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#001 近世日本の教育遺産群
足利学校跡(聖廟および附属建物を含む)
足利学校は、現存する日本最古の学校の遺跡である。 起源は9世紀から13世紀など諸説あるが、文献上その具体像が明確になるのは、応永30(1423)年の書物に「学校」の名が記され、関東管領の上杉憲実(のりざね)が、学田と書籍を寄進し学規を定めた頃からである。 宣教師フランシスコ・ザビエルは「都の大学のほかに、なお有名な大学が五つ」あり、そのうち四つは高野山、根来寺、比叡山、三井寺にあるとしたうえで、「最も有名でかつ最も大きいのは坂東(足利学校)であり、学生の数もはるかに多い」と記している。 なお、足利学校に現存する最古の建築は、寛文8(1668)年に建築された大成殿及び学校門であり、現存する日本最古の学校建造物を有する学校とされる。 近世を通して、上杉憲実以来の漢籍等の蔵書を求めて、多くの文化人や学者が足利学校を訪れた。
律令制度の弱体化で京都の大学寮、勧学院、学問所が衰退する中で、古代以来の学問を近世へとつなぐ役割を果たすとともに、17世紀半ばには大成殿(孔子堂)が建てられ、近世の学問教育の基盤となった。
【文責】 足利市教育委員会事務局文化課
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