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#005 海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群
三方五湖
国名勝三方五湖は三方湖、水月湖、菅湖、久々子湖、日向湖の5つの湖とその周辺域、常神半島を含む若狭湾に面した海岸部から構成されている。海と繋がっている日向湖岸の日向浦や、常神半島の遊子、小川、神子(御賀尾)、常神は、鎌倉時代には漁業や製塩業、廻船業が盛んに行われ、海産物流通における大きな影響力を持っていた。これらの浦々から鯛やイワシ、アワビなどの海産物が「若狭の美物」として丹後街道を経由し若狭街道を使って都に送られていた。また久々子湖付近には、小浜の港が開発される以前、平安時代中期から鎌倉時代にかけての間、日本海航路の重要な港として利用されていた「気山津」があり、ここで荷揚げされた物資は若狭街道・熊川経由で都へと運ばれていた。さらに、江戸時代初期には三方五湖のうなぎは、「若州うなぎ」として京都で珍重されていた。江戸時代後期の記録には、熊川を通って京都まで、街道沿いの宿場に置かれた生簀を使って、生きたまま京に運ぶという画期的な物流が行われていた。
中世、湊町として栄えた気山から若狭街道までを結ぶ丹後街道や、古くから廻船や漁業で栄えていた田烏浦から若狭街道へと抜ける鳥羽谷もまた、諸国から運ばれた物資や、若狭湾や三方五湖の幸を熊川経由で都に運んでいる。田烏をはじめとする若狭の浦々では、豊富にとれた鯖などの海産物を長期食用するために発達した「へしこ」や「なれずし」などの加工技術が、街道の歴史の中ではぐくまれ、独特の食文化として今も生きている。
【文責】 小浜市文化交流課
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