殿様がこの人吉球磨の地に来られました。その後、明治維新を迎えるまで、なんと700年もの長きにわたり、この地を治められたのです。しかし、この偉業を達成するには大変な苦労がありました。

「険しい山々に囲まれた土地であれば、外敵の侵入は防ぐことができる。しかしその地形と球磨川の恵みによって古から育まれた独自性の強い土地柄、個性の強い民衆の中に入っていくにはどうしたもか・・・。」悩んだお殿様の最初の秘策は・・・「まずは、これまでの伝統文化を認めることから始めよう!」自我の強い民衆の心をつかむため、入国以前の領主に関わる神社仏閣や仏様を残すことにしたのです。心のより所を安堵できた民衆は喜びました。「今度来らしたお殿様は友好的ばい!」民衆の心は少しずつ開き始めます。

焼酎を飲みながら球磨拳に興じる様子 焼酎を飲みながら球磨拳に興じる様子

そこで次の秘策です。「民衆の娯楽を認めてあげよう」貴重品である米を原料とする米焼酎の醸造を認め、またそれに伴う球磨拳やウンスンカルタなどの余興も大目にみました。
民衆の暮らしも徐々に良くなり、藩の財政も立て直っていきます。民衆の心はグッとお殿様に傾いていき...「さすがおどんたちの殿さんは違うばい。よかよか、どこまでもついて行くばい!」

ここまでくればしめたもの。相良のお殿様に対する忠誠心と自負心が芽生え、お殿様の庇護のもと領民は伸び伸びと豊かな生活を営み、庚申信仰や三十三観音などの民間信仰も受け継がれるようになりました。お殿様はこれまで倒してきた人々の荒ぶる魂を鎮め、神様としてまつり、永久に平和な統治が続くよう、最先端の技術・文化を取り込み、領内にどこか都ぶりな茅葺の社寺を造り、自ら祭や儀式も執り行いました。民衆は自分たちの土地にみごとな建物が建ったのを誇らしく思い、「お殿様、ここの管理は我々に任せてください!」こうして社寺の維持管理も地域に根付いたものとなったのです。

相良氏が滅ぼした平川氏を祀る山田大王神社(山江村) 相良氏が滅ぼした平川氏を祀る山田大王神社(山江村)

相良文化の特徴は、このように領主と民衆が一体となって形成され継承されたところにあります。相良のお殿様による秘策は、この地を治めるための必須条件でもあり、その後も歴代当主が継承し続けました。領民の信仰や思いに配慮してあげなければ、お殿様の地位も危ういものになるのです。

現代に息づく相良文化

こうして形成された相良700年の領民の意識は、お殿様がいなくなった現代にも脈々と受け継がれています。球磨神楽やおくんち祭のように、民衆が代々地域で信仰や儀礼を守り続けた結果、今日では各地で姿を消した茅葺の建造物も、この地ではごく当たり前の光景として至るところで目にすることができます。

相良氏により寄進されたり、あるいは相良氏入国以前から守られた、この地域に数多く残る古仏についても、往時のありのままの姿を拝むことができ、あたかも時間が止まったかのように感じられます。

また、球磨川沿いに立ち並ぶ風情ある温泉旅館から、相良氏の居城人吉城が見え、その石垣に往時の相良氏覇権の情景を重ねることができます。
さらに、数百年の歴史を誇る世界ブランドの球磨焼酎は、過去と現在をつなぐ共通の味わいを感じさせ、「球磨の焼酎学校」を開校し、焼酎文化を次世代に伝える取り組みを行っています。

また、宴会の余興として歌われてきた民謡では、球磨の民謡の継承と普及を目的にした“全国選手権大会”が開催され、全国の“のど自慢”が競い合います。ウンスンカルタでは、保存会が毎年“全国大会”を開催、球磨拳では、多良木町が“世界大会”を開催し、いずれの大会も子供から大人まで出場して大きな盛り上がりをみせてます。

城泉寺阿弥陀三尊像(湯前町) 城泉寺阿弥陀三尊像(湯前町)

相良三十三観音めぐりは、春秋のお彼岸に行われる「御開帳」を目当てに札所をめぐる大勢の人たちで賑わい、地域の方々の温かい「お接待」も相まって、身も心も清められ癒されます。
相良のお殿様と民衆によって創り上げられた人吉球磨の歴史遺産は、特別な場合の特別な存在ではなく、現代の人吉球磨に生きる私たちの日常生活の中に溶け込んでいる、いわば生きた歴史遺産といえるのです。このような独自の文化が現在も継続している状況は、まさに人吉球磨でしか見ることができず、昭和を代表する歴史小説家である司馬遼太郎は、その著書『街道をゆく』の中で、人吉球磨の地を「日本でもっとも豊かな隠れ里」だと絶賛しています。

人吉球磨にとってこうした日常的な光景は、外から来る人々の目には非日常的な光景であるともいえ、そうした光景や営みを、球磨川の川下りの舟の上から、あるいは沿線を走る肥薩線に乗って隅々まで見て聞いて味わうことができるのです。

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