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#076 中世に出逢えるまち
金剛寺の建造物群
南北朝時代には、70余りの寺坊の半数が戦乱で焼かれたが、築垣に囲まれた金堂、多宝塔などの主要伽藍と鎮守社は護られた。 主要伽藍を構成する金堂、御影堂(みえいどう)、多宝塔(たほうとう)、五仏堂(ごぶつどう)、薬師堂と鎮守社は平安時代終わり12世紀に建立されたものであるが、1605年・1606年(慶長10・11)の豊臣秀頼(とよとみひでより)による伽藍修理で大幅に手が加えられた。 また、2009年(平成21)から9年間に及ぶ平成の大修理により、金堂・多宝塔・鐘楼は色鮮やかな姿を取り戻した。
中世から近世前半に建築されたものが多く、境内の景観の主要な構成要素となっている。実際に後村上天皇が政庁とした建物そのものが残っている点が特筆される。
【文責】 河内長野市教育委員会 文化財保護課
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