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#001 近世日本の教育遺産群
咸宜園(かんぎえん)跡
儒学者廣瀬淡窓が開いた近世日本最大規模の私塾跡。江戸幕府の直轄地(天領)として、代官所が置かれた豊後国日田(大分県日田市)は、町人の町として栄え、淡窓は豆田町の豪商「博多屋」の長男として1782年(天明2)に生まれ、幼少の頃から漢学や漢詩を学びました。福岡藩儒の亀井南溟や昭陽にも学びましたが18歳の時に病のため退塾、以後療養しつつ独学を続けました。1805年(文化2)に家督を弟に譲り、豆田町の長福寺学寮を借りて教授を始めました。それから「成章舎」「桂林園」と場所や塾名を変えながら教授を続け、1817年(文化14)に現在の場所に咸宜園を開塾しました。 咸宜園は儒学や漢詩を通じて漢文を学ぶ漢学塾で、淡窓没後も歴代10人の塾主により1897年(明治30)まで続きました。入塾に当たり、身分・年齢・学歴を問わない「三奪法」や毎月成績評価を行う「月旦評」など先進的な制度を導入し、日本全国から5,000人を超える門下生が集いました。
廣瀬淡窓が創設した江戸時代最大規模の私塾。
【文責】 大分県日田市教育庁世界遺産推進室
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