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#076 中世に出逢えるまち
金剛寺の彫刻群
創建当初は金堂に安置されている本尊大日如来坐像、五仏堂の五智如来坐像、多宝塔の大日如来坐像、鎮守社の神像等が造立された。鎌倉時代に入り、本尊の脇持である降三世明王坐像、不動明王坐像が造立され、金堂に密教の形式としては特殊な形式である「尊勝曼荼羅(そんしょうまんだら)」の世界が立体的にあらわされた。また、薬師堂には鎌倉時代の薬師如来立像と室町時代の十二神将像が安置されている。制作年代がわかっているものでは、摩尼院の十一面観音立像が1269年(文永6)、楼門の二天像が1279年(弘安2)に造立されている。 また、求聞持堂虚空蔵菩薩坐像(ぐもんじどうこくうぞうぼさつざぞう)は戦国時代の1550年(天文19)に奈良宿院仏所(ならしゅくいんぶっしょ)の仏師により造られた。宿院仏所は鎌倉時代の仏師とは違い、僧籍をもたない大工集団から発展した俗人仏師の集団である。また、鎮守社のご神体として神像が安置されていた。神像の中には1336年(延元元)の修理銘が残されたものが3躯ある。少し趣が違うが、この時代に流行をみた高僧・祖師像である伝阿観上人像(でんあかんしょうにんぞう)と伝阿鑁上人像(でんあばんしょうにんぞう)が残されている。その両像は1254年(建長6)の年号が入った登高座(とうこうざ)に安置されている。登高座に残された墨書から金剛寺中興五代目阿鑁上人が入定の2年前に造らせたものであることがわかる。
中世の密教彫刻が数多く伝わっており、中世に開花した文化とかつてこの地が繁栄した事を今日に伝える重要な文化財である。
【文責】 河内長野市教育委員会 文化財保護課
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