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#019 政宗が育んだ“伊達”な文化
観瀾亭及び障壁画
伊達家の御仮屋御殿として建てられたもので、5代藩主伊達吉村によって観瀾亭と命名された。文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が譲り受けた伏見城の1棟で、江戸の藩邸に移築したものを更に2代藩主伊達忠宗が松島月見崎に移したと伝えられている。 桁行8.5間・梁間5間、屋根は寄棟造、こけら葺。素木造で、四方に縁をめぐらした簡素明快な亭風の建築である。床の間の張付絵や襖絵は、壮麗な桃山式極彩色で描かれている。柱間1間6尺5寸の京間であること、軽快な起りを持つ屋根や壮麗な張付絵などから推して、桃山時代の建築であると考えられていたが、最近発見された御仮屋絵図により、正保ないし慶安の火災後に再興された御仮屋御殿の一部居間とみるのが妥当であろうとされている。
歌枕松島を眺望する地に、藩主が宿泊、休憩する御仮屋の御殿として建てられたもの。襖の濃絵の障壁画は桃山時代の特徴を良く表している。
【文責】 宮城県教育庁文化財課
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