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#036 “日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島

ともうらぜんぷくじほうきょういんとうおよびしゅうへんのちゅうせぶんかざい友浦善福寺宝篋印塔および周辺の中世文化財

  • 有形文化財
  • 重要文化財
  • 鎌倉時代
  • 南北朝時代
  • 室町時代
  • 愛媛県今治市
  • 建造物

友浦善福寺宝篋印塔および周辺の中世文化財 友浦善福寺宝篋印塔および周辺の中世文化財

文化財体系 有形文化財/重要文化財
年代 鎌倉時代
南北朝時代
室町時代
所在地 愛媛県今治市
分野 建造物

概要

友浦港から約200m山手に上がった島四国第19番札所・善福寺境内にある大型の宝篋印塔2基のうち、右の塔で14世紀前期の在銘遺品である。基礎に刻まれた「嘉暦元年丙寅七月日」の銘から1326年の造立であることが知られている。基礎幅は66cm。塔身には胎蔵界四仏の梵字が薬研彫される。このほかにも善福寺には、多くの五輪塔や宝篋印塔、鎌倉時代中期頃と考えられている地蔵菩薩立像が残る。また、周辺には、14世紀頃の土器がまとまって出土した友浦立石遺跡があり、これらはこの頃の友浦に集落が営まれていたことを示す貴重な文化財である。

ストーリーの位置づけ

村上海賊の前身となる伊予大島の有力な勢力が存在していたことを示す鎌倉時代末期、嘉暦元(1326)年銘が入った宝篋印塔。友浦地区周辺には、鎌倉時代中期の善福寺地蔵菩薩立像など、同時代の文化財が多く残る。その沖合には、村上海賊の時代の海城、九十九(つくも)島城が築かれた。

【文責】 今治市文化振興課

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