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2026.10.05
特集
日本遺産巡り#56◆紅花ビジネスを育てた人々と、紅花ブランドをつないでいく人々。
最盛期の江戸時代後期には、全国の紅花生産量の半数以上をこの地域が占めたといいます。流通を担ったのは近江商人たちで、主な消費地は文化と経済の中心地、上方(京都・大阪)でした。その帰結として紅花は、莫大な富と上方文化をこの地にもたらしました。
最上紅花ビジネスが大成功を収めた要因は何だったのか。それを支えた「山寺」の存在とは?紅花文化を今に伝え、地域づくりに活かそうと努める村山地域の方々にお話を聞きました。
河北町「紅花資料館」で
最上紅花ビジネスの実像に迫る
資料館館長で、谷地八幡宮名誉宮司の林保彦さん(左)。後にご紹介する「林家舞楽」の伝承者、その人です。 学芸員の松田実樹さん(右)。
●二番蔵「武者蔵」
松田さん:堀米家の資料で一番多いのが古文書、帳面や商売の手紙類です。例えばこの展示は堀米家において紅花の出荷が最も多かった文政5(1822)年のもので、約19駄半(2,340kg)の紅餅を9軒の上方紅花屋へ出荷したことが記されています。
●「母屋・座敷蔵」
松田さん:江戸時代の中期に建てられた、堀米家の一番蔵です。明治に入ってこのような座敷に改装されました。江戸後期から上方で大流行した様式で、蔵を改装して迎賓館のように客をもてなすことが一種のステータスとなり、堀米家でも取り入れました。
室内は完璧にリノベーションされており、「蔵の中」という雰囲気はありませんが、廊下に戻って座敷を振り返ると、確かに蔵だった証がありました。観音開きの扉が残っているのです。
●観光温室「紅花ガラスハウス」
ハウスの紅花は、毎年6月と11月が見頃だそう。そして7月には、屋外の畑に咲き乱れる姿が見られます。
●ミュージアム「紅の館」
松田さん:林家舞楽の起源は、貞観2(860)年に、山寺(宝珠山立石寺)を開いた慈覚大師円仁さんに随行してきた楽団の方々だといわれています。以来、千数百年にわたり伝わる舞楽で、もとは山寺にあったものが曲折を経て江戸時代に、河北町の谷地八幡宮に納まりました。
展示は「陵王(りょうおう)」という曲を舞う様子を再現しており、衣装はすべて谷地八幡宮の宮司を代々務める林家からお借りしているものです。紅花資料館館長を兼務する林保彦さんは先代宮司で、かつては舞手を務めたということでした。
松田さん:オレンジ色に見える衣装が紅花染めで、もとは手前の欄干のような赤色でしたが、長年の展示や奉納の際の日光の影響で退色したものです。現在の林家舞楽は衣装が一新され、本当に美しい姿で奉納されています。
最上紅花が圧倒的シェアを
獲得できた要因とは
紅花加工の様子を紹介するジオラマ展示。紅餅づくりのシーンです。
琵琶湖といえば近江国。紅花流通を一手に引き受けた近江商人の本拠地です。近江商人がこの地域に果たした役割はとても大きなものだった、と松田さんは言います。
松田さん:7月にできた紅餅をいち早く、最良のものを買い付けることが近江商人の重要任務だったようで、山形に乗り込んで来てこちらに腰を据えた商人も多くいました。商人たちは、紅花を売った帰り荷として、都の美術工芸品を山形に持って帰ります。その代表が、雛人形でした。生産者たちは、自分が作った紅花染料で彩られた雛人形を見て、喜んだのではないでしょうか。とても素敵な京土産だったと思います。
京都製の古今雛(江戸時代後期)。女雛の衣装や口紅が紅花由来の赤色です。
松田さん:山形盆地・最上川流域の土壌や気候が紅花栽培に適していたということはあるでしょうが、最も大きな要因は、紅餅加工という新技術がこの地域で生まれたことだと思います。京都・大阪と並ぶ消費地だった関東地方でも紅花は栽培されていましたが、紅餅にしたという記録は見られません。干しただけの紅花からでも赤い染料は取れますが、その効率は紅餅の比ではありません。多くの人が手間をかけて加工することで染料抽出が格段に容易になり、しかも長期輸送中も変質せず、遠くまで届けられる。京都・大阪の紅問屋にとっては、ぜひ買いたい商品だったでしょう。
自然条件に恵まれたこと。加工技術の革新が起きたこと。さらには水上輸送ルートの確立と、流通エキスパートの存在。こうしたいくつもの要因が重なって、山形県村山地域は日本一の紅花産地となったに違いありません。なお、当地における紅花の生産・加工技術は、「歴史と伝統がつなぐ『山形の最上紅花』~日本で唯一、世界でも稀有な紅花生産・染色用加工システム~」として、日本農業遺産に認定されています。
| 所在地 | 山形県西村山郡河北町谷地戊1143 |
|---|---|
| アクセス | 山形空港から車で10分 JR左沢線「寒河江」駅から車で15分 JR奥羽本線「さくらんぼ東根」駅から車で18分 |
最上紅花の文化を
地域や世代を超えてつないでいく
体験が深い納得につながる、そんな旅をプロデュース
●紅花文化を旅行商品に
DMC天童温泉の鈴木誠人さん。
企業Webサイトでは「青い誠人」と紹介されています。
そんな思いで、朝摘みさくらんぼツアーや氷瀑トレッキングツアーといった体験型旅行商品を数多く提供してきた鈴木さんですが、紅花をテーマにした体験ツアーは「失敗続きだった」と語ります。
鈴木さん:日本遺産認定以前に企画したのは例えば、紅花を茎ごとハサミで切ってフラワーアレンジメントを体験していただくといったものでしたが、全くといっていいほど反響はありませんでした。「紅花は難しいな」というのが当時の本音です。今思えば、紅花を“単なる花”としてしか見ておらず、山形の紅花文化を正面から受け止めていなかったのですね。日本遺産「山寺と紅花」推進協議会から商品開発の相談を受け、関係者の方々の話を聞いて勉強し直したことで気づいた反省点です。
ここ数年は、7月に「最上紅花の朝摘みと紅餅づくり」、11月に「1%の本紅抽出と紅づくり」、2月には「寒中紅花染め」の体験ツアーを実施しています。朝摘みと紅餅づくりは、まさに山形の紅花文化を再現したもの。紅の抽出や紅花染めは、本来山形では行われていなかったものですが、紅花文化をより深く知りたいお客様のために、山形の新たな紅花文化を作っていく気概で始めたのだそうです。
ツアーの出発前に、これから体験することの意味をお客様にご説明します。
このツアーを企画した当初、地域の人々からは否定的な意見が寄せられたと鈴木さんは言います。
鈴木さん:朝は早いし、畑は暑いし、トゲは痛いし――そんな過酷な経験を、外からきたお客様にさせるわけにはいかない、というのが多くの意見でした。ですが私は、過酷でもやってみたい人がいるはずだと考えたんです。2月の寒中紅染めも同様で、雪の降る屋外で冷たい水の中に手を入れて染めていただきます。気温が低くないと発色が安定しないからです。こうした過酷な体験を実際にしてみることで、「江戸時代の人々は、こんなに辛い作業を生業としていたのだな」と納得できます。話を聞けば“理解”はできますが、深い“納得”は体験してこそ得られるものです。
参加したお客様の評価は上々で、「貴重な経験を購入できた」という反応が多いとのこと。中には、ツアーでの経験に感動し、「自分も紅花文化の普及に関わりたい」と転職・移住に踏み切ったお客様もいたそうです。これも、深い納得の力かもしれません。
鈴木さん:山形の紅花文化への認知度は、県内でも決して高くありません。紅花が県の花だと知らない県民も多い。私たちのツアーが県外・海外のお客様から注目されることで、地域の方々が山形の文化を再認識するきっかけにもなれば、とも考えています。
| 所在地 | 山形県天童市鎌田本町2-5-43 |
|---|---|
| アクセス | JR奥羽本線「天童」駅から徒歩約15分 |
見てよし、染めてよし、食べてよし
紅花は、人と人をつなぐ花
●子どもたちに手わたす紅花文化
大山さん:どうぞ召し上がってください。紅花というとまずは染め物を連想しますけど、やっぱり「食」なんですよね。仲良くなるにはまず食べることって言うでしょう?
左から時計回りに「紅花若菜煮」「紅花若菜のグリーンソース」「紅花入りリンゴジャム」「紅花入り寒天」。
※紅花料理は取材撮影のため特別にご用意いただいたものです。「私の部屋」が提供する商品ではありません。
大山さん:若菜は、江戸時代の紅花栽培で間引きしたものを、女性たちが捨てずに保存食にしたという歴史背景があります。それを煮びたしにしたのが若菜煮で、小学校の実習で作ると「おいしい」と言っておかわりする子もいるんですよ。若菜のグリーンソースは生クリームなどを使った洋風ソースで、鶏肉や白身魚に添えるとおいしいです。
天童生まれ天童育ちの大山さんですが、紅花料理に関心を持ったのは大人になってからだそう。医学研究者の講演を聞いて、食品としての紅花には血流を促して身体を温めるなどの機能があることを知り、「これを子どもたちにも伝えたい」と料理研究を始めたといいます。「フラワー&手づくりの店 私の部屋」はそれ以前から開いており、お店はまもなく50周年を迎えるとのことです。
これを契機に、大学教授の話を聞いたり、県外の染色工房に通ったりして勉強を重ねるうちに、大山さんにとっての紅花の可能性はどんどん広がり、活動の舞台も多様化していきました。紅花の魅力を「見てよし、染めてよし、食べてよし」と表現し、さまざまな紅花普及活動に取り組んでいる大山さんですが、中でも大きな位置を占めるのが、小学校での紅花学習の講師です。
大山さん:天童市内の6つの小学校で、4年生の子どもたちと一緒に活動しています。地元の紅花栽培組合の方々にご指導いただきながら5月に学校の花壇にみんなで種をまいて、6月に間引き。杭を立てたり草取りをしたりして、夏休み前の7月に花を摘みます。その黄色い花から赤を取る「べにばなすりぞめ」も教室で体験します。布の上に型紙を置いて、摘んだばかりの花を押し当てて擦り込みます。15~30分ほど続けると、黄色からオレンジ色、赤色へと変わっていくんですね。紅花にたった1%しかないきれいな赤が取れると、子どもたちは目を輝かせて本当にうれしそうです。
作業の合間や教室での授業で大山さんは、紅花文化の歴史や紅花の植物としての特徴を伝えています。
大山さん:子どもたちには、「いっぱいまいた種から、最初は一輪だけ咲くんだよー。これは『みんなで一緒に咲こうな』っていう合図なんだー」なんて話します。この咲き方は紅花の特徴の一つで、「半夏ひとつ咲き」といいます。この言葉も私は大好きです。
大山さんの話を子どもたちは熱心に聞き、感想文を寄せてくれます。小学校で指導を始めてから10年以上が経過し、たくさん届いた感想文は全部大切に保管して、ときどき読み返すそうです。
このほか、ご自身もメンバーになっているJA婦人部有志とともに「紅花若菜麺」を開発したり、栽培ボランティア「紅花メイト」を募って12団体も集めたり、地域の醸造家や工芸作家のものづくりに関する相談に応じたりと、さまざまな人から頼りにされ、精力的に活動する大山さんです。
大山さん:紅花が活動の輪を広げてくれました。私にとって紅花は「人と人をつなぐ花」だと思っています。
【フラワー&手づくりの店 私の部屋】
| 所在地 | 山形県天童市本町1-1-2 パルテ1階 |
|---|---|
| アクセス | JR奥羽本線「天童」駅から徒歩すぐ |
最上紅花文化の隆盛と
山寺の関わりとは
そして天台宗・最澄といえば、滋賀県と京都府にまたがる比叡山延暦寺。ここで再び、近江国が登場しました。近江商人のすべてが天台宗を信仰していたとは限りませんが、商人たちを山形の地に呼び寄せるにあたり、山寺が大きな役割を果たした可能性はありそうです。昔の山寺については想像するしかありませんが、現在の山寺なら、現地に行って確かめることができます。
文化と言語の異なる人たちに、山寺の本当の魅力を伝える
●外国語による山寺ガイドツアー
後藤さん:思い出に強く残るのは「どこに行ったか」よりも「誰と出会ったか」なのです。やはり大切なのは「人」なのだと思い、外国語ガイドの取り組みを始めました。山寺は宗教観光地として人気が高く、外国人旅行者も増えています。以前から日本人向けのガイドはいたのですが、外国人のためのガイドはいませんでした。ガイドなしで登っても「いい景色だなぁ」で終わってしまい、山寺本来の魅力は伝わりません。また、外国人の増加に伴ってこの地域では、外国語がわかる人材へのニーズが高まっていました。山寺外国語ガイドYamaderansは、日本遺産認定前後の2019年から準備を始め、コロナ期間を挟んで、2022年にデビューしました。現在は10人ほどのメンバーで運営しています。
後藤さん:山寺が「観光地」と認識されるようになってまだ100年にもなりません。それ以前は純粋に「信仰」の場所でした。
山門をくぐった先は、輪廻転生の世界。山門から少し上った所にある姥堂(うばどう)は、この世とあの世を分ける三途の川のほとりにあたる場所。奪衣婆(だつえば)が、亡くなった人の衣服を剥ぎ取り、懸衣翁(けんえおう)が衣領樹(えりょうじゅ)に掛け、その枝のしなり具合で生前の罪の重さが量られる――と、そんな話をお客様にしながら1015段の石段をゆっくりと登っていきます。
旅行者の出身地は、欧米からアジアまで実に多様。特に欧米からのお客様が、仏教に強い関心を示すそうです。「キリスト教文化との違いが面白いポイントなのでしょう」と後藤さん。相手が何に興味を示すか、山寺や仏教にどの程度の知識があるかなどを確認しながら、型通りではないガイディングを心掛けているということでした。
後藤さん:多くのお客様が、「ガイドと一緒に登り、話を聞けてよかった」と言ってくださいます。一方で、私たちガイドにも発見の喜びがあります。「山の中にこんなに立派なお寺があるのは唯一無二だよ」というように、私たちが当たり前として見過ごしていたことを、山寺の魅力として指摘してくれるんです。ほかのガイドたちも口々に、「素敵なお客様に出会えて、外国語ガイドをしてよかった」と言っています。
後藤さん:外国人旅行者から紅花についての質問が出ることは稀ですが、聞かれた際には、円仁さんの伝承をお話ししています。中国で修行を積んだ円仁さんが山寺を開いた当時、この地では狩猟を生業とする人々が山を守っていた。円仁はこの地を殺生禁断の地とし、その代りに農耕を教え、紅花栽培を伝えた、という言い伝えもあることを話すと、紅花への興味が深まるお客様もいて、そこから紅花染めや紅花茶などの紹介につなげます。
ちなみに、このとき野生動物たちが「もう殺されなくてすむ」と喜んで踊ったのが、この地に伝わるシシ踊りの起源という見方もあるのだそうです。ここで紹介できたのは、後藤さんたちが持つ知識やスキルのほんの一部にすぎません。語学力や知識のアップデート、話術の研鑽、安全・救急対応の習得など、山寺と紅花の文化を、国や世代を超えて伝えるための努力を重ねている。そんなプロフェッショナルなガイド集団が、Yamaderansの皆さんなのです。
【Yamaderans事務局】
| 所在地 | 山形県山形市山寺4491(山寺観光協会内) |
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| アクセス | JR仙山線「山寺」駅から徒歩3分 |
| 【本稿で紹介した構成文化財】 | 山寺 立石寺中堂 紅餅の製作技術 紅花資料館及び収蔵資料(旧堀米家) 林家舞楽 |
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