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#029 飛騨匠の技・こころ
吉島家住宅(水間一門の流れをくむ建築群)
吉島家の初代は文政6年(1823)に没した休兵衛で、代々生糸、繭の売買、金融、酒造業を営んだ。吉島家の日記によると明治8年(1875)高山の大火後、翌9年に再建した。しかし明治38年(1905)再び類焼し、本宅表側の店二間通りだけが焼け残ったとある。四代吉島斐之は明治40年再建を行った。大工は主屋を川原町西田伊三郎が、座敷を吉城郡上宝村の内山新造が建てた。 主屋は2階建であるが全体のたちは低く、下手の落棟部は中2階である。1階前面には様々な格子が幅広く付き、優れた意匠をもつ。2階壁面は低く連子窓を連続させるが、入口大戸の上は化粧貫2本を横に通した土壁となる。向って左側の落棟は中2階に与力窓を設ける。 隣つづきの日下部家と異なるところは、軒下にせいがい天井がなく、前側2階の柱間が広いこと、北側出格子が入口一間手前で入格子になって葬式の際に出棺する場所が設けられていること、全体的に地味な印象を与えることなどである。 棟まで1本で通した大黒柱は太く美しい。大黒柱に組み込まれた吹抜部分の梁組は、丁寧に鉋で仕上げられ、漆を塗られている。天窓から差し込む幾筋かの光が、斜めにこの吹抜けを通る構成はすばらしいものがある。庭は、前側にナカニワ、裏側にウラニワがある。それぞれ茶室、仏間、本座敷、次の間から眺められる間取をもつ。
四代目水間相膜に師事した西田伊三郎によって、明治40年に建てられた町家建築。土間の吹き抜けの梁は木の美しさが際立つように高い技術によって加工され、束と梁が整然とした構成となる。伝統に基づき、全体としてこれ見よがしでない簡素な美しさを見せる。高山における町家建築の白眉。
【文責】 高山市教育委員会事務局文化財課
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