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2025.04.22

特集

日本遺産巡り#41◆江差の五月は江戸にもない─ニシンの繁栄が息づく町─

ニシン漁と北前船の歴史と文化、
絶景スポットをめぐる

江差町の風景

北海道南西部に位置する江差町は、かつてニシン漁で栄え、本州と蝦夷地(北海道)をつなぐ交易拠点としてにぎわいました。町には今もその名残が多く残り、「江差の五月は江戸にもない-ニシンの繁栄が息づく町-」として日本遺産に認定されています。

本記事では、そんな江差を巡りながら、絶景スポットや伝統行事、地域ならではの文化を紹介。当時、江差が江戸を凌ぐほどの活気を誇った理由や、今も息づく歴史の足跡を紐解きます。

景観の美しさで知られるかもめ島

かもめ島の風景

はじめに訪れたのは、江差のシンボル「かもめ島」。風や波をやわらげるように突き出した地形は、北前船の停泊に最適な港でした。現在も、美しい景観の中に歴史を感じる文化財が多く残されています。

案内してくださったのは、旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)の学芸員、宮原浩さん。

江差町郷土資料館 学芸員 宮原浩さん 江差町郷土資料館学芸員 宮原浩さん

宮原さん:かもめ島は、海からの風や波を和らげる役割を果たし、北前船が安心して停泊できる場所でした。江差では、主にニシンの加工品を仕入れ、本州へ運んで高く売り、その代わりに本州からは米や酒、木綿などが運ばれていました。こうした交易が江差を一気に繁栄させたんです。
かもめ島の岩場を歩くと、船をつなぐために差し込んだ丸太の痕跡が至るところに残っています。かつてここから綱を渡して北前船を停め、陸地にある商家まで小舟で荷物を運んでいました。

かもめ島の海岸に残る、船を停泊するために差し込んだ丸太跡 かもめ島の海岸に残る、船を停泊するために差し込んだ丸太跡

丸太跡

ニシンを呼び寄せた「瓶」の正体とは?

瓶子岩 瓶子岩

かもめ島でひときわ目を引くのが「瓶子岩(へいしいわ)」です。江差がニシン漁で栄えるきっかけとなった伝説が残されています。

角度によっては、女性の顔のように見える 角度によっては、女性の顔のように見える

宮原さん:昔、折居(おりい)というお婆さんがかもめ島で神様に出会い、水の入った瓶を授かりました。神様は「この水を海に注げば、ニシンと呼ばれる魚がやってきて、江差は大いに栄えるだろう」と告げました。指示された通りにすると、ニシンが一斉に押し寄せた。そして瓶を海に投げると、それが岩になったと言われています。この瓶子岩は江差にとって特別な存在で、町の入り口を示すカントリーサインにも描かれています。
江差の繁栄は、ほかの蝦夷地の拠点(函館や松前)よりも遅かったものの、江戸時代中ごろからニシン漁が盛んになったことと、その加工品の需要拡大によって急成長しました。春になると「群来(くき)」と呼ばれるニシンの産卵が起こり、海が乳白色になる神秘的な光景も人々の胸を躍らせます。
海上安全を祈る港の守り神・厳島神社

厳島神社 厳島神社

かもめ島には、航海安全の神様を祀る「厳島神社」が建っています。江戸時代には弁天社あるいは弁財天社と呼ばれ、船乗りたちの信仰を集めていました。

宮原さん:北前船の寄港地には、必ず厳島神社があります。ここ江差の拝殿の基礎には、福井県で採掘される笏谷石(しゃくだにいし)が使われています。青みがかった柔らかい凝灰岩で、加工しやすく、社寺の敷石や墓などに広く用いられました。この笏谷石も北前船によって江差まで運ばれてきたんです。

さらに、境内には、北前船の船員や江差商人たちが寄進した鳥居や狛犬が残されています。

宮原さん:例えば、鳥居の柱には「加州橋立船頭中」と刻まれていて、加賀の橋立(現在の石川県加賀市橋立町)の船頭たちが寄進したことがわかります。また、狛犬には「備後松浜」(現在の広島県福山市松浜)の文字が刻まれています。当時、江差が北前船を通じて日本の各地とつながりを持っていたという名残を、今でも目の当たりにすることができるんです。

石鳥居に刻まれた「加州橋立船頭中」の文字 石鳥居に刻まれた「加州橋立船頭中」の文字

敷石に使われている福井県の笏谷石 敷石に使われている福井県の笏谷石

狛犬にも「備後松浜」の文字が刻まれている 狛犬にも「備後松浜」の文字が刻まれている

厳島神社の手水石 厳島神社の手水石

また、手水石の側面には「村上客船中」と刻まれています。

宮原さん:「村上」とは、江差の有力な商家・村上家を指しています。この文字は、村上家をお得意先とする北前船の船員が寄進したことを示しています。江差での商売が順調だったことへの感謝の気持ちを込めて、この手水石を奉納したのでしょう。

手水石は日和見(天候を読むこと)のためにも使われていた 手水石は日和見(天候を読むこと)のためにも使われていた

宮原さん:手水石には十二支で方角が彫られており、船乗りたちが天候を読むのにも使われました。
このように厳島神社には、北前船文化を伝える貴重な品々が今も残され、かつての交易のつながりを物語っています。
千畳敷で繰り広げられた贅沢な宴

千畳敷 千畳敷

かもめ島の北側に広がるのが「千畳敷」。波に削られた広大な岩盤の上で、かつて裕福な商人や船頭たちが宴を楽しんでいました。

千畳敷に残る8つの柱跡 千畳敷に残る8つの柱跡

宮原さん:ここには伐った桜の木を一時的に運び込み、仮小屋を建てて宴会場を作っていました。向こうの奥尻島を眺めながら、江差追分を聴きつつ酒を酌み交わしていたそうです。江戸時代の旅行ガイドブックにも、ここでの宴の様子が紹介されていますよ。
今でも柱を立てていた穴跡や、千畳敷へ上り下りするために岩を削って造った階段も残されており、当時のにぎわいを想像させてくれます。こうした場所からは、江差が単なる港町ではなく、文化を楽しむ社交場としても栄えていたことがうかがえます。

柱跡 柱跡

かもめ島での宴会の様子が描かれている屏風 かもめ島での宴会の様子が描かれている屏風

かもめ島の情報はこちら

商家文化が息づく旧中村家住宅

旧中村家住宅 旧中村家住宅

続いて訪れたのは国の重要文化財「旧中村家住宅」。江戸末期から明治にかけて建てられた4棟が連なる商家建築です。

旧中村家住宅の説明をする宮原さん

宮原さん:江差=ニシン漁が盛んだった町、という認識は、正しいけれどもそれだけではない。獲れたニシンを肥料や食品に加工し、本州に送る“商売の拠点”であったことが重要なんですね。特に、ニシン粕は当時の肥料としては非常に需要が高く、江差の商家はそれを扱うことで大きな財を築きました。ここ旧中村家住宅の構えは、そんな商売のシンボル的存在です。

一直線に伸びる通路 一直線に伸びる通路

建物が階段状に下がって建てられているのは、江差の地形が浜へ向かって傾斜しているから。さらに、住宅内の通路がまっすぐに伸びているのは、スムーズに荷物の出し入れをするための工夫です。かつてこの建物の端は浜辺に面しており、かもめ島に停泊した北前船から荷物を小舟で運び、直接商家へ運び入れていました。浜辺は埋め立てられ現在は国道となっていますが、当時の利便性を考えた造りが今も残されています。

各家が持つ家印 各家が持つ家印

宮原さん:旧中村家住宅の外壁には、大きな家印が掲げられています。これは、北前船の船員たちが海から一目でお得意先を見つけられるようにするためのもの。商家はそれぞれ独自の家印を持ち、船主や取引相手がすぐに識別できるようにしていました。例えば、中村家の家印は“三角に一”で、“うろこいち”と呼ばれるものです。

にぎわう江差を描いた屏風 にぎわう江差を描いた屏風

館内には、春のにぎわいを描いた屏風(複製)も展示されています。かもめ島で帆を下ろした北前船や千畳敷で宴会をする様子、陸と島を小舟で行き来する人々、そしてニシン加工に追われる浜辺の活気。すべてが色彩豊かに描かれ、往時の熱気が伝わってくるかのようです。
宮原さん:旧暦の5月頃になると、ニシンの加工品を求めて北前船がどんどん集まり、江差は活気づきました。その様子を指して(日本遺産のストーリータイトルにもなった)、「江差の五月は江戸にもない」と言ったんです。そして、この屏風をじっくり見ていただくと、旧中村家住宅の前を通る道が今もほぼ同じ形で残っているのがわかります。

当時から残る道を歩けるいにしえ街道 当時から残る道を歩けるいにしえ街道

屏風の説明をする宮原さん

旧中村家住宅の前を通る道は現在、「いにしえ街道」と名付けられ、観光の拠点になっています。昔の雰囲気を感じながら散策できるのが、江差の面白いところです。

旧中村家住宅正面 旧中村家住宅正面

【旧中村家住宅】
所在地 北海道檜山郡江差町字中歌町22
開館時間 9:00~17:00
休館日 4月~10月は無休
11月~3月は月曜日・祝日の翌日が休館
12月31日~1月5日
入館料 [単独入館券]大人300円、小中高100円
[共通入館券(旧中村家住宅、旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)、旧関川家別荘)の3施設共通入館券)]大人500円、小中高150円

旧中村家住宅の情報はこちら

旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)で
江差の歴史と文化を学ぶ

旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館) 旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)

次に足を運んだのは、明治20年に建てられた「旧檜山爾志郡役所(きゅうひやまにしぐんやくしょ)」。当時の北海道庁の出張所として建てられ、地域の行政の中心を担っていました。洋風建築ですが、基礎には福井県の笏谷石、屋根には石川県から運ばれた瓦が使われており、北前船交易のつながりが感じられます。現在は、「江差町郷土資料館」としても活用されています。

石川県で作られた瓦 石川県で作られた瓦

基礎に使われている笏谷石 基礎に使われている笏谷石

資料館内では、かもめ島の瓶子岩にまつわる折居さんの伝説を映像で紹介。また、当時の北前船交易の具体的な経済活動を示す入船台帳や収支帳も展示されています。

資料館の説明をする宮原さん

宮原さん:かつては入船台帳を用いて北前船の入出港を管理し、税の徴収や不審な船の取り締まりなど、現在の税関にあたる役割を担っていました。また、北前船ごとに4冊の収支帳が作られ、人件費や上り(北海道→本州)、下り(本州→北海道)の取引状況を管理していました。展示されている収支帳を見れば、ニシン粕の取り扱いが最大の収益源だったことがわかります。

入船台帳 入船台帳

北前船の収支帳 北前船の収支帳

旧檜山爾志郡役所を訪れれば、江差がどのように発展し、どのようにして繁栄を築いたのかを、資料を通じて実感できるはずです。

【旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)】
所在地 北海道檜山郡江差町字中歌町112
開館時間 9:00~17:00
休館日 毎週月曜日・祝日の翌日(4月~10月は無休)、12月31日~3月31日は休館
入館料 大人 300円、小中高 100円

旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)の情報はこちら

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江差の旅で味わいたい「にしんそば」
江差を訪れたら、ぜひ味わいたいのが「にしんそば」。甘辛く炊かれたニシンの甘露煮がのったそばは、優しく染みわたる味わいで、旅の疲れを癒してくれます。

国道227号線沿いにたたずむ「手打ちそば 和味」では、北海道産・国産のそば粉にこだわり、添加物や化学調味料を一切使わないそばがいただけます。店内は道南の杉材を使用した温もりのある空間。落ち着いた雰囲気の中、心も体も満たしてはいかがでしょう。

にしんそば にしんそば

手打ちそば 和味(なごみ) 手打ちそば 和味(なごみ)

【手打ちそば 和味(なごみ)】
所在地 北海道檜山郡江差町愛宕町40-1
営業時間 11:30〜そばが売り切れ次第閉店
定休日 月曜日、(冬期は毎週日・月・火曜日)、年末年始(12月28日~1月4日)

手打ちそば 和味(なごみ)の情報はこちら

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江差の文化の魅力とは?
60年にわたり探究を続ける松村隆さんに聞く

松村隆さん 松村隆さん

かつて江差には茶屋や浜小屋が立ち並び、活気に満ちていました。そんな繁栄の歴史を引き継ぐ文化や町の魅力について、長年研究を続けてきた松村隆さんに話を伺いました。1926年生まれの松村さんは、60年以上にわたり江差の文化を調べ、写真や執筆活動を通じて発信しています。2024年にはその功績がたたえられ「令和6年度地域文化功労者表彰」を受賞。文部科学大臣から表彰されました。

旧泊村(現江差町)出身の松村さんは、28歳頃に、江差へと移り住みました。その際、江差の街並みに衝撃を受けたそうです。

松村さんが運営する「語り部茶屋」では、江差の資料が見られる 松村さんが運営する「語り部茶屋」では、江差の資料が見られる

松村さん:江差の街並みは、ニシン漁で繁栄していた頃の面影が感じられ、移住当時から刺激的でした。そして一番驚いたのは“江差追分”があること。全国から身銭を切って歌いに来る人がいるほどで、「人々が熱狂する江差追分には、どんな魅力が隠されているのだろう」と不思議で仕方なかったんです。

松村さんが手がけた、江差に関する著書や写真がずらり 松村さんが手がけた、江差に関する著書や写真がずらり

30代から江差追分への探求心を抱いてきた松村さん。その興味は、やがて町の文化を支える活動へと広がりました。追分会館の設立に関わり、録音会社を立ち上げて江差追分のCDを制作。文化を発信する側としても尽力してきました。

語り部茶屋 語り部茶屋

松村さん:気づけば、追分をはじめとした江差の文化探究にのめり込んでいました。私自身は学があるわけではないんですが、文化を何十年も調べ続けているうちに、権威のある大学教授の前で講演できるくらいになりました。江差の文化を通して、普通に生きていてはできない経験や出会いがあり、自分でも驚いていますよ。
松村さんは、江差の文化に触れられる拠点「語り部茶屋」の設立にも携わりました。かつてここは、豪商の保存庫だった場所。そば屋として使われていた時期もありましたが、閉店後は空き店舗になっていました。そこで松村さんは、親交のある東京農業大学顧問・多田義和さんの協力を得て、町の資料を展示し、人々が江差の文化に触れられる拠点へと変えていきました。

語り部茶屋のお話をする松村さん

松村さん:多田さんは江差出身ではないのに、追分を一度聴いたら涙を流して感動し、それ以来応援してくれています。「あなた方が江差の文化を背負っていくなら、ちゃんと事務所を作れ」と言って後押ししてくれました。それで、記念館のような語り部茶屋が生まれました。

松村さんは、30代で手にしたカメラをきっかけに、江差の情景を撮影し続けてきました。

松村さんは1976年創刊の文芸誌「江さし草」の編集長も務めた 松村さんは1976年創刊の文芸誌「江さし草」の編集長も務めた

松村さん:江差は昔から「風」と共にあった町。人々は毎年、凍てつくような浜風との戦いを強いられてきました。そのため、風に着目して、江差ならではの街角の表情を撮ろうと思ったんです。仕事の引退後に写真集を作ってみると、意外にも注目が集まりました。ついには、北海道の美術館で、プロの写真家の作品に並んで展示されるまでになりました。
同人誌の編集や書籍の出版も積極的に行ってきた松村さん。例えば、自費出版の著書『江差追分人間模様』は、全国新聞社出版協議会ふるさと自費出版大賞で優秀賞を獲得しています。

書籍出版のお話をする松村さん

同人誌の編集や書籍の出版も積極的に行ってきた松村さん。例えば、自費出版の著書『江差追分人間模様』は、全国新聞社出版協議会ふるさと自費出版大賞で優秀賞を獲得しています。

松村さん:自費で書籍を作るには莫大なお金がかかりますが、若いころから一冊は自分の本を出したいと思っていました。費用はかかりますが、それ以上の価値が返ってくるんですよ。
100歳を目前にして、さまざまな挑戦を続ける松村さん。そんな松村さんの原動力には、18歳で戦地に赴き、シベリア抑留を経験した過去があります。20歳の頃、二度目の引き揚げ船で帰れたのは奇跡と振り返りつつも、こう話してくれました。

お話をする松村さん

松村さん:帰国当時、青春が抑留で失われたようで落胆しました。けれど、この経験を糧にして生きていこうと決意し、「もう怖いものはない」「自分の好きなように生きよう」と思って歩んできました。
松村さんが活動する中で気づいたのは、自分ができることを一つずつ続けていけば、少しずつ周りの景色も変わること。

松村さん:町の若い人たちにも、自分のできることを続けてほしいですね。そうすることで、町全体が豊かになると思います。文化がある町なのだから、自分たちで大切にしなければなりません。私も生きている限り、ささやかでもできることを続けていきたいですね。

【語り部茶屋】
所在地 北海道檜山郡江差町中歌町70
開館時間 10:00〜17:00
入館料 無料

4〜5万人が集まる「姥神大神宮渡御祭」

姥神大神宮渡御祭で使用される山車(山車会館で見ることができる) 姥神大神宮渡御祭で使用される山車(山車会館で見ることができる)

江差町が一年でもっとも賑わうのは、「姥神大神宮渡御祭」の期間。毎年8月9日(御霊代奉遷祭)から11日の3日間にわたり開催されます。町内13の山車(やま)が一斉に練り歩く様子は圧巻。人口7,000人弱の土地に4~5万人が集まると言われ、昼夜を問わず町中が祭り一色に染まります。

姥神大神宮渡御祭のお話をする松村さん

松村さん:「姥神大神宮渡御祭」の魅力は、町全体が一体となって盛り上がること。子どもからお年寄りまでがそれぞれの役割を果たします。子どものころは太鼓を叩き、次は笛を覚え、成長すると山車に乗って電線をかわす係を担当し、最後には頭取として祭りを取り仕切る。こうやって祭りの技や精神が自然と受け継がれていくんです。

山車は豪華な装飾が特徴 山車は豪華な装飾が特徴

それぞれの山車は豪華絢爛。細部まで精巧に作り込まれており、見る者を圧倒します。

松村さん:もともと、ニシン漁で潤った豪商が若い衆を集め、豊漁祝いとして始めたのがきっかけです。ニシン漁が衰退し、彼らが札幌や東京に移ってからは、町内の人々が引き継ぎ、今の形になりました。当初、山車は6台ほどでしたが、各町で「自分たちの町でも山車を用意しなければ」という意識が生まれ、13台(全町分)が揃いました。
太鼓や笛の音色が響き渡る中、山車の練り歩きを見るために集まった観客たちは、伝統の美しさと迫力に息を呑むそう。町内の人々の協力で作り上げられる祭りは、江差の誇りであり、町の伝統を象徴する存在です。

民謡の王様「江差追分」とは

江差追分基本譜 江差追分基本譜

「江差追分」とは、ニシン漁や北前船による繁栄の中で育まれた民謡。もともとは移住してきた人々の故郷への想いが色濃く唄われています。江差追分の特徴はどこにあり、人々は何に魅了されているのか。江差追分会師匠会の会長を務める渋田義幸さんにお話を伺いました。

江差追分会師匠会会長 渋田義幸さん 江差追分会師匠会会長 渋田義幸さん

渋田さん:私は、高校卒業から60年以上もの間、江差追分を唄ってきました。幼い頃から、周囲のみんなが当たり前のように追分を唄っていて、身近な存在でしたね。そこで、高校を卒業し就職する際に「江差にいるなら追分くらいは唄えるようになろう」と思って始めたんですよ。
当時、仕事の傍らで短大に夜間通学しながら、江差追分の第一人者である佐々木基晴氏に師事したという渋田さん。最初は友人と2人で始めたものの、その友人は途中でやめてしまったそう。それでも渋田さんは続けるうちに、着実に腕を磨いていきました。こうして60年以上、追分とともに人生を歩んできた渋田さん。現在は125ほどある支部の一つを主宰しています。

信州や北陸にルーツを持つ江差追分 信州や北陸にルーツを持つ江差追分

渋田さん:やはり子どもの頃から追分を聞いていたおかげか、身に染み付いていたんでしょうね。師匠にも「唄いにくるたびに上手くなっている」と言われました。地元にいると青年団などが顔を真っ赤にして追分を唄っているのを、子どものときから見ていたので、自然と体に染み込んでいたみたいです。

江差追分は、どこか感傷的な雰囲気を持つ民謡。その理由を、渋田さんは次のように説明します。

基本譜は”もみ”や” 本すくり”などの「基本八つの節(ふし)」で構成される 基本譜は”もみ”や” 本すくり”などの「基本八つの節(ふし)」で構成される

渋田さん:追分の発祥は長野県小諸地方とされ、もともとは馬子唄でした。それが日本海沿岸を北上し、北前船によって江差まで伝わったといわれています。当時、石川や新潟など本州各地から、多くの人々がニシン漁で栄える江差に移り住みました。彼らは遠く離れた家族や故郷を思い、その寂しさや恋しさを唄に込めたんです。そのため、江差追分の歌詞には「会いたい」や「寂しい」といった感情が多く表現されています。現存する歌詞の約三分の二が、こうした思いを唄っています。
江差町と石川県珠洲市が友好都市協定を結んでいるほか、町内には「越前町」という地名も残るなど、当時の交流は今にもしっかりと息づいています。江差追分は、歴史や人の流れ、感情が凝縮された民謡なのです。

江差追分には、明治時代後半まで多くの流派や歌詞がありました。しかし、より広く普及させるために節や歌詞はある程度統一されました。さらに、1974年に「正調江差追分節基本譜」が制定されました。

渋田さん:昔は、喉の力を緩めて「エェ エェ エェ」と唄う基本の節「もみ」も、流派によっては4〜5回ほど繰り返すことがあったんです。でも、それだと多すぎるということで、3回に統一されました。また、基本譜ができる前は、音階のような譜面はなく、師匠から弟子へ口伝されるものでした。せいぜい、イメージ図のようなものがあったくらいです。

基本譜ができる前は口伝やイメージ図のような資料で唄い方を習得していた 基本譜ができる前は口伝やイメージ図のような資料で唄い方を習得していた

渋田さん:江差追分の特徴の一つが「七節七声」。これは、唄が七つの節(せつ)から構成されており、それぞれの節を一息で唄いきるという独特の規定です。一節の長さは約26秒もあり、息継ぎなしで唄い続けるのは初心者にとって非常に難しいもの。初心者が正確に唄いこなすためには、少なくとも3~5年の練習が必要とされています。江差追分をマスターするには、時間と根気が求められますよ。

江差追分の実演を行う舞台(江差追分会館内) 江差追分の実演を行う舞台(江差追分会館内)

そして、唄い手と一緒に舞台に上がるのが「ソイ掛け」と伴奏者。絶妙なタイミングの「ソイ」という合いの手が、唄い手を助け、追分の魅力をさらに引き立てるのだとか。

渋田さん:ソイ掛けは大事です。唄い手の息が少し苦しくなってきたら、掛け声を少し前のめりか、長めに入れてあげることで、その間に唄い手が休憩できます。そして、情緒的な雰囲気を引き立てる尺八も重要。唄い手、ソイ掛け、尺八が「三位一体」となって追分が完成するんです。
渋田さんが60年以上も追分を唄い続けてこられたのは、民謡としての奥深さや仲間との切磋琢磨に惹かれたからだといいます。しかし、時代の変化とともに後継者不足は深刻な問題になりつつあり、渋田さんたちは活性化の道を模索中です。

江差追分のお話をする渋田さん

渋田さん:江差追分に取り組む若い人が減っています。だから、この基本譜を五線譜に落とし込んでみようとか、追分を町中で流すメロディーロードを作ったら面白いんじゃないかとか、いろいろと構想中です。続けていくためには、新しいやり方も取り入れないといけないと思いますね。

江差追分会館 江差追分会館

渋田さんが長年にわたって唄い続けるその世界には、遠くの故郷を思う移住者のやるせなさや、人々の熱い情感が息づいています。

江差追分の奥深さを実際に体験してみたい方は、「江差追分会館」内の「追分道場」を訪れてみましょう。師匠の丁寧な指導のもと、節回しを教わることができます。(所要時間30分、無料)江差追分の穏やかな旋律にぜひ一度触れてみてください。

【江差追分会館・江差山車会館】
所在地 北海道檜山郡江差町字中歌町193-3
開館時間 9:00~17:00(追分道場は10:00~16:00)
休館日 4月1日~10月末までは無休
11月1日~3月末までは毎週月曜日・祝日の翌日・年末年始(12月31日~1月5日)
入館料 大人500円、小中高 250円(この入館料で併設の山車会館も観覧可能)

江差追分会館・江差山車会館の情報はこちら

現在の江差のすがた

江差は、歴史や伝統を継承する一方で、新しい文化や体験も生み出しています。

例えば、かもめ島では「マリンピング」が楽しめ、SUPなどのアクティビティとともに、グランピングや手ぶらキャンプが可能。灯台の敷地内でテントを張れる、日本で唯一の貴重な体験もできます(宿泊希望日の10日前までに要予約)。ありのままの大自然の中で過ごせるのが魅力です。

海を眺めながら宿泊できるマリンピング 海を眺めながら宿泊できるマリンピング

マリンピングテント内部 マリンピングテント内部

テント周辺には高い木がなく開放感抜群 テント周辺には高い木がなく開放感抜群

【かもめ島マリンピング】
所在地 北海道檜山郡江差町鴎島

かもめ島マリンピングの公式サイトはこちら

江差でお土産を購入するならアンテナショップ「ぷらっと江差」を訪れるのがおすすめです。市街地からかもめ島に向かう途中にあり、にしんの甘露煮やホッケの干物といった海産加工品や銘菓、雑貨などがずらり。併設の食事処でにしんそばをいただくこともできます。

ぷらっと江差 ぷらっと江差

にしんの甘露煮 にしんの甘露煮

多様な食品や雑貨などを購入できる 多様な食品や雑貨などを購入できる

【ぷらっと江差】
所在地 北海道檜山郡江差町字姥神町1-10
営業時間 9:00~17:00
※飲食コーナーは11:00~15:00(L.O. 14:30)
定休日 4月~10月は無休
11月~3月は月曜・祝日の翌日および12月31日~1月5日

ぷらっと江差の情報はこちら

かつては江戸を凌ぐほどのにぎわいを誇り、その名残が今も町の随所に息づく江差。歴史と自然が織りなす風景の中で、かつての繁栄に思いを馳せながら、江差の魅力を感じてみてはいかがでしょうか。

江差町日本遺産公式サイト

【本稿で紹介した構成文化財】 江差の街並み
旧中村家住宅
旧檜山爾志郡役所庁舎
かもめ島
折居伝説とその資料
瓶子岩
北前船係船柱及び同跡
厳島神社
厳島神社の石鳥居
厳島神社の手水石
かもめ島の階段跡
江差商人の宴席跡
江差追分
姥神大神宮渡御祭

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