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概要
7世紀はじめ、聖徳太子により日本で初めて遣隋使として隋に派遣された小野妹子の墓です。科長神社の南側の小高い丘の上の塚が小野妹子の墓と伝えられており、塚の規模は東西15m、南北11m、高さ3m余の楕円形を成しています。
ストーリーの位置づけ
小野妹子は、彼が隋へ持参した日本の国書の内容に、隋の皇帝が大変怒ったという言い伝えで有名ですが、妹子の没年や墓の所在についての記録は全くありません。この塚が小野妹子の墓であるという伝承は、この場所が妹子を大陸に遣わした推古天皇や聖徳太子の眠るこの磯長谷であることや、妹子が大陸に渡る際に通ったであろう竹内街道の沿道にあるということが、この背景にあったと思われます。
【文責】 【太子町まちづくり推進部観光産業課】