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2023.10.19

特集

日本遺産巡り#21◆祈る皇女斎王のみやこ 斎宮

天皇に代わり伊勢神宮に祈りを捧げた
〝斎王〟が暮らした幻の宮とは?
斎王の歴史を辿るまち巡り

斎宮歴史博物館提供 斎宮歴史博物館提供

「お伊勢さん」の名で親しまれる伊勢神宮は、全国に約8万箇所ある神社の総本社。今では日本のみならず世界中から参拝客が訪れています。しかし、伊勢神宮は古代、皇族のみ参拝が許される場所だったのをご存知でしょうか。

その時代、天皇に代わり未婚の皇女「斎王(さいおう)」が都から伊勢神宮近くに居を移し、そこから伊勢神宮に赴き、祈りを捧げていました。皇祖神を祀る伊勢神宮と宮廷、そして天皇と伊勢の神とを結ぶ象徴が斎王だったのです。

斎王の暮らした宮殿と役所がある「斎宮(さいくう)」が存在した三重県明和町は、「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」として日本遺産に認定されています。皇族や伊勢神宮ともゆかりの深いこの地を、明和町斎宮跡 文化観光課 文化財係長(発掘調査担当)・文化財技師 乾 哲也さんにお話を伺いながら案内していただきました。

明和町斎宮跡 文化観光課 文化財係長(発掘調査担当)・文化財技師 乾 哲也さん 明和町斎宮跡 文化観光課 文化財係長(発掘調査担当)・文化財技師 乾 哲也さん

斎王は660年も続き、60名ほど存在していた!

斎王は、天皇が即位するたびに天皇の親族から選ばれました。斎王に選ばれると、俗世間から離れ、潔白な身で斎宮へと旅立たなくてはなりません。さらに、天皇の交替、身内の不幸などがない限り、都へ戻ることは許されませんでした。古代最大の内乱と言われる壬申の乱(672年)からおよそ660年もの間、60人ほどの「斎王」が選ばれたと言われています。
 

斎王イメージ

斎王は「占い」の儀式で選ばれていた
新しい天皇が即位すると、「卜定(ぼくじょう)」と呼ばれる占いによって新たな斎王が選ばれました。

乾さん:天皇の即位にともなって、未婚の内親王(天皇の娘)または女王(天皇の叔母)から占いによって斎王が選ばれます。鹿の肩甲骨や亀の甲羅に、熱した桜の木を押し当て、割れ方や割れた場所で選定をしていたんです。
 
斎王の存在はいまだに謎だらけ

斎王が乗っていたとされる「葱華輦(そうかれん)」 斎王が乗っていたとされる「葱華輦(そうかれん)」

卜定によって選ばれた未婚の皇女は、現在の三重県明和町にあった斎宮へと旅立ちます。

乾さん:最初は、もっとも権威の高い「天皇の娘」が斎王として選ばれていましたが「伊勢に行けば娘は戻ってこない。人情的につらい」ということで、徐々に天皇の叔母や姪が遣わされるケースが増えていきます。

「女性天皇の場合は斎王が選ばれていない場合がある」など、今でも謎が残っています。また、なぜ女性のみだったのかについても、いまだに明らかになっていません。男性だと、権力争いの種になることが想像できたからかもしれませんね。
 
斎王の役割は「祈る」こと
5泊6日の旅を経て京の都から斎宮へと居を移す斎王は、この地で新たな生活を始めます。

乾さん:斎王は、伊勢神宮で行なわれる年に3回の大きな祭(9月神嘗祭、6月・12月の月次祭)に参加し、斎宮内では都に準じたさまざまな祭りや年中行事が行われました。

斎王のためだけに、斎宮は都と同等の体制が整えられており、暮らす上での不便はなかったようです。斎王の身の回りの世話をする女官は都から同行し、斎宮には貴族もよく訪れました。斎宮で働く方は現地からも採用されていたようです。

斎王の大きな役割は、祈り、祭りを通して天照大神に仕えることですが、歌会など、都で行われていたような遊びも楽しみ、貴族らしい生活を送っていたと想像されます。斎宮は、文化の発信拠点でもあったようです。
660年続いた歴史は、幻に......

660年ほど続いた斎王制度は、時代の変化とともに姿を消していきます。 660年ほど続いた斎王制度は、時代の変化とともに姿を消していきます。

乾さん:伊勢神宮は残りましたが、斎宮は残りませんでした。その大きな理由は、国内の兵乱に加え、鎌倉・室町時代あたりから伊勢神宮に天皇以外もお参りに来て良いという方針に変わったことが挙げられます。そこで伊勢神宮の天照大神に仕え、祈り、神と人との架け橋になっていた斎王の存在意義が揺らいでしまったんです。
 
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『伊勢物語図色紙』斎宮歴史博物館提供 『伊勢物語図色紙』斎宮歴史博物館提供

【斎王と日本文学】あの六条御息所の娘も「斎王」だった!

神に仕える未婚の皇女という特殊な立場にあった斎王は、『伊勢物語』『大和物語』『増鏡』『とはずがたり』『源氏物語』『更級日記』『栄華物語』『大鏡』など、数々の王朝文学に登場します。

例えば『源氏物語』では、六条御息所が斎王に選ばれた娘とともに都から伊勢に下るエピソードが描かれており、当時「斎王」が当たり前に存在していたことがうかがい知れます。実際には、母親が斎王についていくケースは稀で、文献上では3件のみ記録されています。
 
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時を経て、徐々に姿を現した幻の都

当時の斎宮を再現したジオラマ。斎宮がもっとも栄えていた頃は、敷地内に100から200棟ほどの建物があったといいます。 当時の斎宮を再現したジオラマ。斎宮がもっとも栄えていた頃は、敷地内に100から200棟ほどの建物があったといいます。

斎宮は、碁盤の目状に道が走り、斎王が住む建物や神殿、斎宮を管理するそれぞれの役人の建物などが並び、斎王をはじめ、斎王に仕える官人や番上、命婦や乳母など500人以上の人が暮らしていたと言われています。地方の国府よりはるかに大きい、もう一つの都を思わせる一大都市でした。

遺跡の規模は、東西約2キロメートル、南北約0.7キロメートル、総面積は約137ヘクタールと全国屈指の広大なものです。1970年(昭和45年)に始まった発掘調査は現在も続いており、「幻の宮」は少しずつその姿を現し始めています。

現在も行われている発掘調査の様子 現在も行われている発掘調査の様子

乾さん:明治40年頃に、伊勢神宮の神官の方が「斎宮はこのあたりにあるはず」と研究を始めました。斎宮駅のそばに、地元で「斎王の森」と呼ばれていた森が残っており、「ここが中心だろう」と推測はしていたものの、昭和の時代になり発掘調査が始まるまで正確な場所はわからなかったんです。昭和45年から宅地開発される前に発掘調査を行ったところ、硯の破片といった普通の古代遺跡では見つからない遺物が出てきたことで、現代の発掘調査につながりました。
 

発掘調査では、柱の跡を頼りに建物の構造や大きさを推測しているといいます。 発掘調査では、柱の跡を頼りに建物の構造や大きさを推測しているといいます。

乾さん:元々この地は畑でした。通常、史跡に指定された場合、土地を買い上げて保全しますが、斎宮跡は広大なことがわかり、すでに住居も建てられていたため住民全員の立ち退きは現実的ではなく、発掘も暮らしの場を尊重しながら進めています。発掘調査が進み、飛鳥時代から平安時代に至る、時代ごとの中心エリアがわかってきたところです。

前の調査と組み合わせないとわからないことも多いため、「調査の完了」はありません。発掘が終わっても、後世まで残ったものと残っていないものがありますし、全貌が明らかになることは難しいんです。
 

斎王に想いを馳せ、斎宮の名残りを体感する旅

斎宮ガイドアプリ 斎宮ガイドアプリ

乾さん:旅の前に「斎宮ガイドアプリ」をダウンロードしてみてください。より現地での体験を楽しんでいただけると思います。アプリからは、斎王制度や斎宮での生活を学べるマンガが読めたり、構成文化財を巡るスタンプラリーができたりします。斎宮の再現イメージは、現地に行くと見られる仕様です。ぜひ、現地で当時の様子を想像して楽しんでいただきたいですね。
 
「斎宮歴史博物館」で視覚的に斎王と斎宮を学び、珍しい出土品を鑑賞!

斎宮歴史博物館

伊勢神宮に仕えた皇女・斎王とその居所・斎宮の歴史を紹介する県立の博物館。展示室は「文字(文献史料)からわかる斎宮」と「もの(発掘された考古資料)からわかる斎宮」の2つに分かれており、斎宮跡の発掘で見つかった重要文化財2,661点を含む出土品などが展示されています。
 

全国でも10点もないという奈良時代の「羊形硯」 全国でも10点もないという奈良時代の「羊形硯」

乾さん:一般的な集落からは出てこない食器も数多く出土していることからも、斎宮が特別な場所だったことがわかります。さらにユニークなのは、羊形硯ですね。事務仕事に欠かせない硯は、地方での出土がほとんどなく、羊形のものは全国的にも10点もありません。
 
ひらがなが記された土器 ひらがなが記された土器
ひらがなが記された土器 ひらがなが記された土器
乾さん:紙が貴重だったため、手習いとしてひらがなが記された土器も貴重です。ひらがなは女性の文字とされ、識字率が極めて低かった当時の地方都市ではほぼ出土しません。つまり、斎宮にひらがなを使いこなす女性が大勢いたという証明となります。博物館を見てから斎宮跡を歩くと、また違った風景が目に浮かぶと思いますよ。
 
【斎宮歴史博物館】
 
住所 三重県多気郡明和町竹川503
アクセス 近鉄「斎宮駅」から徒歩15分ほど

斎宮歴史博物館 公式サイトはこちら

黒木の鳥居 黒木の鳥居

斎王の御殿があったと伝えられてきた「斎王の森」
かつて、斎王の御殿があったと伝えられてきた斎王の森。今では、斎宮跡のシンボルゾーンとして親しまれています。

乾さん:普通の神社の鳥居とは異なり、皮がついたままの木でつくられる「黒木の鳥居」が採用されています。原始的ですが、祭りの場にふさわしい形ですね。中には「斎王宮阯」と刻まれた石碑があり、そこは伊勢神宮の管理地なんです。
 
【斎王の森】
 
住所 多気郡明和町斎宮2918-10
アクセス 近鉄「斎宮駅」から徒歩5分

観光三重 斎王の森情報はこちら

地元の方の信仰の場「竹神社(野々宮)」

周辺から、平安時代の大規模な塀列や掘立柱建物の跡が発掘され、ここにも斎王の御殿があった場所ではないかといわれている竹神社。 周辺から、平安時代の大規模な塀列や掘立柱建物の跡が発掘され、ここにも斎王の御殿があった場所ではないかといわれている竹神社。

乾さん:竹神社は地元の信仰を集めており、今も昔も祈りの場が必要とされていることを感じます。御朱印も斎王にちなんだものを出していたり、地元の方が手水舎をお花で飾っておもてなしをしたりしていますよ。社務所が空いている日にちに合わせて、近くの古民家カフェもオープンするので、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
 
【竹神社(野々宮)】
 
住所 多気郡明和町斎宮2757-2
アクセス 近鉄「斎宮駅」から徒歩8分

観光三重 竹神社情報はこちら

「さいくう平安の杜」には古代建築の再現建物も
さいくう平安の杜
さいくう平安の杜
さいくう平安の杜
広大な敷地に、斎宮の役所であった「斎宮寮(さいくうりょう)」の建物3棟を再現している「さいくう平安の杜」。斎宮寮では長官によって、儀式や饗宴が行われていたといいます。

乾さん:斎宮の建物の屋根は、檜皮(ひわだ)葺きです。瓦は当時、仏教的なものと考えられており、仏教にまつわる言葉を「忌詞(いみことば)」としていた斎宮内には取り入れられませんでした。復元されたのは、西脇殿と正殿と東脇殿の3棟です。復元建物では、斎王まつりやコスプレイベントなども行われていますよ。
 

ここでは「斎宮VR(多言語対応)」も体験できます。 ここでは「斎宮VR(多言語対応)」も体験できます。

【さいくう平安の杜】
 
住所 多気郡明和町斎宮2800
アクセス 近鉄「斎宮駅」から徒歩5分

さいくう平安の杜の情報はこちら

平安時代の雰囲気を肌で感じられる「いつきのみや歴史体験館」

斎宮がもっとも栄えていたという平安時代の歴史、文化、技術を体験できる施設。「平安装束試着体験」では、当時の衣装を着て記念撮影も行えます(有料、要予約)。 斎宮がもっとも栄えていたという平安時代の歴史、文化、技術を体験できる施設。「平安装束試着体験」では、当時の衣装を着て記念撮影も行えます(有料、要予約)。

乾さん:ここでは、葱華輦(お輿)に乗ったり、十二単の試着体験をしたりできます。平安時代のボードゲーム「盤すごろく」や、美しい貝殻で神経衰弱のような遊びをする「貝覆い」、蹴鞠もぜひ体験してみてください。貝殻の内側に絵を描く「絵付け体験」は、まさに平安時代の貴族の遊びですね。また、機織り体験や火おこし体験、土器作り体験も子どもたちから人気がありますよ。
 

麻もしくは絹を使った、本格的な織物を体験できます(有料、要予約)。 麻もしくは絹を使った、本格的な織物を体験できます(有料、要予約)。

麻もしくは絹を使った、本格的な織物を体験できます(有料、要予約)。 麻もしくは絹を使った、本格的な織物を体験できます(有料、要予約)。

明和町提供 明和町提供

明和町提供 明和町提供

【いつきのみや歴史体験館】
 
住所 三重県多気郡明和町斎宮3046番地25
アクセス 近鉄「斎宮駅」から徒歩1分

いつきのみや歴史体験館情報はこちら

「斎王群行」を再現した「斎王まつり」

明和町提供 明和町提供

斎王が都を旅立つ際に行う「禊の儀」、斎宮までの旅「斎王群行」を再現した「斎王まつり」は、明和町にもっとも人が集まる一大イベントです。

乾さん:毎年6月に行われる斎王まつりは、明和町の人口を超える3万人もの来場がある大きなイベントです。都から伊勢神宮までの5泊6日の旅「斎王群行」を再現したお祭りで、平安時代の衣装をまとった斎王や女官役の群行は見応えがあります。
 

いまだに謎の多い
「伊勢神宮」の歴史を紐解く鍵を握る斎王研究

斎王の森 斎王の森

乾さん:斎宮跡の発掘現場はランドマーク的なものが少ないのですが、初期斎宮の調査は、伊勢神宮の成り立ちを深く知るためには欠かせません。天皇の代理として伊勢神宮に祈りを捧げる斎王がいる。つまり初期斎宮ができた頃には、伊勢神宮もあるということになるため、この先の研究は重要です。

伊勢神宮と密接なかかわり合いがある史跡なので、伊勢神宮への観光と一緒に立ち寄っていただけたら嬉しいですね。現在、20名ほどのガイドボランティアさんがいるので、現地を案内してもらうと、もっとこの地を楽しめると思います。
【斎宮駅までのアクセス】 近鉄「名古屋駅」から「松阪駅」で下車(約80分)。「山田線(賢島行き)」に乗り換え。約10分。
【本稿で紹介した構成文化財】 斎宮跡
斎宮跡出土品(斎宮歴史博物館)
斎王の森
竹神社(野々宮)

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