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2023.11.08

特集

日本遺産巡り#23◆相良700年が生んだ保守と進取の文化
~日本でもっとも豊かな隠れ里-人吉球磨~

相良氏と民衆が大切にしてきた「神仏」と「米」が織りなす文化。人吉球磨をめぐる旅

相良氏と民衆が大切にしてきた「神仏」と「米」が織りなす文化。人吉球磨をめぐる旅

熊本県の南端に位置する人吉球磨(ひとよしくま)。急峻な九州山地と日本三大急流の一つである球磨川に囲まれたこの地では、鎌倉時代から江戸時代までのおよそ700年の間、相良(さがら)氏による統治のもと、仏教文化や球磨焼酎などの豊かな民衆文化が醸成されました。

この壮大なストーリーは、「相良700年が生んだ保守と進取の文化」として日本遺産に認定されています。人吉市教育委員会 文化課の三村講介(みむらこうすけ)さんに、この日本遺産の地を案内していただきました。
 

人吉市教育委員会 文化課 三村 講介さん 人吉市教育委員会 文化課 三村 講介さん

領主の人柄が守った文化。その700年の歴史をたどる

人吉球磨と相良氏の歴史は、鎌倉時代に幕府の命を受けた相良長頼が静岡を離れ、人吉の地に赴任したことから始まります。それ以来700年にわたり、人吉球磨の地は相良氏に治められました。その歴史の中で育まれたさまざまな文化は、現在でも多くの文化財として残っています。人吉で民衆文化が育まれてきた理由について、三村さんは次のように話します。

三村さん:前近代においては、その土地の領主が変わると、新しい領主によってそれ以前に造られた寺社や仏像などが壊されてしまうことがよくありました。しかし、相良氏はこれまでに暮らしていた人たちの文化を尊重して、古くからあるものを壊さなかったんです。

そして、文化を大切にする相良氏の統治は、鎌倉時代から明治維新まで700年間続きます。古くからあるものが壊されずに残り、その後700年の間に人吉球磨を統治した領主も、民衆の文化を大切にしました。そのおかげで、民衆は豊かな心を持つようになり、安心して数々の寺社や仏像を大切に残すことができたんです。
 
人吉球磨の保守と進取の象徴「青井阿蘇神社」
700年に渡って人吉球磨の地を治めた相良氏。その相良氏の時代に保護を受け続けた神社が、国宝に指定されている青井阿蘇神社です。

地元の人から「青井さん」の愛称で親しまれ、正月には地元の参拝客でいっぱいになるという青井阿蘇神社は、人吉球磨の保守と進取精神を象徴する場所だといいます。

三村さん:この青井阿蘇神社は、新しい文化をどんどん取り入れてきた場所です。1613年に現在の本殿が完成するのですが、その時には安土桃山時代に流行した華美な装飾が取り入れられました。

青井阿蘇神社の中には、中国の道教思想の影響を受けた装飾物も人吉球磨独自の彫刻もあり、いろいろな文化がミックスされている様子がうかがえます。今後は隈研吾さんが設計した国宝記念館も完成予定です。青井阿蘇神社は、何度も補修されながら、江戸初期当時の様子をそのままに残している場所なんです。
 

国宝 青井阿蘇神社。茅葺き屋根が特徴です。 国宝 青井阿蘇神社。茅葺き屋根が特徴です。

黒を基調とした漆塗りと、細部の木組みに塗られた赤漆によって格調高く彩られた青井阿蘇神社の建物。彫刻や飾りなどには桃山期特有の華麗な装飾が見られ、歴史的な価値も高い場所です。
 

華麗な装飾が見られる青井阿蘇神社。 華麗な装飾が見られる青井阿蘇神社。

700年の歴史で何度もピンチになった相良氏

相良氏が江戸時代以降の居城にした人吉城跡 相良氏が江戸時代以降の居城にした人吉城跡

鎌倉時代に始まった、相良氏による人吉球磨の統治。ただ、その相良700年の歴史は、順調な道のりではありませんでした。

三村さん:人吉球磨を700年間治めた相良氏ですが、歴史上では何度も危機がありました。例えば、安土桃山時代には、薩摩の島津家と攻防を繰り返して敗れ、島津氏の配下になっていたため、豊臣秀吉の九州征伐の際、いち早く秀吉に面会して臣従しました。関ヶ原の戦いでは、石田三成と友好関係にあったこともあり、最初は西軍についていました。この時は、機転を利かして、途中で徳川方につくことで難を逃れたんです。

しかも、江戸時代初期にお家騒動が起こるなど、数々の困難にも遭います。もし相良氏が途絶えていたら、今の人吉球磨はなかったかもしれません。相良700年の歴史は、相良家の機転と歴史的な偶然がうまくかみ合って、続くことができました。
 

保守の精神は人々の心にも。
人吉球磨の仏教美術と寺社仏閣をめぐる

人吉球磨の地では、さまざまな仏教美術や寺社仏閣が作られました。そして、それらの歴史的価値の高い文化財は、現在も地元の人々の手によって大切に守り続けられています。その理由について、三村さんは次のように話します。

三村さん:人吉球磨の地では、人々の間に「伝統をしっかり守っていこう」という考え方が根付いています。そのため、人吉球磨にある神社やお寺、茅葺き屋根の建物は、その土地の人々によって今も大切にされ続けています。

行政のサポートがあるとはいえ、昔からの建造物を修繕しながら保管するのは、手間も費用もかかるため大変です。それでも守り続けているのは、保守の精神が「文化」となっているからだと思います。数百年以上前に作られた仏教美術や寺社仏閣は人吉球磨の至る所で見ることができるのですが、その数の多さには驚かされますよ。
 
中山観音で1000年以上守られ続けてきた仏像を鑑賞する
人吉球磨の地では、観音信仰も盛んでした。江戸時代には、33ヶ所の札所が設けられ、三十三観音めぐりの文化が始まります。現在では35ヶ所ある観音堂のそれぞれにご利益のある観音が祀られており、春と秋の彼岸に行われる「一斉開帳」の日には、お堂のご本尊を拝むことができます。

三村さん:相良三十三観音めぐりは、江戸中期頃に始まった文化と言われています。人吉藩の家老が詠んだ和歌をもとに観音様をめぐる場所が決められたそうです。その和歌が詠まれた札所の一つが、中山観音になります。
 

三十三観音ゆかりの和歌が詠まれた中山観音 三十三観音ゆかりの和歌が詠まれた中山観音

中山観音では、1000年以上前に造られた美しく厳かな観音様と四天王の像が見られます。

三村さん:中山観音に所蔵されている観音様は、奈良時代に作られたものです。ただ、最近までこの観音様はそこまで古い仏様とは知られていませんでした。ある時、文化庁の仏教美術を専門にしている調査官が、古い仏像ではないかと気づいた後に本格的な調査を行ったところ、奈良時代に作られた仏像だとわかったんです。その後に現在のように見違えるほど美しく修復されました。これだけきれいな状態で保管されている奈良時代の仏像は少ないため、一斉開帳で訪れた方には、ぜひ見ていただきたいですね。
 

奈良時代に作られた観音様は、1000年以上前のものとは思えない美しさを纏っています。 奈良時代に作られた観音様は、1000年以上前のものとは思えない美しさを纏っています。

奈良時代に作られた観音様は、お顔や身体がスリムなのが特徴です。 奈良時代に作られた観音様は、お顔や身体がスリムなのが特徴です。

城泉寺阿弥陀堂で中世の雰囲気を体感する
人吉球磨の地には、鎌倉時代に建てられた熊本県最古の木造建築も残っており、茅葺き屋根の優美な曲線の美しさから、人気のスポットになっているそうです。

三村さん:鎌倉時代に建てられた城泉寺阿弥陀堂は、石塔や茅葺き屋根の御堂があって、鎌倉時代のような雰囲気が漂っています。優美な曲線の茅葺き屋根は、間近で見ると圧巻です。風情を楽しめて、大きな感動を味わえるので、人吉球磨に来た方にはぜひ訪れてほしい場所の一つです。
 

城泉寺阿弥陀堂 城泉寺阿弥陀堂

四方向に屋根が広がる寄棟造りの茅葺き屋根は迫力満点です。 四方向に屋根が広がる寄棟造りの茅葺き屋根は迫力満点です。

城泉寺阿弥陀堂には、木造の阿弥陀如来坐像と2体の菩薩像が安置されています。鎌倉時代の初めに作られたこれら3体の仏像からは、鎌倉時代の厳かな文化の雰囲気が伝わってきます。
 

鎌倉時代初期に作られた阿弥陀如来と菩薩の仏像 鎌倉時代初期に作られた阿弥陀如来と菩薩の仏像

飛騨の工匠により建てられた「青蓮寺阿弥陀堂」
相良家初代の菩提を弔うために建てられた青蓮寺阿弥陀堂は、分厚い茅葺き屋根が特徴の御堂です。この御堂の裏手には、古い五輪塔などが並びます。
 

飛騨の匠により作られた荘重な青蓮寺阿弥陀堂 飛騨の匠により作られた荘重な青蓮寺阿弥陀堂

御堂の裏手からは茅葺き屋根と空が織りなす、開放感のある風景が望めます。 御堂の裏手からは茅葺き屋根と空が織りなす、開放感のある風景が望めます。

相良氏の菩提寺「願成寺」に所蔵される鎌倉時代初期の仏像
人吉球磨を700年にわたり統治した相良氏歴代の菩提を弔うために建てられた願成寺には、鎌倉時代初期に作られたご本尊や、平安時代に作られたお不動さん、両界曼荼羅や貴重な仏具が所蔵されています。本堂の裏手には、相良氏歴代当主と一族のお墓が一堂に集まり、整然と立ち並ぶ様子から相良家の歴史に思いを馳せることができます。
 

相良家の菩提寺である願成寺 相良家の菩提寺である願成寺

平安時代の作風が残る鎌倉時代初期作のご本尊、阿弥陀如来坐像 平安時代の作風が残る鎌倉時代初期作のご本尊、阿弥陀如来坐像

37代に渡る相良家当主の墓地が集まっている相良家墓地 37代に渡る相良家当主の墓地が集まっている相良家墓地

平安時代に作られた仏像が保管されている荒茂毘沙門天堂
平安時代、球磨郡の中で1、2を争うほど古くに草創されたと伝わる勝福寺。明治時代に行われた、仏教に関するものを破壊する運動「廃仏毀釈」の影響で当時のお寺はなくなりましたが、平安時代に作られた240cmを超える毘沙門天の仏像は今も残っています。
 

勝福寺の仁王門を改築した御堂 勝福寺の仁王門を改築した御堂

240cmの毘沙門天像を含めて、8体の仏像が収蔵されている。 240cmの毘沙門天像を含めて、8体の仏像が収蔵されている。

地元民に「猫寺」として愛される生善院 同観音堂
生善院は、「猫寺」とも呼ばれる真言宗寺院。山門の脇には、狛犬ではなく「こま猫」が置かれ、訪れる人を見守っています。
 

入口で参詣者を見守るこま猫 入口で参詣者を見守るこま猫

猫寺は、猫の怨霊による祟りを鎮めるために建てられましたが、現在は、猫に由来するお寺として、地元に住む人たちから愛されています。本堂には、なでると願い事が叶うと言われている「ねがい猫」が置かれており、猫好きな人がたくさん訪れるそうです。
 

なでると願いが叶うとされている「ねがい猫」 なでると願いが叶うとされている「ねがい猫」

十島菅原神社

池上に立つ本堂と池に造られた10個の人工的な島から成り立つ十島菅原神社は、学問の神様として知られる菅原道真公を祭神とする神社です。地元では「通します神社」の愛称で知られており、受験シーズンには多くの参拝者が訪れます。

池の上の人工島に建てられた十島菅原神社 池の上の人工島に建てられた十島菅原神社

豊かな文化背景は水と米にあり。球磨焼酎の歴史を知る

人吉球磨は、米がよく取れた土地でした。江戸時代の中期には、2万2000石の朱印高に対して、4万石以上のお米の生産高があったと言われています。当時、貴重だった米を原料とした米焼酎が造られていたことから、人吉球磨の地が経済的にも豊かな地であったことが推測できます。そうした経済的な豊かさは、人々の心の豊かさにも繋がっていたのでしょう。
 
水を制するものは稲作を制す 江戸時代の革新的な灌漑(かんがい)設備・百太郎溝を訪れる
人吉球磨では昔から米がよく収穫されていましたが、収穫量が大幅に改善したのは江戸時代に入ってからのこと。その収穫量の増加にも大きく貢献したのが「百太郎溝」と「幸野溝」の主要な2つの灌漑設備です。

百太郎溝は、全長19kmの灌漑用水路です。当時、使用された旧取水口の巨大な石柱が残っており、世界かんがい施設遺産にも登録されています。
 

百太郎溝は、球磨川を用水源とした灌漑用の用水路です。 百太郎溝は、球磨川を用水源とした灌漑用の用水路です。

百太郎溝は今も人吉球磨の土地を潤しています。 百太郎溝は今も人吉球磨の土地を潤しています。

百太郎溝と球磨川と田んぼが織りなす風景 百太郎溝と球磨川と田んぼが織りなす風景

球磨焼酎の美味しさの秘密
現在、球磨で造られる焼酎は、「球磨焼酎」というブランド名で世界に販売されています。人吉球磨には、27の球磨焼酎の蔵元があり、それぞれ個性豊かな焼酎が造られています。

球磨焼酎の歴史と特徴について、明治27年に創業した蔵元である豊永酒造で社長を務める豊永 史郎さんに話をうかがいました。
 

豊永酒蔵で社長を務める豊永 史郎さん 豊永酒蔵で社長を務める豊永 史郎さん

豊永さん:気温が高くて日本酒が作りにくい南九州の地では、焼酎文化が根付きました。球磨焼酎の特徴は、人吉球磨の米を原料とした蒸留酒で、豊かな香りと深いコクを楽しめる点にあります。

球磨焼酎を作る時に、使うお米で味が大きく変わることはないのですが、使用する麹と酵母によっては大きく味が変わります。私は、球磨の麹や酵母は日本一だと思っています。ぜひ球磨を訪れる際には、この地で伝統的に飲まれ続けている球磨焼酎を楽しんでください。
 

球磨焼酎を作るために仕込みを行う豊永酒蔵の従業員 球磨焼酎を作るために仕込みを行う豊永酒蔵の従業員

焼酎が好きな人がたくさんいた人吉球磨
焼酎文化が栄えた人吉球磨の地には、徳利や盃の形をした「焼酎墓」が存在します。酒好きの故人を偲ぶ、愛とユーモアに溢れたこの土地特有の文化といえます。人吉球磨の地にはこの「焼酎墓」が今も残っており、この地で暮らす人々と焼酎が密接な関係にあったことがうかがい知れます。
 

焼酎好きの故人を偲ぶために建てられた焼酎墓 焼酎好きの故人を偲ぶために建てられた焼酎墓

人吉球磨では、仏教美術や寺社仏閣、球磨焼酎などの文化が発展してきました。その文化は地元の人によって大切に紡がれ、今もなおこの地に残っています。

人吉球磨は、五感で歴史の流れを感じられる場所。ぜひ文化財や焼酎を楽しむために、この日本遺産の地を訪れてみてはいかがでしょうか。
 
【本稿で紹介した構成文化財】 青井阿蘇神社
人吉城跡
顧成寺と相良家墓地
十島菅原神社
勝福寺関連遺産群
青蓮寺阿弥陀堂
城泉寺・八勝寺阿弥陀堂
生善院観音堂及び本堂と庫裏
球磨焼酎
百太郎溝と幸野溝
焼酎墓
相良三十三観音めぐり

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