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2024.01.29

特集

日本遺産巡り#27◆木曽路はすべて山の中 ~山を守り 山に生きる~

木曽谷は江戸時代から「サステナブル」だった!
いまに残る産業とそのヒミツに迫る

木曽谷 木曽谷

「木曽路はすべて山の中」。

島崎藤村が描いた小説『夜明け前』は、このような書き出しから始まります。

藤村の故郷、そして小説の舞台でもある信州木曽は、名木ヒノキの産地として古くから林業が盛んな地域。しかし江戸時代初期の森林資源枯渇に伴い、厳しい保護政策が始まると、尾張藩の管理により御用材として伐り出される一方で、領民は木を自由に伐って生計を立てることができなくなりました。そこで新しい地場産業を興すことで街や暮らしを発展させてきたのです。

やがて全国に広まった工芸品や木曽馬の飼育などの産業は、現代にも様々な製品や体験として残り、木曽谷の魅力として輝き続けています。

現代における「サステナブル」の先駆けともいえる物語は「木曽路はすべて山の中〜山を守り 山に生きる~」として日本遺産に認定されています。木曽谷の人々が山や森とどう向き合ってきたのか。そのヒミツを紐解きます。

「山」と「木」と共にある木曽の歴史

御嶽山と木曽駒ヶ岳、2つの高山に抱かれ、急峻な地形が多い木曽谷。森には高品質な木曽五木(ヒノキ、サワラ、ネズコ、コウヤマキ、アスナロ)が生息し、中世から近世、近代を通して林業のまちとして発展してきました。実は、現代でも愛知県の名古屋城本丸御殿や三重県の伊勢神宮、東京都の湯島天神などにも木曽谷の木材が活用されています。

木曽では独自の伐木・運材の技術が発展していた 「木曽式伐木運材図会」より 所蔵:中部森林管理局

この地で暮らす住民は古来から、生活道具や薪、住宅建築に使う木材を近くの山から採り、里山では草を刈って利用したり、山を焼いて農業を行ったりと、山や木と密接に関わりながら生活をしていました。

旧帝室林野局木曽支局庁舎 旧帝室林野局木曽支局庁舎

木曽町福島の高台にそびえる「旧帝室林野局木曽支局庁舎(以下:御料館)」は、現・林野庁の前身である帝室林野局が1927(昭和2)年に建てた施設。木曽山の大部分が1889(明治22)年から御料林(皇室所有の森林)となり、そして1947(昭和22)年からは国有林に移管されたことで、戦後も森林の育成や木材の安全供給を支える事務所として使用されてきました。

現在は、木曽町有形文化財建造物のほか、日本森林学会の林業遺産にも選定されている御料館。現代まで大切に保管されてきた理由や、町との関係について、木曽町教育委員会生涯学習課の学芸員である伊藤幸穂さんにお話をお伺いしました。

木曽町教育委員会生涯学習課 学芸員 伊藤幸穂さん 木曽町教育委員会生涯学習課 学芸員 伊藤幸穂さん

伊藤さん:庁舎は、2004(平成16)年に施設が閉鎖されるまで、長く森林管理の拠点としての役割を担ってきました。約80年もの間、大切に使われてきたのは、旧宮内庁内匠寮により、約半年という工期にも関わらず丁寧かつ強固に建てられた優れた建築だからこそ。そのため、現在も文化財として大切に維持され、木曽林業の歴史・文化の発信を行う場や、住民の集会を行う場として活用されています。

伊藤さん:そして御料館は、木曽町の人々にとってこの町のシンボルのような存在でもあります。大きく、白とグリーンの清潔感あふれる外観は、近くを走る電車の窓からも見えるため、この地域を離れた人が帰省すると「地元に帰ってきた」と感じるそうです。

建設当時、最先端だったアール・デコ様式の意匠が散りばめられているのも、御料館の見どころの一つ。施設内に足を踏み入れると、皇室施設としての格式高さを醸しつつも、どこか柔らかく、モダンなデザインに心惹かれます。
施設の閉鎖後はしばらく空き家になっていましたが、元職員らを中心に民間からも「大切に保存したい」と署名活動が起こったそうです。このエピソードからも、御料館がいかに古くから木曽町の人々と共にあり、世代を問わず愛されている施設であるのかがうかがえます。

木曽谷模型 木曽谷模型

御料館に展示されている林野行政の史料の中でも、ぜひ見ておきたいのが「木曽谷模型」。なんと、このジオラマの素材はプラスチックではなく天然の木曽ヒノキ!5畳もの大きさで、39ものパーツが結合してできています。
 
伊藤さん:この模型は、明治初期の木曽地域全体を表現したものです。内務省山林局の依頼により地元の児野嘉左衛門が制作し、1880(明治13)年に東京・上野で開かれた第2回内国勧業博覧会の農業部門の参考品として展示されました。その後は伊勢神宮に移管され、木曽町に戻ってきたのは1992(平成2)年。110年近い時を経て里帰りした後、現在は木曽町の有形文化財にも指定されています。
 

 
さらに、この模型は、島崎藤村ともつながりがあるそう。

伊藤さん:藤村が父親のすすめで勉学のために上京したのは明治14年、彼が9歳の頃です。これは、木曽谷模型が上野に出品されたのと同じ年。藤村がこの模型を見たかどうかはっきりとは分かりませんが、藤村が少年の頃、歩いて上京した時に見ていた木曽の原風景にも似た姿が、この模型に残されているのではないでしょうか。

模型で表現されているのは、近代化が進む前の木曽。「木曽路はすべて山の中」と書いた藤村が思い浮かべていた景色を追体験できるのも、木曽谷模型の楽しみ方の一つです。

【旧帝室林野局木曽支局庁舎(御料館)へのアクセス】
電車・バス JR木曽福島駅からバス(木曽駒高原線・大原上方面)関町から徒歩約8分

旧帝室林野局木曽支局庁舎(御料館)についてはこちら

産業振興のキーパーソン「木曽代官・山村氏」の功績とは?

尾張藩によって厳しい森林保護政策が実施された木曽。そこで起こった産業振興のカギを握ったのが、代官に任命されていた山村良候(たかとき)を初代とする山村家です。山村家の歴史や、その功績はどのようなものだったのでしょうか。木曽町教育委員会生涯学習課 主査 牛丸景太さんに伺いました。

木曽町教育委員会生涯学習課 主査 牛丸景太さん 木曽町教育委員会生涯学習課 主査 牛丸景太さん

牛丸さん:現在「山村代官屋敷」として残っているのは下屋敷のほんの一部ですが、元々は広大な土地に陣屋が広がり、大小30棟の屋敷が軒を連ねていました。山村家は、尾張藩の家臣として木曽の政治を担当しつつ、幕府の家臣として福島関所を守るという、二重の格式を持った家であるのが特徴です。

木曽の人々が地場産業を発展させられたのは、初代・山村良候が徳川家康と交わしたやりとりが関係していたとも考えられるそう。

牛丸さん:寒冷で農作物が育ちにくい木曽の土地を案じ、家康は山村氏に対して木曽の山から年間6,000駄(1駄は馬1頭が運ぶ荷物の量)の御免白木(使用が許可された木材)を授けようとしました。しかし良候は、百姓の生活苦を鑑み「それは百姓に授けてください」と遠慮したそうです。すると、実直な良候に感心した家康は、木曽の住民と山村家のそれぞれに白木を支給するお墨付きを与えたと伝わっています。
 

牛丸さん:その後の森林保護政策の中でも、住民が使える檜物細工用の原材料は確保され、工芸品作りを続けられました。それは、かつて良候が天下人の家康から確保したお墨付きのおかげだったともいえるかもしれません。

270年もの間、木曽を統治し続けた山村家ですが、文化や学問を木曽に持ち込んだ功績も特筆すべき点です。
牛丸さん:山村家は漢詩文学が盛んな家でもあります。9代目・山村蘇門(そもん)の時代に黄金期を迎え、多くの作品が残っています。蘇門は他にも、木曽の名勝をうたい込んだ詩集を刷り、全国に配布していたことなどで、出版史や書誌学の観点でも注目されている人物です。
 

牛丸さん:そして特徴的なのが、その元になった版木を職人ではなく家臣に作らせていた点。家臣を江戸などの外部へ向かわせ、技術を習得し持ち帰らせたと考えられます。木曽は昔から寒冷でお米もあまりとれない土地です。その弱点を乗り越え、学問や文化を発展させられたのは、外部の人との交流を積極的に行ってきたからではないでしょうか。

木曽は現在も、人と人とのつながりが強く、移住者も増えているのだとか。人との交流の中で、良い影響を及ぼし合う文化は、木曽に根付いたものだといえます。

【山村代官屋敷へのアクセス】
電車・バス JR木曽福島駅からバス(開田高原線・開田支所方面)木曽町温水プールから徒歩約3分

山村代官屋敷についてはこちら

木曽川と木曽駒ヶ岳に連なる山にはさまれた土地に設置された「福島関所」。ここも山村家が管理していました。

牛丸さん:関所直下は、中山道と飛騨街道が交差する場所であり、交通の要衝地とされてきました。関所で取り締まっていたものは、江戸に持ち込まれる鉄砲と、江戸を離れようとする大名の妻子。関所を管理するには多くの人員が必要で、財政的にはかなり苦労していましたが、山村家はプライドを持って仕事に取り組んでいたようです。

左:伊藤さん 右:牛丸さん 左:伊藤さん 右:牛丸さん

牛丸さん:関所を通行するには、手形が必要でした。福島関所資料館には、数多くの手形が史料として展示されています。庶民と大名の妻子、そして鉄砲を通すための通行手形の間にそれぞれどのような形式の違いがあるのかを見つけるのも楽しいですよ。
【福島関所資料館へのアクセス】
電車・バス JR木曽福島駅からバス(木曽駒高原線・大原上方面)関町から徒歩約3分

福島関所資料館についてはこちら

木曽から全国へ!
人々のくらしを支えた地場産業とは

森林伐採を禁じる代わりに藩から村々へ「御免白木」と呼ばれる木材が支給され、木曽の人々はこれを活用した産業の可能性を模索しました。薄く削った木の皮を曲げて作る「曲物(まげもの)」は、その中で発展した工芸品の一つです。
木曽の木材でつくる「曲物」の造形美
奈良井宿で「小坂屋漆器店」を営む伝統工芸士の小島貴幸さんは、奈良井曲物最後の職人。木材の選定や曲げ、そして漆塗りまでをすべて1人でこなしています。

塗師屋 小島さん 塗師屋 小島さん

小島さん:元々、塗師屋(ぬしや・漆塗り職人)として活動していましたが、その後、父のあとを継いで木地屋(きじや・曲物師)としても仕事を始めました。
制作だけでなく、お店の経営や新商品開発、機械のカスタマイズなども自らの手で行う小島さん。そして全国的にも珍しく、使用する木材を原木から購入しているそうです。そんな小島さんに、木曽の木材の特徴について伺いました。

小島さん:うちで使用しているのは、木曽檜とサワラの天然木のみ。非常に高価ですが、他の木材とは比べ物にならないほど木目が細かく、質が高いんです。木目は1年に1本刻まれますから、木目の幅が小さいというのは、ゆっくりと育った証拠。江戸時代から生態系を守りつつ時間をかけて育った木が、きめ細かく美しい木目を作り、いま活用できています。

小島さん:プラスチック製品の台頭によって、一時期は「曲物師は儲からない」と言われていました。しかし、曲げわっぱ弁当ブームなどによって、状況は良い方に変わってきたんです。最近では、若い後継者にチャレンジしてもらうためにも、新しい商品作りに力を注いでいます。

コーヒーキャニスターやタンブラー、マルチボックスなど、これまでになかった商品を数多く制作している小島さん。触れてみると、とても薄く、軽いことに驚きます。
小島さん:本来曲物は、木を曲げた際にゆがむため、真円にしたり、密閉できる容器を作ることは不可能と言われていました。曲げわっぱのフタが本体よりも大きく、カタカタと動くほど隙間が設けられているのはそのためです。
 

小島さん:しかし、自分で機械をカスタマイズすることで、木を薄く削ることができるようになったんです。すると、木材を真円に曲げることも可能になり、フタがぴったりとハマる容器を作ることができるようになりました。かつてタブーとされてきたことが、できるようになったんです。この技術を活かして、最近では電化製品とのコラボや、現代でも使いやすいアイテム作りなど、今まで誰もやったことがないことに挑戦しています。

現状に満足せず、未来を見据えて新たな取り組みを続ける小島さん。その姿は、かつて地場産業にチャレンジし続け、街や文化を発展させてきた江戸時代の人々と重なります。

【小坂屋漆器店へのアクセス】
電車・バス JR奈良井駅から徒歩約9分

小坂屋漆器店 公式サイトはこちら

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【コラム】木曽の地場産業を体験・購入できる
「木曽くらしの工芸館」

木曽で育まれた地場産業である漆器。「木曽くらしの工芸館」では、50社前後の作り手が制作した漆器が所狭しと並んでいます。作り手によって大きく異なる漆器の色合いやデザインの違いを見つけるのも楽しみ方の一つ。ここで気になる作り手を見つけたら、直接工房に足を運んでみるのもおすすめです。
【木曽くらしの工芸館(道の駅ならかわ)へのアクセス】
電車・バス JR木曽平沢駅から徒歩約20分

木曽くらしの工芸館 公式サイトはこちら

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江戸時代に中山道が整備されたことも、地場産業発展の後押しとなりました。約1kmと日本最長の宿場でもある奈良井宿には、旅行者をもてなす宿や茶屋、工芸品店などが軒を連ね、2,000人以上の人が働いていたといわれています。木曽の人々が、山を守りつつ生活を維持するための重要な拠点となったのです。

「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された奈良井宿にはいまも古い街並みが残され、江戸時代の風情を堪能することができます。

奈良井宿では、事前予約制の観光ガイドも実施しています。ガイドさんが約1時間をかけてじっくりと奈良井宿を案内してくれるツアーに参加すれば、きっとこの土地の歴史や建造物についてもっと深く知れるはず。
【奈良井宿へのアクセス】
電車・バス JR奈良井駅から徒歩約3分

奈良井宿 公式サイトはこちら

そば切り発祥の地!?
木曽路を訪れたら食べたいグルメ「おそば」

木曽を訪れたら食べたいのが「おそば」。そば切り(一般的な麺状のそば)発祥の地とも考えられている木曽谷で、古くから地元住民や御嶽山修験者に愛されてきたグルメです。JR木曽福島駅から徒歩6分ほどの場所にある老舗「くるまや本店」では、のどごしがよく、風味豊かな手打ちそばがいただけます。

【くるまや本店へのアクセス】
電車・バス JR木曽福島駅から徒歩約6分

くるまや本店 公式サイトはこちら

農耕や馬産、林業でも活躍した「木曽馬」に乗ってみよう!

木曽馬の里 木曽馬の里

小型で性格がやさしく、農耕や運輸で活躍した木曽馬。その生産は山村家に特権的に与えられ、木曽の産業発展に大きく貢献しました。「木曽馬の里」では、そんな木曽馬の乗馬体験ができます。
【木曽馬の里へのアクセス】
電車・バス JR木曽福島駅からおんたけ交通バス(木曽町交通システム)
開田高原線木曽馬の里入り口から徒歩5~15分

木曽馬の里 公式サイトはこちら

「木育」で木の魅力にふれ、これからの森を考えよう!

木曽の木材に楽しく触れながら、自然と親しみ豊かな心を育む「木育」をコンセプトにした美術館。子どもが木製のおもちゃで遊べるスペースや木工体験ができる工房、カフェなどを備え、家族みんなで楽しめます。

【木曽おもちゃ美術館へのアクセス】
電車・バス JR木曽福島駅からバス(開田高原線)で15分、
ふるさと体験館で下車。

木曽おもちゃ美術館 公式サイトはこちら

山を守りつつ、山と共に暮らすために模索した歴史が残る木曽谷。大切に守られた風景や伝統工芸品に触れれば、持続可能な社会を目指す私たちへのヒントが見つかるかもしれません。ぜひ一度、自然と文化があふれる木曽谷を訪れてみてはいかがでしょうか。
【本稿で紹介した構成文化財】 塩尻市奈良井
曲物
木曽馬
山村代官屋敷
福島関所跡
手打ちそば
木曽材木工芸品
旧帝室林野局木曽支局庁舎

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