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#100 中世日本の傑作 益田を味わう
紙本著色益田兼堯像、安富家文書、周布家文書、益田藤兼書状(三月二十日/杵築別火氏宛)、吉田家文書、雪舟禅師像
室町時代の益田の領主益田兼堯(?~1485)の肖像画である。 益田兼堯は、父益田兼理が永享3年(1431)に戦死し、兄も死去していたため、幼くして家を継いだ。東の三隅氏や西の吉見氏と緊張関係にあったが、室町幕府や石見守護山名氏に忠節を尽くし、大内氏重臣陶弘護に娘を嫁がせるなどして、益田家の安泰を図った。晩年に益田に雪舟を招き、自らの肖像画を描かせるなどしたと伝わる。 本像は、折烏帽子に大紋姿で、高麗縁の上畳に座し、右手に末広扇を持ち、小刀を指す益田兼堯を描く。雪舟の印があり、衣紋線に見られる独特の跳ねが雪舟の筆癖とされ、雪舟の人物画の基準作に位置付けられている。 画面上部には益田東光寺の住持竹心周鼎による賛が記され、その年紀は文明11年(1479)11月15日である。
益田兼堯像は、中世の益田の文化の高さを示す絵画。日本を代表する芸術家・雪舟が描いた、室町時代の益田氏当主の肖像画。益田兼堯は父と兄の死により家を継ぎ、益田氏存続のため奮闘し、晩年は雪舟を招き親しく交わった。 これを所蔵する益田市立雪舟の郷記念館では、雪舟の偉業と足跡を学ぶことができる。
【文責】 益田市教育委員会文化財課
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