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#063 「百世の安堵」
濱口梧陵碑
濱口家を継ぐ当主・勤太が、濱口梧陵と親交の深かった勝海舟に文面の作成を依頼したもので、明治25 年(1893)3月、広村堤防が望める広八幡神社の一角に建立。梧陵の遺徳を称えた文字が刻まれています。書は貴族院勅撰議員で明治の三筆と呼ばれた書家・巌谷一六が、刻字は東京の碑刻師・宮亀年が担いました。安政元年(1854)の津波に関しては、「君は他のほとりの稲むらに火をつけ、まわりを明るくし、人々はそれを頼りに逃げおおせ、死をまぬがれたのである」といった表現で紹介しています。昭和9年(1934)の梧陵没後50 年目には「濱口梧陵翁五十年祭」が碑前で執り行われました。
安政元年(1854)の津波に関しては、「君は他のほとりの稲むらに火をつけ、まわりを明るくし、人々はそれを頼りに逃げおおせ、死をまぬがれたのである」といった表現で紹介された石碑。
【文責】 広川町企画政策課
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