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#019 政宗が育んだ“伊達”な文化
おくのほそ道の風景地(籬ケ島)
松尾芭蕉は古歌の名所、由緒・来歴の地を訪ねて陸奥(むつ)・北陸路を旅し、紀行文学の傑作である「おくのほそ道」を完成させた。芭蕉とその弟子の曾良(そら)が作品に書きとめた風景は近世・近代を通じて人々の風景観に影響を与え続け、今なお往事の雰囲気と遺風を伝える一体の風致景観である。 「壺碑」「興井」「末の松山」を訪ねた芭蕉は、塩竈に到着した。「籬が島」については、「五月雨の空いささか晴れて、夕月夜幽かに、籬が島もほど近し。」と記して、塩竈の浦の夜の風情の感傷に浸っている。「籬が島」は、「わが背子を 都にやりて 塩竈の まがきの島の まつぞ恋しき」(よみ人しらず)など多くの歌に詠まれ、歌枕として有名であった。島内に鹽竈神社の末社、曲木(まがき)神社がある。
「わが背子を都にやりて塩竈のまがきの島のまつぞ恋しき」(よみ人しらず)など多くの歌に詠まれ歌枕の地として有名。
【文責】 宮城県教育庁文化財課
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