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#001 近世日本の教育遺産群
廣瀬淡窓の思想を育んだ淡窓の生家。1673年(延宝元)に日田廣瀬家初代五左衛門が博多から豆田町に移住し、屋号を「堺屋」、のち「博多屋」と称し、商業と農業を営んだのが始まりです。二代源兵衛の時に日田代官所へ御用商人として出入りが許され、三代久兵衛の時に家業を拡大、四代平八(淡窓の伯父)の時に岡藩・府内藩・対馬藩などの御用達を勤め、金融業を営むようになりました。平八は淡窓の父である三郎右衛門(桃秋)に家督を譲り、堀田村(淡窓町)に秋風庵を建てて隠居、秋風庵月化と称して俳諧の宗匠となりました。 廣瀬家は淡窓が誕生する時期には、魚町通りをはさんで「北家」と「南家」からなる現在の敷地が形成されました。淡窓は2歳から6歳まで月化夫妻と秋風庵で暮らし、福岡へ遊学した16歳から18歳の間を除き、36歳の時、咸宜園を開くまでの間、淡窓はこの生家で寝起きしました。現在は公益財団法人廣瀬資料館として資料館の保存・公開を行っています。
廣瀬淡窓の人間形成に大きな影響を与えた生家。
【文責】 大分県日田市教育庁世界遺産推進室
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