「四国遍路」~回遊型巡礼路と独自の巡礼文化~STORY #015
ストーリーSTORY
弘法大師空海ゆかりの札所を巡る四国遍路は、
阿波・土佐・伊予・讃岐の四国を全周する
全長1400キロにも及ぶ
我が国を代表する壮大な回遊型巡礼路であり、
札所への巡礼が1200年を超えて継承され、
今なお人々により継続的に行われている。
四国の険しい山道や長い石段、のどかな田園地帯、
波静かな海辺や最果ての岬を
「お遍路さん」が行き交う風景は、
四国路の風物詩となっている。
キリスト教やイスラム教などに見られる
「往復型」の聖地巡礼とは異なり、
国籍や宗教・宗派を超えて誰もがお遍路さんとなり、
地域住民の温かい「お接待」を受けながら、
供養や修行のため、救いや癒しなどを求めて
弘法大師の足跡を辿る四国遍路は、
自分と向き合う「心の旅」であり、
世界でも類を見ない巡礼文化である。
阿波・土佐・伊予・讃岐の四国を全周する
全長1400キロにも及ぶ
我が国を代表する壮大な回遊型巡礼路であり、
札所への巡礼が1200年を超えて継承され、
今なお人々により継続的に行われている。
四国の険しい山道や長い石段、のどかな田園地帯、
波静かな海辺や最果ての岬を
「お遍路さん」が行き交う風景は、
四国路の風物詩となっている。
キリスト教やイスラム教などに見られる
「往復型」の聖地巡礼とは異なり、
国籍や宗教・宗派を超えて誰もがお遍路さんとなり、
地域住民の温かい「お接待」を受けながら、
供養や修行のため、救いや癒しなどを求めて
弘法大師の足跡を辿る四国遍路は、
自分と向き合う「心の旅」であり、
世界でも類を見ない巡礼文化である。
四国遍路は、阿波(徳島県)・土佐(高知県)・伊予(愛媛県)・讃岐(香川県)に点在する弘法大師空海ゆかりの88箇所の札所を巡って四国を全周する全長1400キロメートルに及ぶ壮大な回遊型巡礼路である。
四国の豊かな自然に育まれた 1200年の歴史をもつ「四国遍路」
四国遍路の歴史は、平安時代の僧侶や修験者による弘法大師が修行したといわれる聖地への巡礼から始まり、鎌倉時代には西行、法然、一遍も四国を訪れていたとされている。次第に一般の人々も巡礼するようになり、江戸時代には海上交通の発達とともに遠隔地巡礼が活発化し、弘法大師信仰の普及に併せて、弘法大師が生まれ、修行し、悟りを開いたとされる四国自体が聖なる場所とされ、一般民衆に広まっていった。
現在は、バス、列車、自家用車などの交通機関を利用した巡礼も行われているが、今なお多くの人々が自らの足で遍路を行っている。四国遍路は、時の流れとともに変化を重ねながら1200年を超えて継承され、人々により継続的に行われている。
「遍路ころがし」と呼ばれる古の面影を残す険しい山道や長い石段、のどかな田園地帯やにぎやかな街なか、波静かな海辺や最果ての岬を、白装束に菅笠を身にまとい、金剛杖を持った「お遍路さん」が行き交う風景は、四国路の風物詩となっている。長い遍路旅をするお遍路さんの表情は、充実感と安らぎに満ち、石畳を突く金剛杖の音が軽やかに響き、鈴の音とあわさって四国の大自然に溶け込む風景は、心が洗われる。
現在は、バス、列車、自家用車などの交通機関を利用した巡礼も行われているが、今なお多くの人々が自らの足で遍路を行っている。四国遍路は、時の流れとともに変化を重ねながら1200年を超えて継承され、人々により継続的に行われている。
「遍路ころがし」と呼ばれる古の面影を残す険しい山道や長い石段、のどかな田園地帯やにぎやかな街なか、波静かな海辺や最果ての岬を、白装束に菅笠を身にまとい、金剛杖を持った「お遍路さん」が行き交う風景は、四国路の風物詩となっている。長い遍路旅をするお遍路さんの表情は、充実感と安らぎに満ち、石畳を突く金剛杖の音が軽やかに響き、鈴の音とあわさって四国の大自然に溶け込む風景は、心が洗われる。
左:国史跡「阿波遍路道(鶴林寺道)」/右:国史跡「讃岐遍路道(根来寺道)」
我が国を代表する「回遊型」の長距離巡礼路
四国遍路は、キリスト教やイスラム教の巡礼にみられるような最終目的地を目指す「往復型」の巡礼路と異なり、四国一円に展開する「回遊型」の長距離巡礼路である。全ての札所を歩いて回ると40日以上の長旅であり、人間の心の成長に応じて、お遍路の始まりである阿波は修行への志を固める「発心の道場」、土佐は自らと向き合って苦闘する「修行の道場」、伊予は迷いから解かれる「菩提の道場」、讃岐は結願成就し悟りに至る「涅槃の道場」と名付けられている。
しかしながら、必ずしも一度に全ての札所を巡礼しなければならないものではない。どの札所も同等に位置付けられ、どこからはじめてもよく、「10ヶ所参り」のように何回かに分けて巡る「区切り打ち」や、阿波・土佐・伊予・讃岐の4つに分けて巡る「一国参り」、順序を逆に巡る「逆打ち」、順序にこだわらず巡る「乱れ打ち」など、巡礼の仕方は様々であり、何度も巡礼している者も多い。
四国遍路は、国籍や宗教・宗派を超えて誰もがお遍路さんとなり、弘法大師とともに「同行二人(どうぎょうににん)」で、「救い」や「いやし」を求め、また「供養」や「修行」など、それぞれの思いを込めて、一歩ずつ次の札所を目指し、自分と向き合う「心の旅」を続けている。
しかしながら、必ずしも一度に全ての札所を巡礼しなければならないものではない。どの札所も同等に位置付けられ、どこからはじめてもよく、「10ヶ所参り」のように何回かに分けて巡る「区切り打ち」や、阿波・土佐・伊予・讃岐の4つに分けて巡る「一国参り」、順序を逆に巡る「逆打ち」、順序にこだわらず巡る「乱れ打ち」など、巡礼の仕方は様々であり、何度も巡礼している者も多い。
四国遍路は、国籍や宗教・宗派を超えて誰もがお遍路さんとなり、弘法大師とともに「同行二人(どうぎょうににん)」で、「救い」や「いやし」を求め、また「供養」や「修行」など、それぞれの思いを込めて、一歩ずつ次の札所を目指し、自分と向き合う「心の旅」を続けている。
地域が一体となって四国遍路を支える「お接待」文化
四国の人々は、老若男女問わず、古くからお遍路さんを身近な存在として、温かく迎え入れ、見守り続けており、「お接待」と呼ばれる独特の援助を行っている。
お遍路さんに食事や果物、飲み物を振る舞い、ねぎらいの言葉をかけ、道に迷ったときは道を案内し、時には「善根宿(ぜんこんやど)」と呼ばれる無料の宿やお風呂を提供する。「お接待をすることで自らの代わりに遍路巡礼を託す」、あるいは、「お接待自体が功徳である」とも言われている。
お遍路さんは、地元住民との触れ合いや、何気ない一言に心身の疲れを癒され、新たな活力を与えられ、途中で断念しかけた気持ちを奮い立たせ、再び遍路を続ける。
四国遍路文化と他の宗教の巡礼文化との大きな違いは、四国遍路が四国の人々の生活に溶け込み、人々が常にお遍路さんに寄り添っていることにあり、その象徴が「お接待」である。
四国遍路は、弘法大師への「信仰」と修行を実践する「場」、それを支える「地域」の三者が一体となった世界に類をみない巡礼文化であるとともに、我が国の歴史、文化、さらには日本人の精神を伝承する生きた文化遺産である。
お遍路さんに食事や果物、飲み物を振る舞い、ねぎらいの言葉をかけ、道に迷ったときは道を案内し、時には「善根宿(ぜんこんやど)」と呼ばれる無料の宿やお風呂を提供する。「お接待をすることで自らの代わりに遍路巡礼を託す」、あるいは、「お接待自体が功徳である」とも言われている。
お遍路さんは、地元住民との触れ合いや、何気ない一言に心身の疲れを癒され、新たな活力を与えられ、途中で断念しかけた気持ちを奮い立たせ、再び遍路を続ける。
四国遍路文化と他の宗教の巡礼文化との大きな違いは、四国遍路が四国の人々の生活に溶け込み、人々が常にお遍路さんに寄り添っていることにあり、その象徴が「お接待」である。
四国遍路は、弘法大師への「信仰」と修行を実践する「場」、それを支える「地域」の三者が一体となった世界に類をみない巡礼文化であるとともに、我が国の歴史、文化、さらには日本人の精神を伝承する生きた文化遺産である。
【「四国遍路」 関連情報サイト】 |
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