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2023.11.08

特集

日本遺産巡り#22◆古代日本の「西の都」
~東アジアとの交流拠点~

「古(いにしえ)の都」と聞くと、「京都」をイメージする方も多いかもしれません。しかし、京都からはるか離れた九州の地にも、かつて「西の都」と呼ばれる場所がありました。現在の福岡県太宰府市を中心とした筑紫の地は、飛鳥時代から奈良時代に向かい東アジアとの外交・軍事拠点として徐々に発展。大宰府政庁が完成した奈良時代の初めには、奈良の平城京に次ぐ国内で2番目の都になりました。

歴史ある筑紫の地には、今でも古代に築かれた山城や奈良時代に造られた大宰府政庁などの史跡が残っています。日本遺産に認定されている「西の都」の歴史と見どころについて、福岡県教育庁 教育総務部 文化財保護課の下原 幸裕さんに案内をしていただきました。
 

福岡県教育庁 教育総務部 文化財保護課 下原 幸裕(しもはら ゆきひろ)さん 福岡県教育庁 教育総務部 文化財保護課 下原 幸裕(しもはら ゆきひろ)さん

大野城跡で太宰府周辺の街と山々を一望する

標高410mの四天王寺山に築かれた日本最古の山城であり、日本書紀にも登場する「大野城」。かつての筑紫の地における防衛拠点だった大野城跡からは、現在も太宰府のまちが一望できます。

下原さん:大野城跡からは、かつて「西の都」があった、太宰府とその周辺のまちを見渡せます。ここは開放的な空間で、空気もキレイなこともあり、人気のトレッキングスポットにもなっていて、休日には地元の人で賑わいを見せるんです。
 

パノラマで太宰府周辺のまちを見渡せる大野城跡 パノラマで太宰府周辺のまちを見渡せる大野城跡

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太宰府と大宰府の違い
太宰府と大宰府はどちらも「だざいふ」と読みますが、「太」と「大」のどちらを用いるかによって、意味合いが異なります。

太宰府:地名、都市の名称
大宰府:古代の役所


太宰府は地名、都市の名称として使われる一方で、大宰府は西の都の中心であった古代の役所を指します。
 
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歴史上重要な防衛拠点となった大野城
かつて大陸からの進攻を防ぐための重要な防衛拠点だった大野城跡では、尾根に沿った山道を歩きながら古代の山城の跡をじっくりと鑑賞できます。

下原さん:山道の横に急な斜面が続いている部分がありますが、そこが城の城壁が築かれた場所です。城壁といっても、江戸時代のお城のようにきれいな石垣が築かれたわけではありません。土を盛ることで急斜面の「壁」を造り、敵の侵入を防ぐ「土塁」が築かれました。この土塁は、山の尾根に沿って設置されています。山道を歩いていると気付きにくいのですが、よく見ると規則的な角度の傾斜をしているんですよ。
 

山道の尾根沿いにはかつて土塁が築かれていました。 山道の尾根沿いにはかつて土塁が築かれていました。

また、大野城では、山城として筑紫の地を守っていた形跡が随所に見られるといいます。

下原さん:大野城跡では、有事を想定して食料を備蓄していた高床式倉庫も見つかっています。大きな門を設置していた跡や、石を積み重ねてできた城門などがあることからも、この城が重要な防衛拠点であったことがうかがえます。このような古代の城を造る技術は、朝鮮半島から伝わったものです。古くから九州の地では、大陸との交流が活発だったことがよくわかりますよね。
 

食料や武器を保管するために建てられた高床式倉庫の跡地 食料や武器を保管するために建てられた高床式倉庫の跡地

石を積んでできた城門近くの城壁(百間石垣)の長さは、180mに及びます。 石を積んでできた城門近くの城壁(百間石垣)の長さは、180mに及びます。

【大野城跡(四王寺県民の森)】
住所 〒811-2105 福岡県糟屋郡宇美町大字四王寺207
アクセス 西鉄太宰府駅から徒歩約70分、JR九州 香椎線「宇美駅」から徒歩約80分。西鉄バス「県民の森入口バス停」から徒歩約60分。

大野城跡(四王寺県民の森)の情報はこちら

古の山城の跡地をめぐる
大陸の脅威に備えて筑紫の地に造られた城は、大野城だけではありません。福岡の地をぐるりと囲む山々にも、多くの城が築かれました。現在の福岡県と佐賀県の県境にある基肄城(きいじょう)もその一つです。

下原さん:基肄城は、大野城と並ぶ日本最古の山城です。大野城と同じように山の上に建てられたお城なので、天気がいい時には有明海や長崎県の島原・雲仙までの景色を見渡すことができます。奈良時代には、「万葉集」にも出てくる歌人の大伴旅人らがここを登って詠んだ和歌も残っていて、交流の場として楽しまれた山でもあったようです。
 

大野城と並び日本最古の山城である基肄城。 大野城と並び日本最古の山城である基肄城。大伴旅人が妻を亡くした際、この城を訪れて詠んだ「橘の 花散る里の 霍公鳥 片恋しつつ 鳴く日しぞ多き」の一句は、万葉集第八巻に収録されています。

【基肄城跡】
住所 〒841-0204 佐賀県三養基郡基山町宮浦2166-1
アクセス JR九州 鹿児島本線/甘木鉄道甘木線「基山駅」から徒歩約1時間20分。

基肄城跡の情報はこちら

季節の花々が満開。防衛拠点となった水城跡
筑紫の地では、山々だけでなく平野にも「水城(みずき)」と呼ばれる城が築かれました。現存する水城跡は、歴史好きの間で愛される、隠れた観光名所となっています。

下原さん:水城跡では、季節ごとに菜の花や桜、コスモスなどの季節の花が楽しめるんです。1.2km続く土塁の上に桜の花が咲くので、とても眺めがよく癒されますよ。実は、この土塁にも歴史があります。この1.2kmの直線状の土塁は、かつて、海の向こうから攻めてくる敵を平野で防ぐために築かれたもので、外濠も築かれました。外濠には水が貯められていて、「水城」という名前の由来になったことが『日本書紀』に記されています。スマートフォンからホームページの映像ギャラリーに入っていくと、当時の様子を再現したVRが見られますので、訪れた際にはぜひ現代と古代の2つの時代を比較して楽しんでいただきたいですね。

1.2kmの直線的な土塁の跡地では、季節の花々が楽しめます。 1.2kmの直線的な土塁の跡地では、季節の花々が楽しめます。

水城跡にある「水城館」では、水城跡の出土品を見ることができます。 水城跡にある「水城館」では、水城跡の出土品を見ることができます。

水城館に展示されている「水城」の文字が入った器の蓋 水城館に展示されている「水城」の文字が入った器の蓋

【水城館、水城跡】
住所 〒818-0132 福岡県太宰府市国分二丁目17-10
アクセス JR九州 鹿児島本線「二日市駅」から車で約15分

水城館、水城跡の情報はこちら

大宰府政庁跡で西の都の成り立ちと発展を学ぶ

古くから防衛の地として発展してきた筑紫の地。7世紀になると、政治の拠点としても重要な土地となります。8世紀に入ると大宰府政庁の建設が開始され、徐々に「西の都」としての姿を現し始めるのです。

開放的な風景を楽しめる大宰府政庁跡で、「西の都」として栄えた大宰府政庁の成り立ちについてうかがいました。
 

大宰府政庁を案内する下原さん 大宰府政庁を案内する下原さん

下原さん:大宰府の役所は7世紀末頃から存在していたようですが、本格的な役所として整えられたのは8世紀初頭です。唐の長安や平城京にならって、南側に役所の入口となる朱雀門が設けられ、北側に大宰府の長官たちが執務する重要な役所、政庁が建てられました。

大宰府の都では、外国使節を迎える儀礼も行われていて、海外と文化交流する上で非常に重要な土地でした。そのため、海外とのやり取りができる京でキャリアを積んだエリートが大宰府の長官になっていたんです。
 

現在の大宰府政庁跡。かつてはこの広大な土地に高さ10mを超える正殿や門などが建てられました。 現在の大宰府政庁跡。かつてはこの広大な土地に高さ10mを超える正殿や門などが建てられました。

下原さん:現在、建物は失われていますが、建築の基礎として使用された礎石は残っています。残された大きな礎石からは、立派な建物がたくさん建てられていたことがわかり、「京の都に並ぶ西の都だったんだろうな」と、きっと想像できるはずです。

大宰府政庁の正殿の跡では、柱が建てられた平安時代の大きな礎石を見ることができます。 大宰府政庁の正殿の跡では、柱が建てられた平安時代の大きな礎石を見ることができます。

【大宰府政庁】
住所 〒818-0101 福岡県太宰府市観世音寺4丁目6-1
アクセス 西鉄「都府楼前駅」下車、徒歩約15分

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大宰府展示館で当時の都の様子を鑑賞する
大宰府政庁跡の敷地内にある大宰府展示館では、都の当時の様子や、太宰府市で発掘された出土品を鑑賞できます。
 

大宰府政庁の歴史をたどれる大宰府展示館 大宰府政庁の歴史をたどれる大宰府展示館

ジオラマによって再現された大宰府政庁の姿 ジオラマによって再現された大宰府政庁の姿

大宰府展示館には、新元号「令和」の由来にもなった「梅花の宴」のジオラマも展示されています。アジアからの観光客も、博多人形で再現された風情のある「梅花の宴」の展示を見るために、ここを訪れるそうです。
 

博多人形で再現された「梅花の宴」の模型(山村 延燁作) 博多人形で再現された「梅花の宴」の模型(山村 延燁作)

【大宰府展示館】
住所 〒818-0101 福岡県太宰府市観世音寺四丁目6番1号
アクセス JR九州 鹿児島本線「二日市駅」から車で10分

大宰府展示館の情報はこちら

日本の三戒壇(さんかいだん)のひとつ、「観世音寺 戒壇院」

京に次ぐ都として発展した大宰府では、政治だけではなく、仏教文化も発展。鑑真、空海、最澄など、日本仏教の祖と呼ばれる数々の高僧が太宰府の地を訪れました。彼らの目的地は、九州のお寺で一番の地位にあった観世音寺と戒壇院です。

下原さん:観世音寺は、天智天皇の母親である斉明天皇を供養するために、80年ほどの年月をかけて造ったお寺です。観世音寺のすぐ隣にある戒壇院では、正式なお坊さんになるための試験や儀式が行われました。もともとお坊さんになる試験は奈良の東大寺で行われていたのですが、九州に住む人は奈良まで訪れるのが大変なので、戒壇院で試験が行われるようになったんです。九州でお坊さんになるために、たくさんの人が戒壇院を訪れるようになり、大宰府は仏教の地としても栄えました。

観世音寺境内。左手にある建物が金堂、右手にある建物は講堂です。 観世音寺境内。左手にある建物が金堂、右手にある建物は講堂です。

観世音寺の境内には、かつて建てられた五重の塔の基礎(塔心礎)が残っています。

観世音寺の宝蔵で仏像の大きさに圧倒される
九州トップのお寺であった観世音寺では、仏教美術も盛んでした。その時代に作られた仏像の一部は観世音寺の宝蔵に保管され、今でも鑑賞できます。

下原さん:観世音寺の宝蔵では、立った姿で約4.8mの高さがある仏像を3体見ることができます。仏様の背丈は1丈6尺(約4.8m)と言われているのですが、その背丈を再現しているのです。自分達よりはるかに身長の高い仏様を観ていると圧倒されますよね。ここで見られる仏像は鎌倉時代に作られたものですが、中には平安時代に作られたものもあります。火災などを乗り越えて、現代に残った貴重な文化財となっています。
 

高さ4.8mの3体の仏様が並ぶ光景は圧巻です。 高さ4.8mの3体の仏様が並ぶ光景は圧巻です。

座った仏像も数多く残っています。 座った仏像も数多く残っています。

【戒壇院】
住所 〒818-0101 福岡県太宰府市観世音寺五丁目7番10号
アクセス 西鉄太宰府線「太宰府駅」 下車後 徒歩約20分

戒壇院の情報はこちら

太宰府天満宮で菅原道真をめぐる伝説の数々に触れる

大宰府は、平安時代になると「西の都」としてさらに発展を遂げます。10世紀初めには、貴族の菅原道真が京の政治闘争に敗れて太宰府の地へ左遷。その後、無念の死を遂げた道真を祀るために造られた神仏習合のお寺が、太宰府天満宮の始まりです。

下原さん:菅原道真は、京から大宰府に左遷された2年後に亡くなります。道真の遺体を牛車が運んでいると、ある場所で牛が止まります。道真が「ここに埋葬して欲しい」という思いを伝えていると思った従者は、牛が止まった場所にお墓と安楽寺という寺を作りました。

その後、京都で疫病や異常気象などが起こり、「道真の祟り」と恐れられ、道真の怒りを沈めるために、道真のお墓のある場所に安楽寺天満宮が建てられました。これが、太宰府天満宮の始まりと言われています。その後、明治時代の廃仏毀釈の困難を乗り越え、太宰府天満宮は現代でも学問の神様として多くの信仰を集めています。
 

太宰府天満宮の楼門前。人の流れが途切れることがないほどの人気スポットとなっています。 太宰府天満宮の楼門前。人の流れが途切れることがないほどの人気スポットとなっています。

また、太宰府天満宮では、飛梅伝説が語り継がれています。飛梅伝説とは、京から大宰府へ左遷された道真との別れを惜しんだ梅の木が、空を飛んで太宰府の地に降り立ったという言い伝えです。この伝説に登場する樹齢1000年を超えるともいわれる神木は「飛梅」と名付けられ、今も太宰府天満宮境内で鑑賞できます。
 

境内の梅の中で最も早く花を咲かせる飛梅。例年2月上旬から中旬にかけて満開になります。 境内の梅の中で最も早く花を咲かせる飛梅。例年2月上旬から中旬にかけて満開になります。

【太宰府天満宮】
住所 〒818-0195 福岡県太宰府市宰府4丁目7-1
アクセス 西鉄太宰府線「太宰府駅」 下車後 徒歩約5分

太宰府天満宮の公式サイトはこちら

九州国立博物館で西の都ゆかりの展示物を鑑賞する

太宰府天満宮のすぐ隣に建つ九州国立博物館は、国内で4番目に設立された国立博物館です。館内では、アジア諸地域との文化交流の歴史を中心に、1800点以上もの展示が鑑賞できます。筑紫の地とゆかりのある展示物も多く、西の都の歴史をたどる旅には欠かせない場所です。

九州国立博物館 九州国立博物館

常設展では、観世音寺に残された日本最古の鐘である「梵鐘」や、大陸との交流で日本に持ち込まれた美しい工芸品なども間近で見ることができます。(常設展の内容は変わることがあります)
 

観世音寺に残された日本最古の鐘「梵鐘」 観世音寺に残された日本最古の鐘「梵鐘」

復元された美しい模様の琵琶袋 復元された美しい模様の琵琶袋

緑色・褐色・白色の3色で彩取られた唐三彩の焼き物(復元品) 緑色・褐色・白色の3色で彩取られた唐三彩の焼き物(復元品)

【九州国立博物館】
住所 〒818-0118 福岡県太宰府市石坂4-7-2
アクセス 西鉄太宰府線「太宰府駅」 下車後 徒歩約10分

九州国立博物館の公式サイトはこちら

かつて国際都市として繁栄した歴史のある「西の都」大宰府。最先端の学問と文化を求める多くの人々がこの地に集まりました。当時の町並みと賑わいに思いをめぐらせながら、史跡をめぐるのはいかがでしょうか。
 
【本稿で紹介した構成文化財】 大宰府跡
大野城跡
水城跡
観世音寺・戒壇院
梵鐘(観世音寺)
太宰府天満宮
大宰府条坊跡
大宰府の梅
基肄城跡

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