琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産-STORY #008

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白髭神社 白髭神社 白髭神社
比叡山延暦寺(根本中堂) 比叡山延暦寺(根本中堂) 比叡山延暦寺(根本中堂)
近江八幡の水郷 近江八幡の水郷 近江八幡の水郷
五個荘金堂 五個荘金堂 五個荘金堂
玄宮楽々園 玄宮楽々園 玄宮楽々園
オイサデ漁 オイサデ漁 オイサデ漁

ストーリーSTORY

穢れを除き、病を癒すものとして祀られてきた水。
仏教の普及とともに東方にあっては、
瑠璃色に輝く「水の浄土」の教主・
薬師如来が広く信仰されてきた。
琵琶湖では、「水の浄土」を臨んで
多くの寺社が建立され、
今日も多くの人々を惹きつけている。
また、くらしには、山から水を引いた古式水道や
湧き水を使いながら汚さないルールが伝わっている。
湖辺の集落や湖中の島では、
米と魚を活用した鮒ずしなどの独自の食文化や
エリなどの漁法が育まれた。
多くの生き物を育む水郷や水辺の景観は、
芸術や庭園に取り上げられてきたが、
近年では、水と人の営みが調和した文化的景観として、
多くの現代人をひきつけている。
ここには、日本人の高度な
「水の文化」の歴史が集積されている。

琵琶湖とその水辺景観

水は、日本人にとって単なる資源ではなく、精神に深くかかわる特別な存在である。人々は、水を敬い、水を巧みに生活の中に取り込むことで、日本ならではの「和のくらしや祈りの姿」を築いてきたのである。滋賀県は、近江盆地の中央に「琵琶湖」を有し、周辺の山麓に降った雨が河川をつたって流れ込む水の豊富な地域であり、和のくらしと祈りを映す「水の文化」が各地で生まれ育って、今日に伝わっている。

水とくらしの文化

カバタで野菜を洗う カバタで野菜を洗う

水は、人々のくらしに巧みに利用されている。琵琶湖の西部にある高島市では、遠く離れた山麓から湧き出る水を、竹筒でつなぎ、要所・要所にサイフォンの原理を利用した溜め枡をつくり、各家に配分する古式水道が江戸時代に作られ、現在も多くの労力を費やして維持し利用されている。
また、平地では、自噴する湧き水を「カバタ」とよばれる特徴的な洗い場(台所)を使って、飲み水用、炊事用、洗濯用に使い分け、最後は鯉を飼って残飯を処理させるという謙虚で豊かな水利用の知恵をみることができる。さらに、琵琶湖の西岸の集落では、琵琶湖の風波から集落を守るために築かれた石垣や、琵琶湖の中に設置された橋板で洗い物をする姿が見られ、街道沿いに残る建造物群とともに、この地域独自の景観を生み出している。
琵琶湖の周りには、かつては内湖が沢山あった。多くが干拓事業などで農地に変わったが、近江八幡市には現在残された最大の内湖「西の湖」があり、漁業やヨシ産業などが今も営まれ、生物と人が共生する中で、秋のヨシ刈りや早春のヨシ焼きなどにより景観の維持と再生が繰り返されている。また、近くの伊庭内湖に接する伊庭集落では、水路が集落内を縦横に巡り、内湖での漁労や水田への往復に舟が日常的に利用されていた時代を髣髴とさせる。各家には水路で水仕事をするために設けられた階段である「カワト」が多く残されている。奥琵琶の急峻な湖岸地形に形成された独自の集落構造を示す菅浦では、中世の「惣」に遡る強固な共同体によって維持されてきた水辺の暮らしが今も息づいている。また、琵琶湖や周辺の内湖に囲まれた環境により、城の堀や内湖が水上交通や城下町などへの物資の運搬に活用された。彦根城とその周辺には堀が船着場などの遺構が残されるなど、景観は現在にも引き継がれており、市民のくらしの景観の一部となっている。
水は、美しい水辺の景観で人々を癒すだけでなく、石山寺に参詣した紫式部が十五夜の月が琵琶湖に映える姿を見て「もののあわれ」を主題とする物語に着想したと伝わるように、琵琶湖と水が持つ神秘的な力を現す景観として、芸術的な空間としての景観として、心像を現す景観として、優れた芸術を生み出す材料にもなった。彦根市の湖岸に形作られた庭園では、湧水や湖水を巧みに操り、小島の岩間からの滝の仕立てや、湖面の変化を活かした州浜を取り込み、石組みと水とで抽象性の高い芸術空間が作りだされている。
水と祈りの文化
人々は、水の恵みに感謝の念を抱き、水の清らかさに精気が宿ると信じ、洪水や日照りをおそれ、水を神とうやまい祭事を行ってきた。

米原市では、清らかな水の湧き出る醒ヶ井宿に、ヤマトタケルが毒矢で負傷した熱を醒ましたとの伝説をもつ「居醒泉」(いざめのいずみ)がある。また、干ばつに弱い扇状地一帯では雨乞いの太鼓踊りが今も行われている。高島市では、材木を安曇川に流し京都に運んだ筏乗り達を川の魔物から守るシゴブチ神社が川沿いに点々と建てられている。

大津市にある比叡山延暦寺は、平安初期に最澄が開いたが、その本尊は、仏教世界の東方にあって瑠璃色に輝く「水の浄土」(東方浄土)の教主である薬師如来とされた。比叡山から東方を見ると、眼下に瑠璃色に輝く広大な琵琶湖の全体が望ならず、天台薬師の池ぞかし」(梁塵秘抄)と歌い、仏の理想郷と讃えた。そして「水の浄土」を取り巻いて、薬師如来像や観音菩薩像などを奉る天台寺院や神仏習合した神社が数多く建立され、今も病や禍からの救済を求める多くの人々の崇敬を集めている。

霊峰・比叡山の山麓には、天台三総本山(比叡山延暦寺・三井寺・西教寺)や、全国三千社の末社をもつ山王総本宮などが鎮座し、歴代の天皇の産湯に供したと伝わる霊泉が祀られ、神輿が湖上に繰り出す祭祀が今に引き継がれている。また、高島市や近江八幡市、大津市の琵琶湖に面した山地に造営された社寺では、湖中に建つ朱の大鳥居や、湖岸に張り出す竿先から水に飛込む荒行や琵琶湖を模した庭園など水と祈りが結びついた独自の景観や行いを見ることができる。

水神として浅井姫命を祀る竹生島は、観音と弁財天信仰の島として広く信仰を集めており、琵琶湖に浮かぶパワースポットの島として内外に知られ多くの人が訪れている。

左:延暦寺根本中堂/右:伊崎寺 左:延暦寺根本中堂/右:伊崎寺

水と食文化
人々のくらしと祈りの姿を育んだ「水」は、地域ならではの独自の生業や食文化も育んできた。琵琶湖岸や川の河口では、春に接岸したコアユを生きたまま捕獲するため鳥の羽をつけた竿で網に追い込む「オイサデ漁」が風物詩になっている。河口に扇形に簾を張る「ヤナ」や湖岸に矢印型に網を張る「エリ」などの魚の習性を知り尽くした漁法は、独自の景観として琵琶湖の魅力の一つにもなっている。

また、琵琶湖の湖魚は人々の食を支え、伝統的な郷土食が伝承されてきた。琵琶湖の固有種であるイサザやホンモロコ、ビワマスなどを使った伝統料理は今も味わうことができる。「鮒ずし」をはじめとした湖魚のナレズシは、産卵期に大量に川を遡上した魚を1年以上保存する知恵の結晶であり、豊穣を願う祭りや伝統行事にも深く関わっている。

滋賀では、水を巧みに生活に活用するとともに、水を敬い、畏れ、水の浄土に救いと安らぎを求めてきた日本人の「水の文化」が脈々と息づき、今も持続し続けている。それは、白洲正子、井上靖、司馬遼太郎などを魅了した日本の原風景の一部である。水と人との関わりが遠くなってしまった現代日本にあって、「水の国」滋賀は、水との関わりと豊かな心情を回復できる貴重な場所である。

左:オイサデ漁/中:ヤナ漁/右:エリ漁 左:オイサデ漁/中:ヤナ漁/右:エリ漁

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