特集SPECIAL CONTENTS

2023.09.19

特集

日本遺産巡り#19◆琵琶湖とその水辺景観 -祈りと暮らしの水遺産-

水と共に暮らす、琵琶湖周辺の人々 —豊かな自然の恵みから育まれた、伝統と文化から、私たちが今学ぶべきこと—

水は、私たちの日々の生活に欠かせない大切な資源の一つです。近年、世界中で環境保護やSDGsへの意識が高まっていますが、日本では古くから水を大切なものと捉えてきました。

特に、琵琶湖周辺に暮らす人々には、水に対する信仰や文化が根付いており、それらが現在まで受け継がれています。琵琶湖の水辺の風景や自然の営み、そして人々の水への感謝や想い。そうした世界に誇るべきストーリーは、「琵琶湖とその水辺景観 -祈りと暮らしの水遺産-」として日本遺産に認定されています。
日本最古、そして日本最大の「母なる琵琶湖」

日本最古の湖 琵琶湖 日本最古の湖 琵琶湖

琵琶湖は、国内最大の広さを誇る淡水湖。およそ400万年もの長い歴史を持つ、日本最古の湖でもあります。

琵琶湖の魅力は、その雄大な景観の美しさだけに限りません。近畿圏で暮らす人の生活や産業の発展に必要な水資源としての価値をはじめ、豊かな自然の恵みの中で育まれてきた多様な生態系や固有の文化を有する、まさに「母なる湖」なのです。
比叡山延暦寺と琵琶湖の深いつながり
琵琶湖周辺で暮らす人々の間には、水の恵みに対する感謝の念や、水の清らかさに精気が宿るという考えが根付いています。この信仰のもと、琵琶湖周辺の寺社では、古くから水にまつわる祭事が行われてきました。
 

比叡山延暦寺 参拝部 小林 福一さん 比叡山延暦寺 参拝部 小林 福一さん

伝教大師 最澄が約1200年前に比叡山で修行を積んだことに始まる天台宗の総本山で、日本仏教の母山といわれる比叡山延暦寺も、水との縁が深い場所です。比叡山延暦寺 参拝部 小林 福一さんは、琵琶湖と比叡山延暦寺との関係についてこう話します。

小林さん:比叡山延暦寺のご本尊は、薬師如来です。薬師瑠璃光如来とも呼ばれていますが、この呼び名には「青く輝く水の世界の教主として東方浄土に居ます」という意味が込められています。比叡山の東方には美しい水をたたえた琵琶湖があり、延暦寺は薬師浄土を観相する最適な修行場なのです。
 

 

弁慶水の水屋 弁慶水の水屋。「平清盛が熱病の際、この水で病を癒した」「最澄が験力で湧き出させた水(「独股水:とっこすい」と呼ばれることも)など、さまざまな伝説が伝えられています。提供:比叡山延暦寺

比叡山延暦寺 山王院の付近には、武蔵坊弁慶が浴身したと伝えられる「弁慶水の水屋」が建てられるなど、「水」にまつわる伝説が残る場所が存在します。

また、仏教の世界における精進料理の作法からも、水を大切にしてきた日本人の文化を知ることができると小林さんは話します。

小林さん:精進料理では、水をはじめとした自然や命を大切にする作法が今でも残っています。例えば、食事の最後にはお椀に茶を注ぎ、たくあんで食べ残しをぬぐってきれいにする「洗鉢(せんぱつ)」という作法もその一つです。比叡山に修学旅行で来た子供たちにも、そうした作法を体験してもらいながら「水一滴でも大事にしましょうね」「手を洗う時は一度水を止めましょう」とお伝えしています。みんなが水を出しっぱなしにしたら、水はすぐに枯れてしまいますからね。
 

比良八講法要 山伏たちによる採燈護摩業の様子 比良八講法要 山伏たちによる採燈護摩業の様子 提供:比叡山延暦寺

琵琶湖と水を敬う「比良八講(ひらはっこう)」

比叡山延暦寺では、年間200以上の行事を行っています。その中でも毎年3月26日に近江舞子で行われる、琵琶湖に春を告げる行事「比良八講」は、琵琶湖と縁深い行事の一つです。

小林さん:比良八講は、水を敬い、感謝をするための行事です。打見山の山頂の近くにある延法寺で、比良八講に講じる法水(天命水)を取る「お水取り(修三会:しゅさんえ)」を行います。その水を、比良三尊(観音菩薩、不動明王、毘沙門天)に供え、法華論議法要が執り行われます。近江舞子観音石像の宝前で琵琶湖への報恩と、水難者回向法要、湖上安全、湖水清浄の祈願をするんです。

最後に、小林さんは琵琶湖周辺に住む方だけでなく、日本中の方に水を大切にする意識を今一度持ってほしいと語ります。

小林さん:琵琶湖の水があれだけ豊富にあっても、自然が相手ですから、水がなくなることもあります。琵琶湖の水は、滋賀県だけでなく京阪神の1,400万人に使われていますが、琵琶湖の推移が50cm以上低くなると、取水制限を行うんです。そうなると、洗濯はできない、トイレの水は流せない、お風呂にも入れません。現代では、蛇口を捻れば出てくる水への感謝は、ややもすると忘れがちです。時には豪雨などの自然災害をもたらすこともありますが、もし水が一滴もなかったら、人間は生きていけません。畏怖の念を持ちながら、水や自然に感謝をする。日本中の方に、そういった気持ちを今一度、思い出していただきたいですね。
根本中堂(こんぽんちゅうどう) 根本中堂(こんぽんちゅうどう)
改修中の根本中堂の屋根 改修中の根本中堂の屋根
平成28年度から、比叡山延暦寺の総本堂「根本中堂(こんぽんちゅうどう)」は大改修中ですが、参拝は可能です。また、建物内では、屋根の高さまで登って修復の様子を見ることができます。
 

根本中堂完成イメージ図 提供:比叡山延暦寺 根本中堂完成イメージ図 提供:比叡山延暦寺

【天台宗総本山 比叡山延暦寺】
住所 〒520-0116 滋賀県大津市坂本本町4220
アクセス 京都駅から「比叡山ドライブバス(京阪バス・京都バス共同運行)」で延暦寺バスセンターまで約65~70分

比叡山延暦寺 公式サイトはこちら

危機を乗り越え、受け継がれる琵琶湖漁

琵琶湖の漁船 琵琶湖の漁船

琵琶湖周辺には、549名(※)の漁師がおり、伝統定置漁法「えり漁」や「沖すくい網漁」「刺し網漁」「沖曳き(ちゅうびき)網漁」などの伝統的な漁法によって、コアユやモロコ、ワカサギなどの湖魚を獲っています。

県内一の規模を誇る、琵琶湖の沖島漁協組合には、120名ほどの漁師が在籍し、漁獲高は琵琶湖全体の約4割を占めているといいます。沖島は、近江八幡市の琵琶湖沖合からおよそ1.5kmの場所に位置し、周囲6.8km、面積およそ1.51㎢の琵琶湖最大の島です。230名ほどの方が住んでおり、船を使って沖島から通勤、通学をする方もいます。

※平成30年時点 滋賀県琵琶湖環境科学研究センター 琵琶湖流域オープンデータ 漁業就業者数・従事者数より

沖島漁業協同組合 代表理事組合長 奥村 繁さん 沖島漁業協同組合 代表理事組合長 奥村 繁さん

沖島漁業協同組合 代表理事組合長 奥村 繁さんは沖島で生まれ育ち、60年間、琵琶湖の漁師として活躍してきました。漁師として、琵琶湖を長く見つめ続けてきた奥村さんは、琵琶湖の変遷について次のように語ります。

奥村さん:私は75歳になりますが、琵琶湖での漁一筋でやってきました。両親が漁業をやっていたので、中学卒業と同時にその船に乗ったんです。当時は、琵琶湖が魚で埋め尽くされるくらい、半端じゃない量の魚が獲れたんですよ。

そこから、琵琶湖の変わり様もずっと見てきましたが、1960年から90年までの間は『琵琶湖と周辺環境が激変した30年』でした。90年頃から今に至るまでは、琵琶湖をもう一度安定させ、未来につなげていくための取り組みを進めており、今やっと「少し落ち着いた状態」です。

ただ、私が15歳で漁船に乗った頃の状況とは、まだまだ比べ物になりません。当時の琵琶湖の自然は本当に豊かで、いろんな魚がわんさかいた。そういう時代だったんです。

ビワマス ビワマス

1970年代の琵琶湖の危機、水質汚染と外来種により「一時は廃業も覚悟した」

奥村さんは、汚れていく琵琶湖を見て、一時は廃業も考えたと言います。

奥村さん:琵琶湖が汚れた要因はさまざまですが、1970年代にはとんでもない状態になったんです。「琵琶湖の漁業の将来は暗い。いずれ、仕事を変えざるを得ないだろう」と考えたほどでした。

それから「琵琶湖条例」が定められ、下水道処理などの取り組みが始まります。「みんなでもう一度、綺麗な琵琶湖を取り戻そう」と燃えた時期があったんですが、壊れたものを戻すのは、そう簡単なものではありません。水質改善を目指したんですが、原因も複雑に絡まり合い思うようにいかず、「諦めざるを得ない」、そう思ったこともあります。
その後、平成元年から10年頃にかけて、人工孵化させた固有種を放流し、琵琶湖の自然の中で大きく育ててもらう取り組みを開始。ところが、それも失敗に終わったといいます。

奥村さん:ブラックバスやブルーギルといった外来魚が琵琶湖で爆発的に増えていて、せっかく放流した固有種の稚魚が、外来魚の餌になったんです。外来魚を減らし、固有種を増やすはずが、完全に逆効果となりました。

そこで、外来種の駆除に乗り出すんですが、人間の勝手な都合で生き物を駆除することに対して、法律の壁は高い。やり取りを重ね、特定外来種に定められた生き物は駆除の対象とできることになりました。平成20年頃から駆除が始まり、平成25年頃から漁に出ると外来種の水揚げ量が「徐々に減っている」という実感が出てきます。
固有種の天然孵化も増加傾向に!

そうした数々の苦難を乗り越え、徐々に琵琶湖は自然の姿を取り戻しはじめているといいます。

奥村さん:平成の終わり頃には、外来種の数は極端に減りました。一年で駆除された量は最大450tほど。当時の琵琶湖には2000tから2500tほどいたようです。それが、令和になってからは2桁になり、「これはすごい!」という感覚を覚えましたね。

現在では、琵琶湖の環境が安定し、ニゴロブナやホンモロコといったいわゆる固有種が、人工孵化だけでなく天然孵化も増え、どんどん数を増やしています。15年かかってしまいましたが、それまでは、天然孵化を目指しながらも、人工孵化しか当てにならないと思っていたから感慨深かったですね。

ニゴロブナ ニゴロブナ

琵琶湖漁師の後継者問題。まずは沖島の魅力づくりから

かつては、沖島に住むほとんどの人が漁師だったと振り返る奥村さん。琵琶湖での漁を後世に残すために、「若者たちが集まる沖島」を目指すと思いを語ります。

奥村さん:沖島には1955年頃には800人ほどが住んでいて、ほとんどが漁師でした。今では、沖島で漁師が占める割合は70%を切っています。今は正組合員が70名、魚に関わっている人が50名、正准合わせて120名。それでも、琵琶湖では最大なんです。

積極的に後継者を育てたいという、強い思いは持っていますね。まずは、若者が集まってくるような沖島をつくることが大事だと思っているんです。「沖島に行ったら何かいいことあるんですか?」と質問されたときに、ちゃんと答えられる沖島にしたいですね。
【近江八幡市沖島町】
アクセス JRびわこ線「近江八幡駅」で下車し、北口から「あかこんバス」か「近江バス」に乗車(約30分)。堀切港から「おきしま通船」に乗船で10分ほど。

滋賀県観光情報 公式サイトはこちら

自動車より船が多かった!東近江市 伊庭の美しい水辺景観

伊庭(いば)内湖 伊庭(いば)内湖

琵琶湖東岸の中央部に広がる伊庭(いば)内湖。この内湖の南岸には、中世から琵琶湖水運の要衝として栄えた水郷集落「伊庭集落」があります。

石垣の水路や、各住居から水路へ下りるための「カワト」と呼ばれる石段が残るこの集落には、風情ある美しい景観が広がり、ここで暮らす人々の生活が水とともにあったことがうかがえます。
伊庭のカワト 伊庭のカワト
左)湖辺の郷伊庭景観保存会 代表 沖 利貢さん 中)伊庭町自治会長 大西 惠三さん 右)伊庭町副自治会長 三輪 幸太郎さん 左)湖辺の郷伊庭景観保存会 代表 沖 利貢さん 中)伊庭町自治会長 大西 惠三さん 右)伊庭町副自治会長 三輪 幸太郎さん
こうした水が生んだ文化や景観を守る活動をされている、地元の3名の方にお話を伺いました。湖辺の郷伊庭景観保存会 代表 沖 利貢さんは、現在に至るまでの伊庭の変遷を話してくれました。

沖さん:昭和30年頃までは、村の中を縦横に水路が巡らされていて、「家の前に道がなくても水路がある」というほど、水路と密着した生活を送ってきました。かつては、大きな「田舟」がすれ違えるくらいの幅の水路がたくさんあったんです。カワトから川の水で洗濯をしたり、食器や野菜を洗ったり、お風呂の水を汲んだりもしていましたね。

上水道の普及や道路の拡張などによって、そうした生活が少しずつ変わっていきました。物を運ぶ交通手段も、田舟から軽トラックに変わっていったんです。何とかここの原風景、水とともに紡がれてきたこの景観を保存しながらも、地域の活性化をしたいと自治会とともにさまざまな取り組みを行っています。

田舟(たぶね) 田舟(たぶね)

伊庭地域では、明治時代には400世帯のうち380件ほどが田舟を所有していたといいます。田舟のあったかつての生活や、この場所が歴史上においても重要な拠点であったことを、自治会長 大西さんと副自治会長 三輪さんは次のように話します。

大西さん:昔、ここは農村で陸の道よりも川や水路が多かったため、田舟を使ってお米を刈り取りに行ったり、湖魚を取ってそれを生業にしたりしている人もいました。田舟は自家用車のようなものでしたね。近江八幡や大津までも船で行けるし、湖を訪ねていけばどこか旅行にも行ける。私たちも小さい時は、カワトでよく遊びました。家の軒から魚釣りもできたし、今は高級魚となった「モロコ」もたくさん釣れましたよ。
 

カワトの景観 カワトの景観

三輪さん:ここから船に乗れば、琵琶湖にもすぐに行けます。鎌倉時代以前からこの伊庭の地は、重要な場所だったのではないかと思いますね。多くの水路があることに加え、織田信長と関わりのある妙金剛寺など、伊庭には多くのお寺もあります。それらを作ることは、かなり豊かでないとできなかったでしょうし、水に対する信仰がないと、このようなかたちとして残っていなかったかもしれませんね。
琵琶湖を通じて環境について考える、エコツーリズムのススメ
伊庭の水路や川、カワトを含めた景観を残していくために、地元の方たちは積極的な取り組みを始めていると言います。

沖さん:土地改良や土壌整備などで、ほとんどの川が埋められるところだったのですが、地元の有志の方で「何とか残してほしい」と働きかけました。メインの伊庭川は川幅が半分になってしまいましたが、何とか石垣も残しながら現在に至っています。川を大切にする取り組みとして、年に一度、住民総出で「大川ざらえ」を行っています。川筋ボランティア景観保存会でも、定期的に草刈りや掃除をして、何とか川を守っていこうとしているところです。
 

伊庭の水路には鯉が泳いでいるエリアも 伊庭の水路には鯉が泳いでいるエリアも

沖さん:川に鯉を泳がすと水を綺麗にしてくれるんですが、今まで飛んでいた蛍がいなくなってしまった。幼虫やカワニナを食べてしまったんですね。そこで、「こちらから先には鯉がいかないように」とゾーンを分けました。今では、蛍ゾーンでは6月の上旬くらいから、蛍をたくさん見られます。

伊庭川 伊庭川

滋賀県では、琵琶湖を深く理解し、水をはじめとした自然の重要性を学ぶためのエコツーリズムを推進しています。自然の恵み豊かなこの地で、遊びや癒しだけではなく、気付きや学びを得られる新しい旅を、体感してみてはいかがでしょうか。
【水郷の里 伊庭町】
住所 東近江市伊庭町2015(伊庭町自治会館事務所)
アクセス JR琵琶湖線「能登川駅」下車、徒歩30分ほど。

伊庭の水辺景 公式サイトはこちら

【本稿で紹介した構成文化財】 延暦寺
沖島
伊庭の水辺景観
琵琶湖の伝統漁法と食文化

ストーリーページはこちら

ページの先頭に戻る