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2025.06.16

特集

日本遺産巡り#43◆300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊 ~ちりめんが紡ぐ、古の技術と未来への架け橋~

織機

京都駅から特急に乗り、約2時間。和歌の舞台にもなった天橋立を横目に、降り立ったのは京丹後大宮駅。日本でも有数の絹織物の産地であり、人々の羨望を集めた高級品・丹後ちりめんが生まれた地でもあります。

最盛期、穏やかな内海と山間に挟まれた街には、昼夜を問わずガチャガチャという機織りの音が聞こえていたといいます。

時代が変わり、着物文化の衰退が叫ばれている今。丹後ちりめんも多分に漏れず、生産量は減少しています。しかし逆境にあって尚、紡いできた伝統の継承と新たな価値の創造を続けています。今回は、丹後ちりめんの文化を支えている人、その歴史を受け継ぐ人の矜持と取り組みに迫りました。

自然の恵みがもたらす、最高級の逸品

丹後ちりめんの歴史は1300年ほど前、奈良時代に遡ります。「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるほど雨が多い丹後の地は、乾燥を嫌う絹の生産に適していました。さらに岩盤層が隆起してできた地形から、アルカリ性の軟水が出やすい地域でもあります。水脈に近い軟水が竹野川や野田川を流れていたことも、丹後が絹織物の一大産地となった要因の一つでした。

そんな平織りの絹織物が「ちりめん」に変化したのは、江戸時代の中期。西陣ちりめんの台頭をきっかけに、西陣で修行を積んだ絹屋佐平治が丹後に技術を持ち帰り、「ちりめんの町」として名を馳せるようになったのです。

ではなぜ丹後ちりめんは、最高級の地位を獲得したのでしょうか。まずは実際の製造工程を見せていただくため、丹後織物工業組合に伺いました。ここは2024年6月、絹織物精練加工場のファクトリーツアーと直営店が併設された『TANGO OPEN CENTER』としてリニューアルしたスポットです。

案内していただいたのは、丹後織物工業組合 TANGO OPEN CENTER事業課 課長の西田浩一さんです。

TANGO OPEN CENTER事業課 課長 西田浩一さん TANGO OPEN CENTER事業課 課長 西田浩一さん

西田さん:まずは丹後ちりめんを触ってみてください。よく見ると、細かい凹凸が無数にありますよね。これはシボと呼ばれる、ちりめんの特徴。緯糸(よこいと)に1mあたり3000〜4000回の強撚糸(きょうねんし)を使い、精練加工を経ることで、生地表面に凹凸が発生します。これによって空気の層が生まれ、夏は涼しく冬は温かいちりめんになります。さらに生地が点で体に接するので、肌触りが優しい。その機能性と肌触りが、丹後ちりめんが最高級品たる所以なのです。
たしかに触らせていただいた反物は柔らかく、細かなシボが肌に優しく感じます。丹後ちりめんがパリコレで、某ブランドのオートクチュールに使われたという話も納得です。では隣にある反物は?

左から 繭玉・精練加工済後、生機 左から 繭玉・精練加工済後・生機

西田さん:こちらは生糸に含まれているセリシンという物質や不純物がついている状態のもので生機(きばた)と言います。これを熱湯で洗い流すことで、先ほどの手触りや凹凸が生まれるのです。ちりめん独自の柔らかい風合いも、この精練という工程で生まれるんですよ。
 
精練する前の生機はまっすぐでハリがあって固く、流れるようなちりめんのイメージとは大きく異なります。熱湯で洗い流すことでここまで独自の風合いが生まれるとは、改めて、古の知恵と工夫を感じます。
「この地だからこそ」の品質
西田さん:ちりめんの技術は、現在も引き継がれています。加工場の中をご案内しますね。

奥行きのある加工場へ足を踏み入れると、ひっきりなしに機械の音が響いていました。先ほど教えていただいた精練中の釜の湯気で、しっとり温かな空間です。

加工場

西田さん:当組合の加工場では、1反(38cm×13m)の反物を1日約500反精練しています。加工場では、入荷→準備→精練→乾燥→整理→検査→仕立→出荷の流れを見学できます。社会科見学として、近隣の学校を受け入れることが多いですね。

加工場で働く皆さんに挨拶をしながら、各工程を進んでいきます。

加工場

西田さん:作業をしている皆さんの手に注目してください。シルクは保湿性があり、摩擦が起きにくいため、肌に良い素材と言われています。ですから常にシルクに触れている皆さんの手は、とっても綺麗でしょ。

照れる女性スタッフさんの手は確かにきめ細やか。最近、シルクの枕やパジャマが人気ですが、まさにその理由を垣間見た気がします。

そしていよいよ精練工程へ。大きな釜から湯気が立ち上り、その暖かさと湿度に圧倒されます。
 

加工場

西田さん:精練工程では、4tの大釜と2tの小釜を使って、反物についている汚れやセリシンという成分を洗い流します。約98℃のお湯で、まずは3時間粗練(あらねり)をして大まかに汚れを落とし、その後2時間本練(ほんねり)、最後に1時間仕上練(しあげねり)をします。ここで石鹸カスや汚れの落とし漏れがあると後に染めムラにつながるので、合計6時間かけて、じっくり生地を洗います。大変ですが、それだけ丹後ちりめんが熱に強い素材であるということですね。
取材に訪れたのは冬の始めの肌寒い時期でしたが、外の寒さを忘れるほどの暖かさ。冬は暖かいものの、夏の暑さの中での作業の過酷さは、想像に難くありません。

西田さん:この工場の10km先には、竹野川の源流があります。精練ではこの水を1日約250t使用しています。水質の良い水に恵まれていたというのも、やはりこの地で丹後ちりめんが発展した理由につながっています。

雨が多い地域で、水質の良い川の恵みを活用して産業を興す。改めて、地場の産業は地域の気候に根付いていると実感しました。
職人の技術が紡ぐ、品質の轍
西田さん:機械での生産がメインですが、やはり最終的に大切なのは、人の目や感覚。丹後ちりめんの品質は、彼らが担っていると言えます。特に目視での検査は欠かせません。

そう言ってご案内いただいたのは、検査工程。検反機を使い、目視で1分間に10〜25mの速さで汚れやキズなどをチェックするというのは、まさに熟練の業。さらに一人1日200反を検査するという、気が遠くなるような作業です。

そうして検査を受けた反物は、丹後ちりめんの証であるブランドマークが押捺され、組合員のもとへ出荷されます。現在はシルクだけでなく、ポリエステル・レーヨン・綿など様々な素材での生産を可能にしている丹後ちりめん。自然の恵みと職人の技術が、多様な丹後ちりめんの可能性を守っていました。

【TANGO OPEN CENTER】
所在地 〒629-2502 京都府京丹後市大宮町河辺3188
アクセス 京都丹後鉄道「京丹後大宮駅」下車 車で約5分

TANGO OPEN CENTERの公式サイトはこちら

丹後ちりめんが生んだ、町の繁栄と文化

最高級品として全国に名を馳せた丹後ちりめんは、その品質の高さや西陣で発生した大火事の影響により、江戸時代に急激に生産量を増しました。
生産の担い手となった町のひとつが、京丹後市の隣に位置する与謝野町。「ちりめん街道」と呼ばれるこの地には、ちりめんの生産に沸いた町の面影が残ります。

与謝野町語りべの会 会長 青木順一さん 与謝野町語りべの会 会長 青木順一さん

ちりめん街道を訪れたらぜひ体験していただきたいのが、ガイドツアー。今回は「与謝野町語りべの会」の会長青木順一さんに、与謝野の町並みを案内していただきました。

旧加悦町役場庁舎 旧加悦町役場庁舎

待ち合わせ場所として最初に訪れたのは、旧加悦町役場庁舎。昭和4年、丹後大震災の復興のシンボルとして完成した建物は、当時最新の耐震対策と洋風意匠を凝らしたものです。当時の最先端のスパニッシュ・ミッション様式が取り入れられたと言われています。今ではシルクの手作り体験や手機体験などの各種ワークショップ・カフェ・土産物販売、貸会議室など、観光客・地元民それぞれの拠り所として活用されています。
 
曇天だった天気は、いつしか小雨に。「ここは“うらにし”だからね」と青木さん。うらにし?

青木さん:うらにしはうらにしだからね。あえて言うと、丹後周辺はこの時期(晩秋〜冬)、一日の中で天気が変わりやすいという意味かな。

1日の中で、晴れて曇って雨が降って…古くから「弁当忘れても、傘忘れるな」と言われてきた気候を、何世紀もの時を経て体感しました。当時の人たちもこの気候を活かして産業を育ませていたのかと、当時の人の暮らしに思いを馳せる天気でした。

静かな雰囲気の中で歩を進めると、「この町が繊維を扱っていることを示すサインは、町のそこかしこに表れています。ほら、まずはここに」と青木さん。立派な日本家屋の前で立ち止まりました。

青木さん:この家は、水玉のモチーフを塀に使っています。あちらの家は、鯉のモチーフを使っていますよね、これは火事をよせつけないためのお守りの意味が込められています。桃のモチーフは、古事記に記されていた雷よけを模したもの。落雷で織機が壊れないことを願い、桃のモチーフを使っています。

確かに町のあちこちに、火災への厄除祈願の想いが込められています。まさに繊維産業と共に生きてきた町の面影を感じます。

水玉をモチーフにした塀 水玉をモチーフにした塀

鯉のモチーフ 鯉のモチーフ

青木さん:そして各家の格子の数で、その家がどのような仕事を担っていたかも分かります。例えば2本は呉服屋さん、3本は糸屋、4本は機屋というように。そしてこのお宅は、“丹”の字が格子で表現されているこだわりよう。町の作りがすべて、丹後ちりめんという繊維産業に紐づいていますよね。とはいえ現在は業種も変わっているので、意匠的な役割として残っています。
 
また、この地域の当主である尾藤家とのつながりを感じさせる住宅も。

青木さん:ほかにも、尾藤家に仕えていた濱見家という住宅があります。濱見家もかなりの名家なのですが、尾藤家を敬う気持ちが、家造りにも表れています。たとえば壁は土壁で、木材は栗の木です。尾藤家が白壁・ケヤキ造りなので、あえて少しランクダウンさせる意味で、土壁・栗の木を使っています。

知らなければ見過ごしてしまう、町の設いの数々。改めて、地域の生き字引であるガイドさんに案内していただく意義を感じました。
旧尾藤家住宅に見る、当時の繁栄と建築技術

11代尾藤庄蔵家族 11代尾藤庄蔵家族

そして街道の奥にそびえるのは、旧尾藤家住宅。生糸ちりめん問屋・醤油屋・保険代理店、さらには加悦町長も務めた、与謝野町のちりめん産業の中枢を担ってきた家です。

現存する建物は文久3年(1863年)に再建されたもの。立派な白壁の家屋や塀が、他とは違う風格を漂わせています。旧尾藤家住宅は現在、当時の隆盛を伝える見学スポットとして遺されています。

旧尾藤家住宅への入り口 旧尾藤家住宅への入り口

1階が日本家屋・2階が洋風住宅の屋敷 1階が日本家屋・2階が洋風住宅の屋敷

旧尾藤家住宅の襖絵 旧尾藤家住宅の襖絵

住宅に足を踏み入れて最初に驚いたのは、突き抜けるような天井の高さ。さらに、どっしりとした梁と、細部まで技巧が凝らされた室内。松を模した釘隠しや技巧が凝らされた欄間、見事な襖絵に、当時の技術をうかがい知ることができます。

青木さん:この設いの一つひとつに、当時の粋が込められています。たとえばここは、カラスの間。今でこそカラスはゴミを漁る困った鳥ですが、賢さはもちろん親孝行な鳥として、江戸時代までは良い鳥とされていました。その意味を込めて、カラスを模した部屋を作りました。他にも隠し扉で行き来できるトイレなど、細かな工夫がそこかしこに凝らされています。

日本建築が織りなす粋な技術への感嘆が冷めない中、次に案内されたのは2階。「2階は雰囲気がガラッと変わる洋風建築の作りになっています」という青木さんに導かれ、階段を上ります。

2階洋風の新座敷

青木さん:2階は1930年に増築された洋風の新座敷。軽い日本家屋の上に重厚な洋風住宅が乗るという、今では考えられない造りになっています。

部屋に足を踏み入れると、応接室に西洋絵画、当時は珍しいベッドも揃うモダンな空間。甲子園球場の設計を担った今林彦太郎が手掛け、2024年1月には国の重要文化財に指定されています。

ステンドグラス

青木さん:尾藤家には電話が設置されているでしょう。日々、糸の相場についてやりとりするために、当時では珍しい電話が引き込まれていたのです。お勝手もありますし、老朽化のため現存していませんが女中部屋もありました。また、当時は車と同等の扱いだった自転車もあったと言われています。旧尾藤家住宅がまさに、この地域のちりめん産業の軸となっていることが分かると思います。
町の柱としての役割を担い、その隆盛を住宅として遺した尾藤家。まさに当時の歴史を担う存在であることを、建物を通して実感しました。
【ちりめん街道】
所在地 〒629-2403 京都府与謝郡与謝野町加悦1085
アクセス 京都丹後鉄道宮豊線「与謝野駅」下車 車で約10分

ちりめん街道の情報はこちら

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ちりめん産業から生まれた地域文化
尾藤家を筆頭に、ちりめん産業が栄えた丹後地域。もちろん一般の人々の暮らしにも、ちりめん文化が反映されていました。実際、西陣の大火や昭和40年代のガチャマン景気によって栄えたちりめん産業から、多くの文化が生まれました。ちなみにガチャマン景気とは、織機を「ガチャン」と動かせば万のお金が儲かるという比喩から生まれた言葉。当時はお寺でも機織をしていたというほどガチャマン景気に沸いた町の名残を探してみましょう。

たとえば京丹後・木島神社(金刀比羅神社内)では、狛犬ならぬ狛猫が参拝客を出迎えます。これは、蚕や繭を食い尽くすネズミを避けるために生まれたもの。確かにちりめん街道にも、あちこちに猫のモチーフがありました。

また食文化も、ちりめん産業に根ざしています。有名なのは丹後ばら寿司。祭りの日やハレの日に振る舞われる家庭の味です。ポイントは、サバのそぼろを入れること。また松ぶたという、餅を入れる細長く浅い箱で作ることで、一度で多くの人に振る舞うことができるというのも、ちりめんの生産で繁栄する地域柄を感じます。

サバそぼろは必須でありながら、家庭によって散らす具材が違うのは、郷土料理ならでは。かまぼこ・たけのこ・錦糸卵・しいたけの含め煮・グリーンピース・きゅうりなど、家庭の味を楽しめるのが、丹後ばら寿司。ちなみに旧加悦町役場庁舎のカフェや近隣の道の駅等で、それぞれの丹後ばら寿司を味わうことができます。

丹後のばら寿司 丹後のばら寿司

そしてもう一つ意外だったのが、うどんがソウルフードであるということ。織り手が交代する「機替え」の時に手軽に食べられること、米と小麦の二毛作が盛んだったことから、うどんが重宝されたと言います。

丹後エリアのうどん文化は、ハレの日にも根付いています。たとえば地域のお祭り・スポーツ大会・運動会・清掃活動、冠婚葬祭でも、〆はうどん。家庭には専用の皿もあると言います。製麺所も多く、なんと人・家庭によって「推し製麺所」があるほど。うどんと言えば香川・讃岐ですが、丹後の地でもうどん文化が根付いているとは驚きです。

さらにちりめん産業から生まれた言葉もあります。たとえば、「腕によりをかける」という言葉。「腕前を十分に発揮しようと意気込むこと」「自分の力を最大限に発揮しようと張り切ること」という意味ですが、この「より」は、ちりめんの生糸を縒り合わせる工程。腕を縒るほど力を込めるという意味から生まれたと言われています。

ほかには「管(くだ)を巻く」という言葉も。酔っ払いが同じ話を繰り返すシーンを思い浮かべる言葉ですが、こちらも生糸を延々と巻き付ける工程から生まれた言葉と言われています。

与謝野うどん 与謝野うどん

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現代に受け継がれる、丹後ちりめんの可能性

一時代に隆盛を極めた丹後ちりめんですが、やはり時代を重ねるごとに、生産量は減少の一途をたどっています。たとえば生産量。最盛期であった1973年(昭和48年)に1000万反だった生産量は、2024年(令和6年)現在、13万2000反にまで減少しました。

さらに着物需要の低迷や海外産の安価な生地の流通、国内では生糸の一元化や養蚕家保護のための輸入措置など、あらゆる要因により、国内のちりめん産業は縮小を余儀なくされています。

その中でも確実に選ばれ、評価され続けている丹後ちりめんの価値を、現代に再定義する流れが生まれています。

Amanohashidate Terrace Coffee(ATC) Amanohashidate Terrace Coffee

そのムーブメントの一つとして伺ったのが、Amanohashidate Terrace Coffee(ATC)です。ATCがあるのは、与謝野町で天橋立が一望できる絶好のロケーション。すぐ近くには大きな遊具があり、週末は地元のファミリーが訪れるお出かけスポットです。
ここにATCがオープンしたのは、2024年7月。丹後ちりめんの製造を担う丹菱株式会社が、2022年にオープンしたファクトリーショップ「MARUTAN(マルタン)」とレンタルスペース「あまのはしだてテラス」に併設する形でオープンしたカフェです。カフェの下に工場が併設されているため、店内には常に、「ガチャンガチャン」という規則正しい機織りの音が聞こえます。その心地よさに、眠ってしまう赤ちゃんも多いそうです。実際、取材でお話を伺っている時にも機織りの音を忘れてしまうほど、自然に溶け込む心地よい音でした。

丹菱株式会社 代表取締役 糸井 宏輔さん 丹菱株式会社 代表取締役 糸井 宏輔さん

お話を伺ったのは、丹菱(たんりょう)株式会社の代表取締役・糸井 宏輔さん。化学繊維メーカー大手の三菱アセテート(現三菱ケミカル)の指定工場として、化学繊維を使った丹後ちりめんを作り始めたことがキッカケで創業した同社。シルクより手頃なポリエステル・レーヨンを使った製品づくりのほか、珍しいふすま用ちりめんを製造しています。

糸井さん:実は工場を一般向けに開放したり、ましてやカフェを作るなんて、最初は考えてもいませんでした。

その考えが変わったのは、コロナが発端でした。コロナを機に新しいことができないか考えていた時、事務所兼倉庫としていたスペースを、レンタルスペースに活用するようになったのがはじまりです。「住民に開かれた場所にしたい」と、オープンスペースと工場見学をスタートさせました。
さらに丹後ちりめんの新たな可能性としてスタートしたのが、自社ブランド・「TRIP 1 TANGO」。既存の“着物”という概念から脱却し、キャップやタオルをはじめ、シャツ・ワンピース・ブラウス・ジャケットなど、アパレルブランドの展開を始めました。
糸井さん:キッカケは、僕が妻に、丹後ちりめんを使ったジャケットをプレゼントしたこと。育児に奔走していた妻に、シワになりにくく快適な服をプレゼントしたいと思い、自社のちりめんを服に転換させました。今では妻がメインデザイナーとして、タイムレスで利便性の高い服を作っています。

自社ブランドを立ち上げたことで、レンタルスペース内に自社のファクトリーショップをオープンさせ、カフェを楽しみながら、「丹後ちりめん×アパレル」の可能性を知ってもらうスペースを設けたそう。実際にジャケットやワンピースを拝見しましたが、丹後ちりめんの特長である、シワになりにくい点や肌触りの良さを普段着にできる心地よさを感じました。ちなみにすべてセミオーダーで作っていただけるのが、メーカーとして縫製工場とのつながりが密な同社だからこそのポイントです。

糸井さん:丹後ちりめんが続いていくためには、後継者の育成が必須。しかし現状では、経済的に成立するのが難しかったり、工場が自宅に併設されているがゆえに機械の譲渡がしにくい参入障壁の高さなど、“継ぐ”ことへのハードルは高いです。だからこそ新しい分野や素材で、丹後ちりめんの可能性を追求したいのです。

さらに持続可能な生産において、働き方も見直す取り組みを進めていらっしゃいます。

糸井さん:今度、“子育て環境の整備に取り組む企業”としてTVの取材を受けます。当社では従業員のために育児スペースを作ったり、補助金を活用して子連れ出勤OKの体制を整えたり、カフェの運用を育休復帰の社員の新しいミッションとしてお願いしたりするなど、ライフステージが変わっても働ける環境を整備しています。今後は時短・有給制度も変えていく予定です。

カフェ ファミリー層への気遣いは、カフェにも。

カフェ

後継者を創出するため、働き方を見直している糸井さん。こうした試み一つひとつが、着実に丹後ちりめんの担い手を育てていくことは間違いなさそうです。

新しい試みは、TANGO OPEN CENTERでも行なわれています。たとえば、反物を精練する時に洗い流される“セリシン”という生糸の成分を活用する動きです。1kgの生機を洗い流すと反物として残るのは750gですが、流れ出た成分のうち約4分の1がセリシンです。これまでは廃棄されていたセリシンの中に、高い保湿性成分が含まれていることが発見されました。その成分を化粧品に配合して活用することで、SDGsとしての意義を創出しています。
ほかにもTANGO OPEN CENTERには、地元企業の商品を集めたショップも併設されています。洋装商品、ポーチなどの小物、出産祝いにピッタリの産着・スタイなど、日常生活にも溶け込む丹後ちりめんの裾野の広さを感じました。

【Amanohashidate Terrace Coffee(ATC)】
所在地 京都府与謝郡与謝野町字岩滝1788
アクセス 京都丹後鉄道宮豊線「岩滝口駅」下車 車で約10分

丹菱株式会社の公式サイトはこちら

Amanohashidate Terrace Coffeeの公式インスタグラムはこちら

歴史を担う矜持を胸に
長く日本を代表する反物として人々の羨望を浴び、その美しさが海外でも定評を得ている丹後ちりめん。フランスの某トップブランドの’25 AWのプレタポルテで丹後ちりめんが採用されたように、その美しさは未だに海外で高く評価されています。

確かに「着物」という点で丹後ちりめんを見ると、生産量は低下しています。しかし、だからこそ丹後ちりめんの魅力や可能性が広がっていると感じました。

特に印象的だったのは、TANGO OPEN CENTERの西田さんの言葉。

TANGO OPEN CENTERの西田さん TANGO OPEN CENTERの西田さん

西田さん:丹後ちりめんを受け継ぐということは、日本の着物文化を残すということ。西陣織の先染めの生地も、多くが丹後で作られています。つまり、丹後で生産できなくなったら、着物という日本文化が失われるということ。丹後はこれからも、日本の着物文化を背負っているという矜持を持ち続けます」
 
着物という本質があるからこそ守られ続けている、丹後ちりめんというブランド。歴史があるからこそ、ATCのアパレルやTANGO OPEN CENTERのオープンファクトリーなど、新しい試みが着実に芽吹いています。伝統を守る矜持を持ちつつ、現代にフィットしたちりめんの魅力と可能性を発信し続けている丹後ちりめん。伝統を軸に、今後どのような新しいプロダクトで世間を席巻していくのか、その可能性に心が躍ります。
【本稿で紹介した構成文化財】 丹後織物工業組合加工場
ちりめん街道
旧尾藤家住宅
旧加悦町役場庁舎

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