日本茶800年の歴史散歩SPECIAL CONTENTS
京都府南部の山城地域は、古くから貴族の別荘の地として栄え、13世紀には栄西禅師が中国からもたらした茶を明恵上人が宇治の里人に馬の蹄の跡に種を蒔くように教えたのが栽培のはじまりとされています。15世紀には「足利将軍が珍重されている茶」と日本一と称されるにいたりました。
16世紀にはいり、この地域では千利休らの要望に応え、鮮やかで濃緑色の旨みの強い「抹茶」を誕生させるに至ります。同時に、織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍家の庇護を受け、特別な地位やブランドを確立しました。その後も、この地域の先進的な風土から、18世紀に永谷宗円が宇治田原町「湯屋谷」で宇治製法を編みだし、その後「煎茶」や「玉露」を誕生させることとなります。
上から「手揉み茶製法」、「茶壺口切の儀」
近代に入り、明治期では煎茶が生糸に並んで輸出需要が増大したことから、木津川市上狛には各地からの茶葉が集まり、茶問屋街が形成されました。また、20世紀以降は、より大量の茶葉の生産のため、この地域では、「山なり開墾」がされるようになり、天まで届くかのような独特の美しい横畆模様の独特の茶畑景観が誕生しました。
お茶の歴史と文化、景観に恵まれたこの地域では、その価値の再認識や継承に努めております。
「永谷宗円生家」
上から「手揉み茶製法」、「茶壺口切の儀」、「永谷宗円生家」
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10:00
1海住山寺
山城最多の茶生産地和束町は、鎌倉時代に海住山寺にいた高僧・慈心上人が明恵上人から茶の種子を受け取り、鷲峰山の麓の「原山」に栽培したのが始まりといわれています。寺の五重塔は国宝で、他にも文殊堂や十一面観音立像など重要文化財も多数有しています。
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11:00
2和束町石寺の茶畑
和束川を挟んで位置する石寺と撰原の茶畑は、谷底を通る主要道路からは見えませんが、集落を上がっていくと想像もできないような素晴らしい山なり茶園の景観が広がります。山裾の茶農家などが密集する集落の中に茶工場も点在しています。
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12:00
3昼食
和束町の茶農家が営むカフェで、和束町産のお茶をつかった食事やスイーツなどが楽しめます。和束町産の抹茶をつかったお土産もあります。
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14:00
4上狛茶問屋街
上狛は木津川水運を利用した交通の要所であり、その地の利から茶問屋が形成されてきた。幕末から明治・大正・昭和初期に建設された茶問屋の建物が40件ほど軒を連ね「茶問屋ストリート」とも呼ばれています。
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15:30
5流れ橋と両岸上津屋・浜台の「浜茶」
「碾茶」栽培には砂地が向いていることから、木津川では川を挟んで両岸に茶畑が広がりました。時代劇のロケ地として有名な「流れ橋(上津屋橋)」がある地域は、昔は上津屋村として一つの共同体を形成し、一体となって茶栽培に取り組んできました。