お知らせnews
稲むらの火記念公園に、大きな稲むらが完成しました。
稲むらは刈り取った稲束または脱穀後の稲藁を積み重ねたもので、昔は大変貴重なものでした。安政元年(1854)の津波の際には、濱口梧陵が暗闇のなか火を放ち、避難路を示すことで人々を救いました。
広川町の日本遺産構成文化財にもなっており、現在はあまり作られることがありませんが、「稲むらの火」のシンボルとも言えます。
この稲むらは、「稲むらの火」の物語を語り継ぐことも目的として、広川町が地域の団体「稲村のいなほかい」へ委託し、製作して頂きました。
今回は田んぼ2反分(約20a分)もの稲穂を使い、とても大きく立派な仕上がりになりました。
ぜひご覧ください。
稲むらは刈り取った稲束または脱穀後の稲藁を積み重ねたもので、昔は大変貴重なものでした。安政元年(1854)の津波の際には、濱口梧陵が暗闇のなか火を放ち、避難路を示すことで人々を救いました。
広川町の日本遺産構成文化財にもなっており、現在はあまり作られることがありませんが、「稲むらの火」のシンボルとも言えます。
この稲むらは、「稲むらの火」の物語を語り継ぐことも目的として、広川町が地域の団体「稲村のいなほかい」へ委託し、製作して頂きました。
今回は田んぼ2反分(約20a分)もの稲穂を使い、とても大きく立派な仕上がりになりました。
ぜひご覧ください。