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2025.05.12
特集
日本遺産巡り#42◆サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ
山形県南部の鶴岡市は、明治維新後、旧庄内藩士が開墾して養蚕を始めたことで国内最北限の絹産地として発展しました。百数十年を経た今もなお、養蚕から絹織物の製品化までの一貫工程を同じ地域で行うことができるのは、国内で唯一ここ鶴岡だけです。
このストーリーは「サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」として日本遺産に認定されています。歴史や伝統を大切にしながらも、常に挑戦し、新しい文化を取り入れる姿勢が息づく「シルクのまち 鶴岡」を訪れてみました。
このストーリーは「サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」として日本遺産に認定されています。歴史や伝統を大切にしながらも、常に挑戦し、新しい文化を取り入れる姿勢が息づく「シルクのまち 鶴岡」を訪れてみました。
サムライが築いた絹の街・鶴岡の歴史と松ヶ岡開墾場
鶴岡市は、明治維新後、旧庄内藩士たちが刀を鍬に持ち替えて開墾し、養蚕を始めたことで、日本最北の絹産地として発展してきました。その中心的な存在が、現在も当時の姿を残す「松ヶ岡開墾場」。絹産業の歴史や文化を深く知ることができ、伝統と革新が融合した鶴岡の魅力を体感できます。
そもそも、なぜ鶴岡で絹産業が発展してきたのか、松ヶ岡開墾場はどのようにしてできたのか。松ヶ岡産業株式会社 常務取締役の清野忠さんにお話を伺いました。清野さんは、松ヶ岡開墾場の管理や蚕飼育の展示、歴史の紹介を行っています。
そもそも、なぜ鶴岡で絹産業が発展してきたのか、松ヶ岡開墾場はどのようにしてできたのか。松ヶ岡産業株式会社 常務取締役の清野忠さんにお話を伺いました。清野さんは、松ヶ岡開墾場の管理や蚕飼育の展示、歴史の紹介を行っています。
清野さん:話は戊辰戦争までさかのぼります。庄内藩は酒井忠篤(さかい ただずみ)を藩主としており、徳川幕府側についていました。戦では連戦連勝で、幕末最強とも言われていましたが、最終的には明治新政府に降伏。
しかし、殿様が切腹を強いられることもなく、罰金70万両という寛大な措置が取られました。この背景には、西郷隆盛の指示があったと言われています。そのため、庄内藩士たちは西郷先生を深く尊敬するようになりました。
しかし、殿様が切腹を強いられることもなく、罰金70万両という寛大な措置が取られました。この背景には、西郷隆盛の指示があったと言われています。そのため、庄内藩士たちは西郷先生を深く尊敬するようになりました。
清野さん:明治3(1870)年に酒井忠篤が藩士72名を連れて鹿児島を訪れ、西郷先生に教えを請いました。翌年には、中老の菅実秀(すげ さねひで)が西郷先生と面談。その際に菅先生が生糸の生産に取り組むことを相談したところ、西郷先生はそれに賛成しました。そして、明治5(1872)年から約2年半で312ヘクタールの土地を開墾し、養蚕を始めたのです。これが、いわゆる「刀を鍬に持ち替えた」という動きです。管理事務所として使われていた松ヶ岡本陣には、開墾に関わった偉人として、現在も酒井忠篤、菅実秀、そして西郷隆盛の肖像画が掲げられています。
312ヘクタールというと、東京ドーム(4.67ヘクタール)約69個分にあたる広大な土地。藩士たちが2年半でその偉業を成し遂げた背景には、どんな思いがあったのでしょう。
清野さん:彼らは賊軍の汚名をそそいだうえで、新政府に奉仕しようという強い思いを持っていました。開墾は単なる授産事業(失業者に仕事を与えて生計を立てさせること)ではなく、自らの名誉を取り戻すための大きな使命と捉えていたようです。
当時、藩士たちは約31のグループに分かれて開墾作業を行っており、一番くじを引いたグループがもっとも難しい場所を選んで作業を行なったのだとか。この逸話からも、藩士たちの熱意が伝わってきます。そして、彼らの結束力は新政府にも注目されました。
当時、藩士たちは約31のグループに分かれて開墾作業を行っており、一番くじを引いたグループがもっとも難しい場所を選んで作業を行なったのだとか。この逸話からも、藩士たちの熱意が伝わってきます。そして、彼らの結束力は新政府にも注目されました。
清野さん: 2年半での開墾という偉業が、反対に新政府の疑念を招き、密偵が送り込まれたこともありました。しかし、その際も西郷先生が「何を言っているんだ」と庄内藩士たちをかばったと伝えられています。この深い信頼関係から、現在も鶴岡市と鹿児島市は兄弟都市として交流があります。
「徳義を本として産業を興して国家に報じ、以て天下に模範たらんとす」の言葉が残る松ヶ岡。この言葉は、大正15年に制定された「松ヶ岡開墾場綱領」に記されています。
「徳義を本として産業を興して国家に報じ、以て天下に模範たらんとす」の言葉が残る松ヶ岡。この言葉は、大正15年に制定された「松ヶ岡開墾場綱領」に記されています。
清野さん:「松ヶ岡開墾場綱領」は、開墾から約60年が経ち、開墾に関わる者の座右の銘となるように制定されました。当時、代替わりが進む中で、「賊軍の汚名をそそぐ」という強い思いが薄れつつあることが懸念されていたんです。そこで、先人たちの志を再確認するために作られました。松ヶ岡本陣には原本が掲げられ、4月7日の松ヶ岡開墾記念日には関係者全員で唱和します。今でも大事にされている言葉ですね。
現代に継承する”生きた業”の現場・松ヶ岡開墾場とは
10棟あった蚕室のうち、5棟が現存している松ヶ岡開墾場。建物は150年、瓦は鶴ヶ岡城のものを使用しており200〜300年の時を刻んでいます。どっしりとした佇まいからは、深い伝統を感じられ、訪れる人々に歴史の重みを伝えます。
現在は「MATSUGAOKA CRAFT PARK」として、開墾の歴史や養蚕文化を伝えるために各蚕室が活用されています。具体的には、1番蚕室は「松ヶ岡開墾記念館」として資料や道具を展示。3番蚕室は「おカイコさまの蔵」として、6月と9月に蚕の飼育展示を行っています。他に、シルクの製造工程を伝え、絹製品を販売する「シルクミライ館」や食事処、アートギャラリー、クラフト教室などがあります。
現在は「MATSUGAOKA CRAFT PARK」として、開墾の歴史や養蚕文化を伝えるために各蚕室が活用されています。具体的には、1番蚕室は「松ヶ岡開墾記念館」として資料や道具を展示。3番蚕室は「おカイコさまの蔵」として、6月と9月に蚕の飼育展示を行っています。他に、シルクの製造工程を伝え、絹製品を販売する「シルクミライ館」や食事処、アートギャラリー、クラフト教室などがあります。
清野さん:「おカイコさまの蔵」では、約7,500匹の蚕を育てています。3,200〜3,500匹で1反の絹織物ができると言われているので、この場にいる蚕で2反分ですね。蚕は世界最弱の虫とも言われ、とてもデリケート。そのため、養蚕農家では一般公開が難しいのですが、私たちは生産を目的としていないため可能です。実際に触れ合える機会は貴重ですよ。蚕に繭を作らせる際に使う「回転まぶし」など、古くから伝わる道具も見られます。
清野さん:松ヶ岡開墾場の蚕室は、現代の養蚕農家に比べて生産性は低いものの、その分、古くから伝わる蚕の飼育方法や蚕室の特徴、松ヶ岡の歴史を分かりやすく伝えられる。私たちや蚕室群の使命は、松ヶ岡の文化や歴史を次の世代に伝えることだと思っています。子どもたちや、他地域の方に松ヶ岡をもっと知っていただきたいですね。
【MATSUGAOKA CRAFT PARK】
所在地 | ⼭形県鶴岡市⽻⿊町松ヶ岡字松ヶ岡25,28,29 |
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MATSUGAOKA CRAFT PARKの公式サイトはこちら
1番蚕室【松ヶ岡開墾記念館】
開館時間 | 9:00~16:00 |
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休館日 | 水曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始、臨時で開館・閉館あり |
入館料 | 一般 300円(中学生以下無料) |
3番蚕室【おカイコさまの蔵】
開館期間 | 6月と9月の蚕飼育時 9:00~16:00 |
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休館日 | 飼育期間中は無休 |
松ヶ岡開墾場には、ソメイヨシノの並木道があり、春に訪問するのもおすすめ。開墾50年の記念として植樹されたもので、樹齢は約100年。開花時期は多くの人で賑わい、美しさに魅了されています。
鶴岡から世界へ。シルクの歴史と展望
蚕の繭から取り出された繊維「シルク(絹)」は、さまざまなアイテムを作るために使われます。そんなシルクの歴史や製造方法を学んだり、商品を購入したりできるのが「シルクミライ館」。松ヶ岡開墾場の4番蚕室をリノベーションしてできた施設です。
鶴岡シルクの魅力や、シルクミライ館の存在意義とは。シルクブランド「kibiso」を立ち上げ、「鶴岡シルクタウン・プロジェクト」を推進する鶴岡シルク株式会社の代表取締役、大和匡輔さんにお話を伺いました。
鶴岡シルクの魅力や、シルクミライ館の存在意義とは。シルクブランド「kibiso」を立ち上げ、「鶴岡シルクタウン・プロジェクト」を推進する鶴岡シルク株式会社の代表取締役、大和匡輔さんにお話を伺いました。
大和さん:松ヶ岡の開墾は、ブドウの房のようにさまざまな産業ができあがる「産業クラスタ」の礎となったもの。また、原料となる繭を作り、糸にして、織って、精練、染色、縫製まで、すべてのサプライチェーンが揃っているのは鶴岡しかありません。さらにシルクは、日本国内で原料の調達から製造までの全てをまかなえる唯一の繊維です。シルクミライ館は、それらの重要性を人々にリアルに伝える場所として存在しています。
シルクミライ館では、シルクの機能性や製造過程を詳しく学ぶことができます。シルクは、唯一「長繊維」と呼ばれる天然素材。1つの繭からは、1,200〜1,500mものまっすぐに繋がった糸が取れます。他にも、シルクが持つ魅力はたくさんあります。
大和さん:シルクは、その構造にも魅力があります。生糸の断面を見てみると、中心にはフィブロインというタンパク質があり、その周りをセリシンと呼ばれるタンパク質が覆っています。このセリシンを落とす工程を精練と言い、製糸工場や精練工場では石鹸を使って丁寧に処理します。そのため、シルクは人間の肌にもっとも近い素材と言われているんです。
肌触りが良いだけでなく、抗菌性や抗酸化作用を持つシルクは、現代もさまざまな場面で活用されています。
大和さん: 旅客機の客室乗務員がシルクのスカーフを身につける理由をご存じですか?それは、シルクが燃えにくいからです。機内で小さな火災が発生した際、初期消火の役割を果たせるのです。また、抗菌作用があるため、包帯代わりに使って止血することもできるんですよ。
さらに、シルク製造にはきれいな水と適度な湿度が不可欠。シルクの繊細な糸は乾燥に弱く、きれいな水がなければ精練もうまくいきません。この環境が揃う鶴岡だからこそ、世界に誇る高品質なシルクが生まれます。
大和さん: 旅客機の客室乗務員がシルクのスカーフを身につける理由をご存じですか?それは、シルクが燃えにくいからです。機内で小さな火災が発生した際、初期消火の役割を果たせるのです。また、抗菌作用があるため、包帯代わりに使って止血することもできるんですよ。
さらに、シルク製造にはきれいな水と適度な湿度が不可欠。シルクの繊細な糸は乾燥に弱く、きれいな水がなければ精練もうまくいきません。この環境が揃う鶴岡だからこそ、世界に誇る高品質なシルクが生まれます。
大和さん:鶴岡で作られる柔らかなシルクは、自然環境と職人たちの技術が掛け合わさって生まれるもの。さらに、鶴岡では「手捺染(てなっせん)」と呼ばれる手法も使います。インクジェットと異なり、生地の裏表にしっかりと色を付けることができ、高品質なスカーフができます。鶴岡この地でしか作れない「本物の」シルクや製品を、次世代にも伝えていきたいと思っています。
シルクの美しさと特性、そして鶴岡の自然環境と職人の技。この全てが揃ったからこそ、鶴岡シルクは国内外で高く評価され続けています。
副産物「きびそ」の応用
「きびそ」とは、繭から糸を取る際に最初に発生する糸。太くて硬いため、これまで活用されてきませんでした。しかし、大和さんはこの「きびそ」に新たな可能性を見出します。
大和さん:21世紀はサーキュラーエコノミー、つまり循環型社会の時代。そこで問題なのが、日々大量の洋服が捨てられていること。それを問題提起すべく「kibisoプロジェクト」は始まりました。
「きびそ」を使ったスカーフや帽子、日傘などの製品は、東京の百貨店でも販売実績があり、高い評価を受けています。
「きびそ」を使ったスカーフや帽子、日傘などの製品は、東京の百貨店でも販売実績があり、高い評価を受けています。
大和さん:「きびそ」は全体の3〜5%しか取れない希少な素材。しかし、希少価値を売りにしてブランド化するのではなく、シルク産業全体を未来へ繋げるための重要な素材して位置づけています。つまりkibisoプロジェクトの目的は、先人たちが繋いできたシルク産業を残すこと。先人たちが繋いできたことを、我々は新たな技術革新によって残す取り組みをしています。
「本物」のシルクを伝え続けているように、本物を求めていて感性の鋭い若者をバックアップしたい、と語る大和さん。シルクミライ館では、県外で活動する藍師・染師とのコラボの様子や鶴岡に本社を置き、クモの糸のような構造タンパク質素材を手がける会社「Spiber」の展示も見ることができます。さらに、市内の高校生がシルクを使って製作したウェディングドレスも展示しています。
「本物」のシルクを伝え続けているように、本物を求めていて感性の鋭い若者をバックアップしたい、と語る大和さん。シルクミライ館では、県外で活動する藍師・染師とのコラボの様子や鶴岡に本社を置き、クモの糸のような構造タンパク質素材を手がける会社「Spiber」の展示も見ることができます。さらに、市内の高校生がシルクを使って製作したウェディングドレスも展示しています。
大和さん:最近では、フランスやアメリカ、インドネシアなどからの訪問がありました。今後は観光にも力を入れ、世界中から鶴岡に訪れる人々にシルクの魅力を体験してもらいたいですね。来て、見て、触って、匂いや温度も含めて、リアルを伝えることを重要視しています。そしてここを、地元の子どもたちが自慢できる場所にすることも目標です。
4番蚕室【シルクミライ館】、【Kibisoショップ】
4番蚕室【シルクミライ館】、【Kibisoショップ】
営業時間 | 9:00~16:00 |
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休業日 | ⽔曜⽇(祝⽇の場合は翌平⽇)、12⽉29⽇〜1⽉3⽇ |
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鶴岡を訪れたら食べておきたい「シルク入り麦切り」
シルクが食べられることをご存知ですか?
鶴岡でのおすすめグルメは「シルク入り麦切り」。麦切りとは、庄内地方で昔から食べられている細打ちのうどんで、コシのある細い麺が特徴です。松ヶ岡開墾場2番蚕室の「一翠苑」では、土日祝日限定で「食べられるシルク」を練りこんだ麦切りがいただけます。コシがあり、なめらかな舌触りとのど越しが心地よい逸品。季節のおかずが3種ついて満足度も抜群です。
鶴岡でのおすすめグルメは「シルク入り麦切り」。麦切りとは、庄内地方で昔から食べられている細打ちのうどんで、コシのある細い麺が特徴です。松ヶ岡開墾場2番蚕室の「一翠苑」では、土日祝日限定で「食べられるシルク」を練りこんだ麦切りがいただけます。コシがあり、なめらかな舌触りとのど越しが心地よい逸品。季節のおかずが3種ついて満足度も抜群です。
2番蚕室【一翠苑】
営業時間 | 11:30〜13:30 |
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休業日 | 水曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始、臨時休業等あり |
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新たな文化の息吹・松ヶ岡発のワイナリー
松ヶ岡では、古き良き歴史や伝統を守りながらも、新たな産業や文化が生まれています。
その象徴の一つが、「ピノ・コッリーナ ファームガーデン&ワイナリー松ヶ岡」。松ヶ岡開墾場の隣には、月山をバックにブドウ畑が広がり、ヨーロッパを思わせる景色が堪能できます。
その象徴の一つが、「ピノ・コッリーナ ファームガーデン&ワイナリー松ヶ岡」。松ヶ岡開墾場の隣には、月山をバックにブドウ畑が広がり、ヨーロッパを思わせる景色が堪能できます。
ワイナリーや併設のレストラン・ショップを経営するのは、株式会社エルサンの代表取締役会長、早坂剛さん。早坂さんは元々、冠婚葬祭業や飲食業をメインに会社を経営しており、農業は初心者でした。そんな早坂さんが、ワイン作りを始めた経緯や想いを伺いました。
早坂さん:2014(平成26)年に鶴岡市がユネスコの食文化創造都市に認定され、イタリアとの交流が始まったのが、ワイン作りのきっかけです。ある時、ピエモンテ州ランゲ地方を訪れ、一面に広がるブドウ畑とアルプス山脈の風景に感動しました。そしてふと、松ヶ岡や月山の景色を重ねたんです。けれども当時、この地は後継者がおらず荒れていました。それではもったいない、庄内藩士の開墾精神を引き継ぐべきと思い立ち、77歳でワイン作りに挑戦し始めました。
2017年からブドウの定植を始め、毎年1,000〜1,500本ずつ増やしてきました。現在では7つの畑に9品種、全約9,600本の木が植えられ、そのうちの7割が収穫できるようになりました。
早坂さん:ブドウ栽培は、とても時間のかかるものなんです。ブドウの苗を植えてから3年間は、木の成長を優先するため、ブドウの実を収穫することができません。幹を太くするため、実ったものは未成熟のまま摘果します。そのため当初は、ブドウ不足のため思うようにワインを作ることができませんでしたが、ようやく2023年あたりから、大量にブドウが収穫できるようになりました。
早坂さん:ブドウ栽培は、とても時間のかかるものなんです。ブドウの苗を植えてから3年間は、木の成長を優先するため、ブドウの実を収穫することができません。幹を太くするため、実ったものは未成熟のまま摘果します。そのため当初は、ブドウ不足のため思うようにワインを作ることができませんでしたが、ようやく2023年あたりから、大量にブドウが収穫できるようになりました。
農業に関して、全くの素人だった早坂さん。地元の慶應義塾大学先端生命科学研究所にブドウ、山形大学農学部には土壌の解析をそれぞれお願いするなど、プロに指導を仰ぎながら、試行錯誤の連続でブドウを育ててきました。現在も、日本の土壌や気候に適した栽培方法を見つけるため、日々努力を続けています。
早坂さん:日本の土壌はヨーロッパと異なり、栄養価が高く水も豊富。そのため、ブドウの根が横に伸びてしまい、根同士が喧嘩してしまうんです。だから間引きをして、適切な間隔を保つようにしています。ブドウは生き物であり、手をかけた分だけ応えてくれます。だから今でも、毎日のように畑に通っていますよ。
手間を惜しまない精神は、ワイン作りにも反映されています。日々、酸度や糖度、pHを測定し、ちょうど良いタイミングでブドウを収穫。そのため、ブドウの状態により自分たちのスケジュールが変わることも。「冠婚葬祭業やレストラン業ではお客様ファーストですが、ワイナリーではブドウファーストです」と早坂さんは笑います。
早坂さん:海外では、機械でブドウを収穫することもありますが、当社では収穫も一房一房手摘みで行い、良いブドウだけを選別します。気が遠くなりますが、雑味のない自然な風味のワインを作るために、重要な作業です。そして、メタボローム解析(生体内に存在する代謝物質の種類や濃度を網羅的に解析する技術)を用いるなど、ブドウやワインの科学的な分析も実施。手間を惜しまず、科学技術も活用することで、本物のおいしい日本ワインを作りたいと思っています。
早坂さん:我々は自社畑で栽培したブドウを使い、ブドウの味や香りを最大限に活かすように醸造しています。安価な輸入原料を使ったワインとは全く違います。手間をかけているので、ぜひ本物の日本産ワインを試してほしいですね。
そのこだわりと努力が実を結び、ワインは国内外のコンクールで数々の賞を獲得しています。2021年には「Japan Women’s Wine Awards 2022」で最高賞である「ダブルゴールド賞」を受賞。また、2023年のG7広島サミットで「鶴岡甲州2021」と「メルロー2021」が提供されました。
早坂さん:G7で採用された国内の酒造メーカーは6社だけでした。販売できる本数は少なかったものの、大きな反響をいただきました。
早坂さん:G7で採用された国内の酒造メーカーは6社だけでした。販売できる本数は少なかったものの、大きな反響をいただきました。
ワイナリーやレストランは、松ヶ岡の新しいシンボルとなり、多くの観光客が訪れる場となりました。鶴岡では元々、日本酒文化が根付いていましたが、そこにワインを加えることで食文化をさらに盛り上げています。
早坂さん:ブドウの木は10年以上をかけて成木になり、その後、さらに質の良い実が採れるようになります。そして今、その時期は目前に迫っています。そのため、今後さらに良いワインが作れるはずです。手頃な価格で、もっと多くの人に本物の日本ワインを楽しんでいただきたいですね。
ワイナリーに隣接したレストランでは、庄内の食材を使ったランチやディナーがいただけます(ディナーは予約制)。日本産ワインと合わせて、庄内の魅力を五感で堪能してください。
【ピノ・コッリーナ ファームガーデン&ワイナリー松ヶ岡】
早坂さん:ブドウの木は10年以上をかけて成木になり、その後、さらに質の良い実が採れるようになります。そして今、その時期は目前に迫っています。そのため、今後さらに良いワインが作れるはずです。手頃な価格で、もっと多くの人に本物の日本ワインを楽しんでいただきたいですね。
ワイナリーに隣接したレストランでは、庄内の食材を使ったランチやディナーがいただけます(ディナーは予約制)。日本産ワインと合わせて、庄内の魅力を五感で堪能してください。
【ピノ・コッリーナ ファームガーデン&ワイナリー松ヶ岡】
所在地 | 山形県鶴岡市羽黒町松ケ岡字松ケ岡156-2 |
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営業時間 | 10:00~17:00(レストラン:ランチ11:00〜14:30(L.O.)、カフェ14:30〜16:00(L.O.)、ディナー予約制) |
ピノ・コッリーナ・ファームガーデン&ワイナリー松ヶ岡の公式サイトはこちら
鶴岡のシルクをより深く学び、楽しむならこちらもチェック
鶴岡の歴史や文化をもっと深く知るための施設や体験型コンテンツを紹介。ぜひ松ヶ岡開墾場とあわせて訪れてみてください。
致道博物館の「多層民家」で養蚕農家の暮らしを見学
致道博物館は、鶴岡公園の西隣に位置し、庄内藩主・酒井家の御用屋敷跡地に建てられました。展示の中でも、豪雪地帯の山村文化を象徴する「多層民家」が見られる旧渋谷家住宅が見どころ。鶴岡市田麦俣地区にあった住宅を移築・保存したもので、国の重要文化財に指定されています。
多層民家は豪雪に対応した4層構造が特徴。さらに、「兜作り」と呼ばれる、左右対称の輪郭が美しい茅葺き屋根が目を引きます。かつては2階から屋根裏部屋にかけて養蚕の作業場や収納場として利用されていました。現在も住宅内に入ることが可能。当時使われていた養蚕や生活の道具も展示されており、庄内地方の暮らしや文化を肌で感じられます。
【致道博物館】
【致道博物館】
所在地 | 山形県鶴岡市家中新町10番18号 |
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開館時間 | 9:00〜17:00(3月〜11月)※受付終了 16:30 9:00〜16:30(3月〜11月)※受付終了 16:00 |
休館日 | 水曜日 年末年始(12月28日〜1月4日) |
入館料 | 一般1,000円、高大学生 400円、小中学生 300円 |
友人や家族と謎解きにチャレンジ!
MATSUGAOKA CRAFT PARKを訪れた際にぜひチャレンジしていただきたいのが、「松ヶ岡謎解きクイズラリー」。館内各所を巡りながら松ヶ岡の歴史にまつわる謎を解き明かし、隠されたキーワードを見つける体験型のゲームです。スマホで参加可能。家族や友人と気軽に楽しんでみては。
鶴岡・松ヶ岡は、サムライたちが築いた開墾の精神が今も息づく場所。ここを旅すれば、日本の近代化を支えたシルク産業のルーツを体感し、文化や知識を深めることができます。自然と歴史を感じながら、思いっきり遊んで、学んでください。
【この記事で紹介した構成文化財】 | 松ヶ岡開墾場 松ヶ岡本陣 松ヶ岡蚕室群 旧渋谷家住宅 |
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