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#001 近世日本の教育遺産群

ひろせたんそうはか廣瀬淡窓墓

  • 記念物
  • 史跡
  • 江戸時代
  • 明治時代
  • 大分県日田市
  • 遺跡

廣瀬淡窓墓 廣瀬淡窓墓

文化財体系 記念物/史跡
年代 江戸時代
明治時代
所在地 大分県日田市
分野 遺跡

概要

 咸宜園創設者である廣瀬淡窓及び歴代塾主の墓。門下生5,000人を超える近世日本最大規模の私塾である咸宜園を創設した廣瀬淡窓は、咸宜園内の秋風庵において1856年(安政3)11月1日に75歳で逝去しました。墓所は生前から淡窓自らが選定し「長生園」と呼称しました。咸宜園から北東に約200m、豆田町の廣瀬淡窓旧宅(現・廣瀬資料館)からは南南東に約300mの場所(日田市中城町)に位置します。
 「長生園」は、淡窓の墓所として淡窓自身が整備したものですが、淡窓没後以降には淡窓の妻ナナを始めとして、弟の廣瀬旭荘(咸宜園第二代塾主)、義嗣子の廣瀬林外(咸宜園第四代塾主)、義子の廣瀬青邨(咸宜園第三代塾主)とその子濠田(咸宜園第八代塾主)など廣瀬姓を持つ咸宜園の塾主とその家族など淡窓を含む全13名の墓標が建っています。その他敷地内には、淡窓自身が生前に撰した墓誌「文玄先生之碑」を見ることができます。

ストーリーの位置づけ

廣瀬淡窓と咸宜園歴代塾主の墓。

【文責】 大分県日田市教育庁世界遺産推進室

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