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2023.12.27
特集
日本遺産巡り#25◆自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』~樹齢300年を超える杉並木につつまれた2,446段の石段から始まる出羽三山~
「心のデトックス」は江戸時代から人気だった!?出羽三山の自然と文化が導く明日への活力
自然に癒され、自分を見つめ直し、新しい活力を自分の中に生み出していく。山形県では古くから、そんな旅が行われてきました。
山形県の中央にそびえる「出羽三山」は、羽黒山・月山・湯殿山からなる信仰の山。それぞれ現在・過去・未来をあらわし、三山を巡ることで生きながら新たな魂として再生する「生まれかわりの旅」が江戸時代から広まりました。このストーリーは「⾃然と信仰が息づく『⽣まれかわりの旅』〜樹齢300年を超える杉並⽊につつまれた2,446段の⽯段から始まる出⽻三⼭〜」として日本遺産に認定されています。
山形県の中央にそびえる「出羽三山」は、羽黒山・月山・湯殿山からなる信仰の山。それぞれ現在・過去・未来をあらわし、三山を巡ることで生きながら新たな魂として再生する「生まれかわりの旅」が江戸時代から広まりました。このストーリーは「⾃然と信仰が息づく『⽣まれかわりの旅』〜樹齢300年を超える杉並⽊につつまれた2,446段の⽯段から始まる出⽻三⼭〜」として日本遺産に認定されています。
出羽三山巡り「はじまりの地」羽黒山
出羽三山の中でもっとも北に位置する、標高414mの「羽黒山」。1,984mの月山や1,500mの湯殿山と比べて標高が低く、村里からも近いため、古くから身近な信仰の象徴として親しまれてきました。
さらに、羽黒山を開いた蜂子皇子がこの地に現世利益を叶える聖観世音菩薩を祀ったとされることから「現在の世を表す山」と言われています。
さらに、羽黒山を開いた蜂子皇子がこの地に現世利益を叶える聖観世音菩薩を祀ったとされることから「現在の世を表す山」と言われています。
羽黒山を語るうえで欠かせない「山伏」と「宿坊」の存在
出羽三山巡りや羽黒山を語るうえで欠かせないのが山伏と宿坊の存在。現在も、多くの山伏が宿坊を営み、参拝者を迎えています。山伏とはどのような存在なのか、羽黒山のふもと・手向地区で宿坊「大進坊」を営む山伏 早坂一広さんにお話を伺いました。
早坂さん:山伏の仕事は、宿坊で参拝者を迎え、先達(せんだつ)として山を案内しながら、山を対象とした信仰の考え方や、お参りの作法を伝えることです。この地域では「秋の峰」と呼ばれる修行を行い、山伏名をいただくことで、山伏として宿坊を運営する資格を得ることができます。
早坂さん:山伏の仕事は、宿坊で参拝者を迎え、先達(せんだつ)として山を案内しながら、山を対象とした信仰の考え方や、お参りの作法を伝えることです。この地域では「秋の峰」と呼ばれる修行を行い、山伏名をいただくことで、山伏として宿坊を運営する資格を得ることができます。
早坂さん:出羽三山には江戸時代から続く「講(こう)」が強く残っています。講とは、地域の人が集まり、寺社仏閣を定期的にお参りする仕組みのこと。仏教でいう檀家制度に近いですね。その証として、手向地区にも28軒もの宿坊が現存し、巡礼者を迎えています。多くの人がここを訪れ、山に祈りを捧げる。この営みが現代まで絶えず行われていることこそ、出羽三山が聖地と言われている所以です。
「死と再生をたどる旅」とされる出羽三山巡り。人々は、どのような願いを抱えて山を訪れるのでしょうか。
早坂さん:お参りする目的は人それぞれです。出羽三山は人々の精神的な支えとして親しまれてきました。生まれかわりの山、ひいては供養の山として、自己変容や験力(修行によって得た能力)を得るために巡礼や修行を行う人もいれば、亡くなった方の供養や生命への感謝を伝えるために山に登る人もいます。
古くから宿坊は、巡礼者が登拝前に心身を清める場所でした。この地域の宿坊には必ず神殿があり、朝には祈祷が行われます。
早坂さん:近年は、古いつきあいのある講以外の登山客なども受け入れています。ただ、ここは旅館やホテルではなく、信仰と深く結びついている宿坊です。そのため宿泊者には、羽黒山が修験道の聖地であり、祈りの対象であることをきちんと伝えることを大切にしています。山の本当の価値を知ったうえでお参りしていただきたいですね。
現在は、神道系の宿坊である大進坊。しかし過去には、神仏習合から神道へ変化を余儀なくされた過去もありました。
早坂さん:明治時代の神仏分離令(神仏習合を禁止し、仏教を排斥する動き)により、神道に改めることを余儀なくされました。そこで当宿坊の先人は、神仏習合のうえに成り立っていた信仰を、神道形式に変えてなんとか守り抜きました。
仏像や仏具などの仏教的要素が取り払われ、祈祷の対象や方法も変わるという神仏分離令によって、宿坊の歴史や文化が途絶えた地域も多くあるそう。一方で、大きな変化を乗り越えられたのはなぜなのでしょうか。
早坂さん:自然崇拝である修験道がベースにあったからです。仏教か神道かなどにかかわらず、その根底に「山こそが祈りの対象である」という修験道の考えが根付いていたからこそ、大きな変化も乗り越えることができました。
山や自然を崇拝する修験道。その考えが山伏や講の人々の中に共通していたため、途切れることなく信仰が続いたのです。現在は、日本だけでなく海外からも人が訪れるという出羽三山。各々の信仰にかかわらず、自然の中に身を置き、敬い、活力を得たいと願う人々を迎え入れています。
⼭伏をもっと知るキーワード「峰⼊り」と「松例祭」
画像提供:出羽三山神社 地元の人以外も参加できる秋の峰入りには毎年160人ほどが参加する
四季ごとに行われる「峰入り」。中でも100日もの間、山にこもる冬の峰は、峰入りの中でもっとも厳しいといわれる修行です。
早坂さん:冬の峰への参加が許されるのは、毎年2人だけ。この地の山伏には、いつかその修行をすることを目標としている者も少なくありません。それほど名誉なことなんです。冬の峰を行った山伏は、この地域に40人ほど存在していますが、これほどの人数がいるのは世界中でも非常に珍しいことです。
早坂さん:冬の峰への参加が許されるのは、毎年2人だけ。この地の山伏には、いつかその修行をすることを目標としている者も少なくありません。それほど名誉なことなんです。冬の峰を行った山伏は、この地域に40人ほど存在していますが、これほどの人数がいるのは世界中でも非常に珍しいことです。
大晦日に行われる「松例祭」は、冬の峰を終えた山伏2人の集大成となる祭り。どちらの験力が優れているかを競う神事が行われます。
早坂さん:手向地域の民家の軒先には、綱がかけられていますが、これは松例祭に関係するものです。人々を苦しめる悪いものを表した藁の塊に火を放ち、綱をくくりつけ、何十人もの若い衆たちが引っ張る「大松明行事」に使われます。
早坂さん:手向地域の民家の軒先には、綱がかけられていますが、これは松例祭に関係するものです。人々を苦しめる悪いものを表した藁の塊に火を放ち、綱をくくりつけ、何十人もの若い衆たちが引っ張る「大松明行事」に使われます。
「山の恵み」をいただく精進料理で身を清める
参拝前、身を清めるために食べる精進料理。肉や魚を使わず、植物由来の食材だけで作るイメージがありますが、この地域の精進料理は少し異なります。
早坂さん:ここで提供するのは、一般的な精進料理とは少し特徴が違うんです。ここでは「山の神様の恵み」を食すことが身を清め、精進にもつながると捉えます。神道では、魚介類も自然の循環の一部と考え、魚は神聖なものとしてお供えします。そのため、精進料理にも魚を使用しているんです。
早坂さん:ここで提供するのは、一般的な精進料理とは少し特徴が違うんです。ここでは「山の神様の恵み」を食すことが身を清め、精進にもつながると捉えます。神道では、魚介類も自然の循環の一部と考え、魚は神聖なものとしてお供えします。そのため、精進料理にも魚を使用しているんです。
山菜は、出羽三山で出される精進料理で使われる代表的な食材であり、山伏が修行の中で食べ方を築き上げてきたものです。
早坂さん:春に採れた山菜を、塩漬けや天日干しなど昔ながらの方法で保存し、夏に提供しています。ただ、食べる際には三日三晩、水を取り替えて塩抜きをするなど、時間と手間がかかっています。宿坊ごとに調理方法が異なるため、山菜の硬さや風味が少しずつ違うのも特徴ですよ。
早坂さん:春に採れた山菜を、塩漬けや天日干しなど昔ながらの方法で保存し、夏に提供しています。ただ、食べる際には三日三晩、水を取り替えて塩抜きをするなど、時間と手間がかかっています。宿坊ごとに調理方法が異なるため、山菜の硬さや風味が少しずつ違うのも特徴ですよ。
ごま豆腐のあんかけも、この地域の精進料理で必ず出されるものだそう。
早坂さん:意味が込められている料理が多くありますが、ごま豆腐のあんかけもその一つです。羽黒山を開いた蜂子皇子は、都から由良海岸に逃れたとされています。ごま豆腐は、そこに浮かんでいる丸い島を表しているんです。
早坂さん:意味が込められている料理が多くありますが、ごま豆腐のあんかけもその一つです。羽黒山を開いた蜂子皇子は、都から由良海岸に逃れたとされています。ごま豆腐は、そこに浮かんでいる丸い島を表しているんです。
【大進坊】
アクセス | 東北自動車道・山形自動車道 庄内あさひICを下車、スーパー農道を通り15km |
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杉に囲まれた2,446段の⽯段を登って頂へ
羽黒山の登山口である随神門から山頂までは、2,446段もの石段が続きます。その両脇には、天然記念物に指定されている600本もの杉が凛とそびえ、俗世と一線を画すようなひんやりとした空気を作っています。
少し進むと、朱色の御神橋と川、そして滝が迎えます。かつては、ここで禊をし、穢れを祓ったうえで羽黒山に登ったため、この川は「祓川」と呼ばれます。
早坂さん:厳密に言うと、この祓川から先が聖域とも言えますね。この滝は、400年前に作られたもので、約10km離れた月山の沢から水を引いています。スイッチのような仕組みで流れが変わるようになっていて、昼にはこの滝に、そして夜は灌漑用水として田畑に流れています。
早坂さん:厳密に言うと、この祓川から先が聖域とも言えますね。この滝は、400年前に作られたもので、約10km離れた月山の沢から水を引いています。スイッチのような仕組みで流れが変わるようになっていて、昼にはこの滝に、そして夜は灌漑用水として田畑に流れています。
「爺スギ」は、羽黒山にある杉の中でもっとも大きく、樹齢約1000年ともっとも古い御神木。杉は寒さに弱いため、豪雪地帯でここまで大きく、長く生き続けるのは珍しいそう。
早坂さん:爺スギ自体も、祈りの対象として崇められてきました。羽黒山の象徴の一つと言えますね。
早坂さん:爺スギ自体も、祈りの対象として崇められてきました。羽黒山の象徴の一つと言えますね。
爺スギの近くにそびえる「五重塔」は、装飾がなく、色が塗られていない素木(しらき)造りが特徴です。
早坂さん:雪国のため、本当は色を塗った方が長持ちします。しかし、古来からあえて素木造りを貫いた。その理由は、五重塔が山の中に建っているからなんです。つまり、神様がいる聖域にあるからこそ、朱や金などの人工的な色はそぐわないんですね。そのため、先人たちは周りの木と同じように見える素木の塔を建てたといわれています。
出羽三山の特徴をあらわす山伏ことば「うけたもう」
ただ歩くだけでなく、修験道の考え方も皆さんに知ってほしいと語る早坂さん。山伏言葉の一つである「うけたもう」にも、修験道の考え方が根付いているといいます。
早坂さん:修行中、先達からの指示には必ず「うけたもう」と返事をします。承る、を表しますが「物事をすべて受け入れる」という意味もあります。出羽三山巡りで生まれかわるために、まずは今の自分を受け入れないといけません。そこで発するのが「うけたもう」という言葉です。山の験力を全身で受け止めるためにも大切にしたい言葉ですね。
早坂さん:修行中、先達からの指示には必ず「うけたもう」と返事をします。承る、を表しますが「物事をすべて受け入れる」という意味もあります。出羽三山巡りで生まれかわるために、まずは今の自分を受け入れないといけません。そこで発するのが「うけたもう」という言葉です。山の験力を全身で受け止めるためにも大切にしたい言葉ですね。
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【コラム】⽻⿊⼭に⾏ったら⾷べたい、⼆の坂茶屋の「⼒餅」
ひと休みするなら、羽黒山の中腹にある二の坂茶屋がおすすめです。名物の「力餅」は、江戸時代の創業以来、多くの人にパワーを与えてきた一品。庄内のもち米を使い、毎日杵と臼でつくお餅は柔らかく、優しい甘さが山歩きで疲れた体にしみわたります。
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山頂にそびえる「三神合祭殿」は、茅葺き屋根の建物としては日本一大きな建造物。厚さ2mもの茅は、毎年少しずつ葺き替えをしているそう。祭殿には3つの扉があり、それぞれが、3つの山の神様を祀っています。月山と湯殿山に登ることができない冬季は、この祭殿を拝むことで同じご利益が生まれるといわれています。
三神合祭殿の向かいにある「鏡池」からは、多くの銅鏡が出土しています。平安時代の貴族の間では、自らの罪汚れを鏡に映し、聖地に納めることで祓う信仰が流行したそう。このことからも、羽黒山が古くから聖地として知られていたことがよくわかります。
【羽黒山】
【羽黒山】
アクセス | 【バス利用の場合】 ・鶴岡市から庄内交通バス『羽黒山頂行き』で50分→終点下車 ・随神門から登る場合は、同バス「随神門」下車、山頂まで徒歩約90分 |
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収蔵史料を⾒て出⽻三⼭をもっと深く知る
羽黒山頂にある出羽三山歴史博物館は、鏡池から出土した古鏡や10種類もの月山刀など、修験道に関する宝物のほか、山伏や神事に関する史料が多数収蔵される施設。史料を通して、先人たちがどのように祈りを捧げてきたのかを、深く知ることができます。
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【コラム】お注連をかけて⽯段を登る「⽯段詣」プログラム
結界を意味するお注連は、悪いものから身を守るためにつける。神聖なものであるため、禊や食事の際には外して木などにかけておくのが習わし
羽黒山随神門授与所または山頂の参集殿では、結界を意味するお注連(おしめ)をかけて参拝する石段詣プログラムも受付しています。
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「六⼗⾥越街道」で出⽻三⼭巡りの⾜跡をたどる
出羽三山を巡る人々の多くは「六十里越街道」と呼ばれる道を使いました。40kmにも伸びる街道には、現在も史跡やお寺が残っており、トレッキングしながら当時の参拝者の追体験ができます。そんな六十里越街道の歴史や魅力について、ガイドと街道整備を行う六十里越街道山船頭人協会の小野寺良寛会長に伺いました。
小野寺さん:六⼗⾥越街道の歴史は、1200年以上前にさかのぼり、出羽国ができた時に庄内と内陸を結ぶ官道として整備されたものが始まりです。太平洋側と日本海側を結ぶ最短ルートでもあるため、戦の道としても使われました。そして、もっとも人が多く通ったのが、出羽三山巡りが盛んに行われた江戸時代。湯殿山を参拝する人でにぎわいました。
戦や出羽三山登拝などに利用され、さまざまな人々を見届けてきた六十里越街道は、豊かな自然も魅力。景行天皇の皇子・御諸別皇子の墓標とされる皇壇ノ杉(おうだんのすぎ)や、紅葉が美しい七ッ滝、山をV字に掘り抜いた小掘抜(こほのぎ)・大掘抜(おほのぎ)など、見どころがたくさんあります。
小野寺さんがガイドをつとめるツアーは、道の駅「月山」月山あさひ博物村 文化創造館のなかにある「ゆどのみち『六十里越番所』」からスタートすることが多いそう。
小野寺さん:この施設では、ガイドツアーの出発前に映像や歴史資料から街道の概要を学んだり、ガイドブックを手に入れたりすることができます。六十里越街道歩きでメジャーなのは、蟻腰坂(ありこしざか)から湯殿山神社本宮をめざすコース。約9km、所要時間5時間で、標高差が600mあるので、歩きごたえがありますよ。
大部分が紅葉樹であるブナが生い茂る六十里越街道。初夏は新緑、秋には紅葉が美しく森を彩ります。
小野寺さん:この施設では、ガイドツアーの出発前に映像や歴史資料から街道の概要を学んだり、ガイドブックを手に入れたりすることができます。六十里越街道歩きでメジャーなのは、蟻腰坂(ありこしざか)から湯殿山神社本宮をめざすコース。約9km、所要時間5時間で、標高差が600mあるので、歩きごたえがありますよ。
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大部分が紅葉樹であるブナが生い茂る六十里越街道。初夏は新緑、秋には紅葉が美しく森を彩ります。
小野寺さん:深い歴史と豊かな自然をあわせ持つ六十里越街道は、舗装された街道とはちょっと違う趣があります。春先は堅くなった雪の上を歩くスノートレッキング、雪がとけてからは、冬に落ちた葉が絨毯のように広がる道を歩きながら椿を愛でることができます。夏でも街道の中は涼しいので、避暑地としてもおすすめです。
【ゆどのみち『六十里越番所』】
アクセス | 【バスの場合】 エスモール・鶴岡駅より庄内交通「田麦俣行き」バス 約40分、道の駅「月山」月山あさひ博物村下すぐ 「月山あさひ博物村」内 |
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今もなお⼈や⽂化が集う最上川のほとり
「清川関所跡(清川歴史公園)」
出羽三山巡りでは、最上川の舟運も重要な役割を果たしました。羽黒山の北東部に位置する清川関所跡は、出羽三山巡りのために松尾芭蕉が上陸した場所としても知られています。芭蕉は舟で最上川を下って清川に上陸し、羽黒山に向かったそう。
最上川は人の運搬のみならず、亜炭と呼ばれる石炭の一種やお米など、物資の運搬にも使われてきました。国道47号線ができる前までは川幅が非常に広く、最盛期の江戸時代には何百艘もの舟が行き交っていたそうです。
最上川は人の運搬のみならず、亜炭と呼ばれる石炭の一種やお米など、物資の運搬にも使われてきました。国道47号線ができる前までは川幅が非常に広く、最盛期の江戸時代には何百艘もの舟が行き交っていたそうです。
敷地内の船見番所からは最上川を眺められる。施設内で購入できるコーヒーをここで飲むのもおすすめ
清川歴史公園として復元したこの施設では、舟運で栄えた清川の歴史や、出羽三山めぐりにまつわる史料が展示されています。さらに、お食事処として手打ちそばの提供(土日祝日のみ)や、イベントの開催なども実施。清川を深く知りたい人は、きよかわ観光ガイドの会が実施するガイドツアー(有料)もぜひ利用してはいかがでしょうか。
【清川歴史公園】
アクセス | JR清川駅から徒歩約11分 (JR陸羽西線は、国道トンネル工事の影響で2024年度の工事期間中はバスによる代行輸送を行っています) |
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帰りに立ち寄りたいお土産スポット
お土産を購入するなら、山形道・鶴岡ICのそばにある「庄内観光物産館」がおすすめ。庄内・鶴岡でとれたフルーツやお米、鮮魚のほか、銘菓や工芸品がずらりと並びます。
【庄内観光物産館】
アクセス | 山形道鶴岡ICより車で1分 |
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自然や山を愛で、崇拝する文化が息づく出羽三山。この地の空気や歴史に触れれば、明日への活力が得られることでしょう。
【本稿で紹介した構成文化財】 | 羽黒山 羽黒山蜂子神社 羽黒山の随神門 羽黒山の石段 羽黒山のスギ並木 羽黒山の爺スギ 羽黒山五重塔 羽黒山三神合祭殿 月山 湯殿山 六十里越街道 清川関所跡 大日坊の皇壇スギ 手向の宿坊街 松例祭の大松明行事 羽黒山の峰入り 出羽三山の精進料理 |
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